医者が病院を辞めた日⑧

「1万時間の法則」なんてクソくらえ!

ジョシュ・カウフマン たいていのことは20時間で習得できる

今の僕の生活は、週に数時間非常勤(いわゆるバイト)の医者の仕事があるだけで、ほとんど自由時間です。
大半の時間は、物思いに耽ったり、運動と読書と勉強と散歩しながら、人生のパートナーである鳥と過ごしています。
この生活になってから2年になります。

病院を辞める時、疑問に思いました。

「病院ではたくさん仕事があるから、経験によって技術を維持できるけど、減らしてしまったら腕が鈍らないだろうか」

医師としての僕の仕事は、どんなものか分かった患者がくるものではなく、

雑多な患者を次々見て、何が起こっているか診断していく仕事でした。

このように、多様な状況でうまい判断が要求される技術は、やはり日々勉強や練習が必要だと思います。

判断能力の維持も大事だと思います。

昔上司が、「GW5連休もあると、休み明けに仕事を始めた時、少し緊張する」と言っていました。

昔付き合ってた彼女が、ピアノを一生懸命練習していました。
「1日でも弾かない日があるとうまくいかなくなる」と言っていました。

一方僕の経験では、
高校時代に週7で弓道の練習をしていました。
そのころは、もう頭打ちになり、成績もあまり伸びない状態が続いていました。(弓道自体がそれほど広がりのあるものではない)

卒業してから、週3で練習をしていました。
週4日は練習していないわけですから、技能は落ちるのかと思いきや、色々な発見があって技術は伸びていきました。

これも僕の経験ですが、
肝臓がんの患者に対するカテーテル手術を習い始めました。

最近は、肝臓がんの患者が少なくなり、当時1ヶ月に1回程度しか行われていませんでした。

2年後、ほぼ独り立ちでできるようになりました。

1ヶ月に1回の手術の前は、何回も予習し、予習での自分の見立てを記録し、実際手術でどう違ったのか、どんな判断をしたのか、手術後どうなったのか、次はどんな点を改善すればいいのかを、手術の時間以上に綿密に書き出して記録していました。

努力量を引き合いに出してよくマウンティングすると思いますが、僕は逆のことを考えていました。

腕を鈍らせないための練習量は、常識とされているより少ないのではないか。

スポーツ選手みたいに捧げている人でない限り、生活の全てをある特定のスキルの練習に使うのはたくさんのことを犠牲にしないといけない。

練習を毎日する副作用として、限界を突破する発想が思いつかなくなり、かえって頭打ちになりやすいのではないか。

腕を磨くための練習を自分で選択して、練習量を絞り、空いた時間で自分の状況を俯瞰するとか別の方法を見つけるとか、別の技能を身につけるとかしたほうが、早く進むのでは。

そこで、僕は日々の経験数から、どれくらい新規の経験をしているか、どれくらい多彩な経験をしているかの実態を振り返りました。
つまり経験量を、スキルの練習量としてみたわけですね。

結果だいたい8割くらいが典型例、2割くらいが目新しい例を経験していました。
パレートの法則(経験則)に近いですね。

学習に寄与するのは、2割なのかなと思います。8割は自分の経験上の予測力を失わないための典型的な練習問題という感じがします。とはいっても扱う専門分野の範囲は広いですが。

密度を高めて、2割を維持すれば、直ちに技術が落ちるわけではないのではないかという仮説を設定しました。

みんな怖くてやらないから、本当はどうなのか実はわかっていないのではないだろうか。
誰だって、ミスしたら訴えられるかもしれない仕事で、腕をわざわざ落とすかもしれないのは不安でしょう。
であれば、大量の経験を続けている方が安心です。
大人であればみんな続ける方を選択するでしょう。
そんな怖いことをするのなら、続ける方が楽です。

しかし、「やるべきことは、怖いこと」というヒューリスティック(経験則)が僕にはあります。

この場合の”怖い”は生存の恐怖じゃなくて、自分がしたことないことをする恐怖だと思います。
大抵死にません。究極的には、単なる勘違いだと思います。

怖いと思う選択の際に、どうでもいい人(ここでは学会で他の医者との交流が好きな真っ当な医者)に意見を聞くようにしています。

どうでもいい人から「それはやめた方がいい!」と言われたら、やることにしています。

「いいじゃん!」と言われたら、やめます。
いずれにしろ、アドバイスには従いません。性格がすごく悪いのです。

病院を辞める前にも、サンプルの何人かに話してみました。案の定でした。

自分の踏み出す一歩が、斬新とまではいかないまでも、誰もやったことがなく前例がないことなのかどうかが、アンケートでわかります。
大体の人間の平均のようなサンプルを持っていないと、自分の逸脱性がわからなくなります。

決断に必要な部品として、常識やルールにとらわれたどうでもいい人は必要ということです。

別の機会に、みかけの経験数を大幅に減らした結果どうなったかも、お話ししましょう。

続く