医者が病院を辞めた日⑥

私は本からすべてを学んだ。

アブラハム・リンカーン

今の僕の生活は、週に数時間非常勤(いわゆるバイト)の医者の仕事があるだけで、ほとんど自由時間です。
大半の時間は、物思いに耽ったり、運動と読書と勉強と散歩しながら、人生のパートナーである鳥と過ごしています。
この生活になってから2年になります。

病院を去る前に、こんな不満がありました。

帰宅し食事をとると、明日の仕事のために寝なくてはいけませんが、

寝る前までの時間はわずか2、3時間程度でした。

今日素晴らしい本と出会っても、読み続けられなかった。

読書の時間は、生産性をあげられません。
知る速さをなんらかのテクニックで猛烈にあげることはできません。

気分の問題もあります。一定の速さで読み続けることも難しい。

YouTubeの本要約動画を倍速で見ても、大事なロジックやエピソードがロストしてしまいます。

人生の教訓や、データから捻り出された貴重な教訓を説明するのに、本が、最小限の形態なのかもしれません。

私たちの人生の時間は限られていて、人生の中で知る量は限られています。明日、突然終了のお知らせが来るかもしれません。

1冊の本を読むためには、時間をかけるしかないんです。金を払っても代行できません。

読書する時間というトピックを少し拡張すると、勉強する時間もある程度はかかります。

ここでの勉強とは、大学入試に受かるためだけの古文・漢文の記述問題を解く、クソみたいな練習ではありません。

読書に加え、世の中の出来事を観察したり、体験したり、話を聞いたり、怪我をしたり、詐欺に騙されたり、言っちゃいけないことを言ったりすることも含まれます。

世界の様子を勉強するには時間が必要です。

費やす時間の足りなさも、仕事の生産性を上げるとかでは解決できない代物です。

僕のアマゾンのほしい物リストには3000冊の本が登録されていて、毎年増え続けています。
ようやく最近、登録する速さと読む速さが拮抗してきました。

しかし、一生にすべて読み終わるかどうかはわかりません。

果たして、フォン・ノイマンの「量子力学の数学的基礎」の誤りが理解できるまでになるのでしょうか、
人類最強の天才が見た風景はどんなものでしょうか。

はっきり言えることは、
時間があっても理解できないかもしれないが、時間がなければ絶対できない、です。

続く