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学級崩壊 = 子どもの乱

学級崩壊についての私の見解を書きます。

というか私はこの学級崩壊という言葉が好きではありません😇

というか嫌いです。

良いイメージが全くないんですよね。

学級が、教師の言うことを聞かない子どもたちによって崩壊させられた。

子どもを統制できない「力のない教員」だ。

そんなイメージがつきまといます。

だから教師は、周りに素直に頼れなくなるんです。

多くの教師にとって、力のない教員だと思われるのは恥であり、教師として生きていくことができない、自分の力のなさを痛感させられる屈辱的なことだからです。

そんな時に誰かに頼るとは、わざわざ自分には力がないと宣言することと同義です。

それは自分自身を否定することになります。

だから事態は悪化するケースが多いです。


しかしながら、子どもと教師の関係がうまくいっていないことは事実です。

それは、ありのままを受け入れなくてはいけません。

いろいろなパターンがあると思います。


そのいくつかにおいて、共通することがあります。


それは子どもが不満をもっていると言うことです。

圧制者(教師)と虐げられる民(子ども)の構図になっている場合があります。


教師は「言うことをきかせて思い通りに動かしたい」
子どもは「理不尽なことを言われる、理不尽なルールがある、我慢している」

この状態であれば、この後どうなるかは小学校の歴史を学んでいれば分かります。


反乱がおこります。

学級という国の中で、内乱が起こりますね。

「学級王国」と言う言葉をよく聞くように、学級には良くも悪くも教師の意向が反映されます。

この世界はフラクタルな構造が見られますが、大きな国も、小さな学級も、同じような構造があります。

不満がたまれば、最初は言うことをきいていた民たちも、一人、また一人と反旗を翻すようになります。

多くの子どもが反乱をすれば、「子どもの乱」が起こります。

教師vs子ども の構図が出来上がってしまいます。

だから私は、学級崩壊ではなく「子どもの乱」と言えばいいと思うのです。

こっちの方が的を得てません?笑


うまくやっていける教師は、子ども達の言葉を聞きます。

なぜ学習をしたくないのか。

みんなと同じことをしたくないのか。

そのように思っている理由、もしくは無意識で行動する背景に思いを馳せます。


子どもの乱は起きていないけど、言葉や圧で抑え込んでいる場合は、「子どもの乱」予備軍になっているとも言えます。

荒れた学級に、語気の強い堂々と叱責できる教師を配置するのは、対処療法的な手段です。つまり、「とりあえず言うことをきかせたい。教育活動を成立させたい」という学校側の思いが込められています。

その気持ちは大いに分かります。学校にも責任が問われるからです。子ども達の学ぶ権利を保障するために。

しかし、そうなるに至った原因にアプローチし、改善しなければ、その教師が去った後、一気に抑圧されていたものがあふれるでしょう。


私たちがする行動にも理由があるように、子どもたちの行動にももちろん理由があります。

私は、「私たちの行動は、環境からの刺激によって全自動的に紡ぎ出されている」という心理学的決定論を支持します。
その視点から見ると、彼らの行動にも必ずそのように行動しなければならないと勘違いするようなインプットがあったと考えます。

彼らの行動は、彼らの人生の中で培った最善の策だといえます。

ですから、仕方のないことだと捉えられるのです。彼らは自分を守るために、より良く生きるために必要な行動をしているのですから。

無意識でその行動を選ばざるを得ない人生を送ってきたのです。

ではなぜそのように思い込むにいたったのか。
そこを私たち教師はは想像するべきではないでしょうか?

その子のことを分かってあげましょう。

100%を理解することはできませんが、理解しようとすることはできます。
それは「愛」に基づいた行動です。
「愛」に基づいた教育です。

まずは子ども達の言葉を聞き、たくさんの思いを受け止め、信じる。
そんな教師の言葉だからこそ、子ども達は信用しついてきます。
そこにはお互いの「愛」があるのです。

私たちがすべきことは、「愛」を与えることです。

すると子供たちは、「愛を与える子」になっていくでしょう。


教員に力がないから学級崩壊する?
子どもが言うことをきかないから学級崩壊する?

想いを理解してもらえないから「子どもの乱」がおこる。
愛に基づいた言葉ではないから「子どもの乱」がおこる。
愛を与えていないから「子どもの乱」がおこる。


そんなこと言ったって!愛を与えるなんてできない!
愛してもいないのに!

そう思うのは、自分自身が愛に満たされていないからです。

だから、まずは教師自身が幸せになり、自分自身を愛で満たすことがとても大切です。


そのための「幸せ追求教育」なんですけどね。笑


私の学級崩壊への見解でした!

みなさんもぜひ、学級崩壊ではなく、「子どもの乱」と呼んでみませんか?

ニキチャコでした!まったね~(^o^)/



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