僕とあいつの奇妙な教員生活 プロローグ
あの日は、本当に、何でもない日だった。
「あいつ」と出会うまでは。
プロローグ
僕は、新橋喜太郎(にいはしきたろう)。
今年で26歳になる、ごく普通の小学校教員。
現在は6年生を担任している。
結婚はしてない。彼女もいない。
子ども達に好かれているかどうかも分からない。
同僚に好かれているかどうかも、よく分からない。
この話は、そんなどこにでもいるような僕が「あいつ」と出会って、特別なことなど何もなかったはずの人生を、ひっくり返される話。
平凡だった人生が、本当は平凡ではなかったことに気付かされるお話。
遭遇
ある日の放課後、僕はいつものように、担任している6年生の教室でプリントの丸つけをしていた。
もう18時を回っているのに、帰宅する様子を少しも見せない僕に嫌気がさしたのか、教室の受話器がやかましく鳴った。
「新橋先生? まだ降りてこないの? もうみんな先帰るからね。職員室の鍵は閉めとくよ? おつかれー」
同僚達は先に帰るようだ。
この学校は、平均退勤時間がはやい。
18時にはほとんどの教員が退勤する。
家庭がある先生も多く、みんな早く帰る。
もちろん、僕はそんなに急ぐ必要もない。
実は、僕は職員室で仕事するのがあまり好きではない。
今時珍しく、若手が自分だけ。
ほとんどを40歳以上が占める職員室で、正直話も趣味も合わないからだ。
1人でスマートフォンをちょくちょく見ながら仕事する方がいい。
放課後だから別にいいでしょ?
なんて思いながらも、みんなが帰ったら何だか帰りたくなってきた。
僕は、プリントはまだ半分しか丸つけが終わってなかったが、そそくさと片付けを始めた。
教室の電気を消して、鍵をとった瞬間、背筋が凍るような悪寒を感じた。
「え?寒っ……くはないか……? 夏だし……」
なんだか言葉にできない妙な気配を感じたが、霊感もない自分に、おかしなことが起こるはずないと信じ、鍵を閉めようとした瞬間。
教室の中に、何かの気配を感じた。
それは、小さくはなかった。
大きくもなかった。
あたりは暗く、電気のついていない教室の中。
何かいる。
異変を確かめるために、教室に戻り照明のスイッチをつけたその時、声がした。
「ちっ……しけた面してやがる……」
一気に緊張が走り、目を見開き、その声の主を探す。
いた。男がいた。40代くらいのおっさん。だと思う。
「うおぁ!!」
教室の1番後ろの机の上に足を組んで座り、頬杖をついてこちらを見ている。
何角形かわからないフレームのメガネをかけ、イケメン…というわけでもない顔立ちを実に残念そうに歪ませながら、こちらを見ている。
座っているので背丈はわからないが、太ってもないし、痩せてもない。
茶色のスーツに白いシャツ、黒いネクタイも締めている。
「はぁ!? ちょっ! …えぇ!? …ふ、ふしんしゃ!? はぁ!?」とわかりやすく膝をガクガクさせながらドアに張り付きビビり散らしている僕に、男は言った。
「なぁ、喜太郎よ。落ち着け。お前、今びっくりするぐらいカッコ悪いぞ」
「い、いやお前誰だよ!! 何してんだよ!! ここ学校だぞ!! 何してんだよ!!」
自分の名前が呼ばれたことも気づかず取り乱した僕に、その男は明後日の方を見ながら信じられないことを言った。
「俺? ……んー、精霊? 学校……の? ……精霊…かな?」
自分の存在すら危ういとは、この男やはり不審者としか思えない。
「はぁ!? 何で疑問形なの? ……ってか意味わからんし! 不審者やん! 不審者でしかないプロフィールよそれは!! で、電話せんと……!」
急いでスマートフォンを取り出し緊急通話を起動しようとした瞬間、スマートフォンの充電が切れた。ちょくちょくではなく、しばしば使っていたのが仇となった。
「はぁ!? え?どうしよう……!?」
横目で男を見ながら、教室から走り出ようとする僕にその男はまた言った。
「だから、喜太郎。落ち着け。」
その言葉を僕は聞いてしまった。
「は?……」思わず振り返り、その男をまじまじと見る。
廊下側の机に座っている男は、膝で頬杖をついた様子をそのままに、こちらをまっすぐ見ながら、もう一度繰り返した。
「新橋喜太郎。座れ。」
その瞬間、背筋に電気が走った。
気をつけの姿勢になった僕は、まるでおもちゃの兵隊のように行進し、一番前の席に座った。いや、座らされた。
口も開けない。
後ろから足音が近づいてくる。
僕の体は動かない。
まるで就活の面接さながらの姿勢を保ち、微動だにしない。
ものすごく嫌な汗が全身を覆っていく感覚。
迫り来る死を感じながら、「菓子パン美味しかった……」と走馬灯のようにアタマの中をよぎっていく。
我ながらしょうもない最後だと死を覚悟した時。
その男は僕の横を通り過ぎ、さながらの教師かのように教卓の前に立った。
脚は……あった。幽霊ではないようだ。実態があるとわかると何だかもっと怖い。
茶色のスーツ。変なメガネ。黒の革靴も履いている。いや、少しイカしている。なかなか洒落た装いだ。悪くない。いや、いい。ってかここは下履きアウトだけど……
しかし、この感じ、よく漫画に出てくるマッドサイエンティストとか、サイコパスなキャラのそれじゃない?やっぱり僕死ぬ?なんてことを考えていると、終始自分を見下ろしていたその男が口を開いた。
「はぁ……楽にしていいぞ、新橋喜太郎」
その瞬間、ふっと緊張が解け、就活生の呪縛は解かれた。
「ぶはぁ!! ……で、お前は、はぁ……はぁ……誰だよ……!」
無意識で止めていた息を吐き出し、呼吸もままならぬままに問う僕に対してそいつはまた言った。
「んー、だから精霊? この学校の?」
相変わらず意味のわからないとぼけた答えが返ってくる。
もちろん信じられるわけがない!
「なに言ってんだ! 頭のおかしいおっさん! もう少しマシな嘘をつけ! 精霊ってのはもっとちっちゃくて、ふわふわしてて、ちょっと光ってて……ん? 精霊ってなに!?」
「わかりもしないのに否定するなんて、教員失格だな」
茶色のおっさんは嘲笑った。
全く「ぐぅ……」の音も出ない。けど、今出たよね?
「俺はこの学校の精霊。精霊ってのは勝手に姿も変えられんの。この姿は、たまたま今までにこの学校にいた教員の姿を借りてる。ちなみにお前が考えてることは全部わかるし、お前のことは全部知ってる」
「全部知ってるとか、ありえないでしょ! じゃあ好きな女性のタイプは? わかる? あんたも嘘ついちゃいけない!」
「わかるとも。アンハサウェイみたいな容姿で、明るくてさっぱりしている。懐の深い面白い女性?」
「うん、そう。よく知ってるねぇ。え?」どストライクな返答に理解が追いつかないでいると、おっさんはため息をついた。
「何でもわかるのよ。もう自己紹介はいいか?」と呆れ顔で言う「学校の精霊」と名乗るおっさんの存在を、受け入れ始めている自分がいた。
「……で、その精霊さん? がなんで今ここに出てきた?……」
と、聞きたいことを聞いてみる。
「呆れたからだ。この学校の在り方に。教員の言葉に。態度に。子どもたちの悲惨な様子に…」
ずいぶん真面目な答えが返ってきて驚いていると、その「精霊」とやらは続けて言った。
「私は学校の精霊だ。いわゆるこの学校に集まる思念や願い、そう言ったものの集まりだ。最近はネガティブな感情ばかり集まってきて、正直うんざりしてる」
と、舞台にいるかのように右や左に歩きながら話す。
僕はいつの間にか精霊という存在に、妙に納得しかけている。
すると、
「で、お前の前に姿を現すことにした。」
という理解できない言葉で締め括ると彼は立ち止った。
「なぜその流れで俺?」
ずっと聞きたかったことを聞いてみた。
「お前が一番、縛られていないからだ。まだ若いし、これからの未来もある。この学校に変革をもたらすに相応しい。お前を教育することで、この学校全体を変えていこうと思う。お前は選ばれたんだ」
おっさんは、こちらをまっすぐ見ながら言った。
「お前は選ばれた」というパワーワードに厨二病感をくすぐられてしまい、もう不審者のおっさんがそこにいることを完全に認めてしまっている自分がいた。
「もう納得している自分がいるけど! いろいろ聞きたいことはある! まず、あんたは俺以外にも見えるの?」
「見えない。俺が選ばなければ」
「声は? 他人に聞こえるの?」
「聞こえない。俺が選ばなければ」
「なら不審者じゃない! じゃあ、何でもできるって言ったけど! 何ができるの? 空飛ぶとか? 壁すり抜けるとか?」
この質問は、ファンタジー大好きマンとしては欠かせない。
おっさんは「もちろんできるぞ」と得意げに黒板に左手を突っ込んでみせた。
「ほほう! すげえ! 姿は変えられると言ってたけど、アンハサウェイにはなれないの?」と期待を込めて聞いてみた。
「なれるが、ならん。お前のにやける顔を見たくない」
おっさんは一瞬子どものように白目を剥いた。
「ちっ……… で、俺に何を教えてくれんの?」
僕はあからさまにがっかりした。
「それは、時と場合によるな。ただ一つ、『大切なこと』であることは変わらない」
おっさんはまた歩き始めた。
「ちょっとよくわからんけども。あんたは誰もいない放課後に出てくるわけ?」
「俺は時と場所に縛られない。好きな時に現れる。いつでも、どこにでもいるし、いつでも、どこにもいない」
おっさんはゆっくりとした足取りで窓の方へ歩いていく。
「いやよくわからんけども。とりあえずなんかあったらサポートしてくれるってことでいいんだな?」
「まぁそういうことだ」
「いいじゃん! ……最後に聞こう」
「なんだ」
おっさんは窓の外を見ながら立ち止った。
「こういう都合のいいことには、代償がつきものだろ? お前が悪魔の可能性だってある。代償は、あるのか」
おっさんは窓の外の景色を眺めながら答えた。
「………ない。……あるとすれば、お前は俺の言った通りにすれば、幸せになるだろう」
「いや天使か!!」
さすがに突っ込まざるを得なかった。
その後そのおっさんは壁の中に消えていき、教室は何事もなかったかのように静まり返った。
手汗で鍵がぬるぬるになっていることが、先ほどの不思議な体験が実際にあったことだと物語っていた。
このようにして、僕とあいつの奇妙な教員生活が始まったのだ。
この時はまだ知り由もなかった。
あいつとの関係の先に、素晴らしい世界が待っているなんて。
プロローグ 終わり
※この物語は、不定期更新です。
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