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昭和の夕餉

父が庭に七輪を出している夕方。もう太陽は山のすそ野
最後の力?を振り絞っているみたいで空は真っ赤に染まっています。

縁側で秋刀魚を焼く様子を見ている私と秋田犬のふじ。
この七輪は当時、但馬の親せきから送られてきたまつたけ、銀杏は専用の網の容器に入れて、薄く切ったさつまいも、などいろんな食材を焼くのに大活躍していました。

今年は秋刀魚が豊作だとか。早速スーパーで見つけましたがなんだかスリム。もう少し様子を見ようということになり、予定を秋鮭に変更です。

今やガスグリルで簡単に焼くことが出来ますが、昭和の時代、一つのおかずを作るにもゆっくり時間をかけて料理していたように思います。
もちろん台所にはガスコンロがあり、そちらも大活躍でした。
特に煙が出るものは外でということになり、それはもくもくと火事と間違うような勢いですが、そこは年季の入ったうちわでパタパタと追いやりながら、ころあいを見てひっくり返す絶妙のタイミングでした。

大根おろしも冷凍のものが出来て便利ですが、やっぱり大根おろしはあのサクサクと言う音を聞きながらおろしたものの方が美味しいような気がします。

毎日の食卓も時間をかけて用意してまた丁寧に頂く。
お腹を満たすだけのものではなかったと今でもその様子をはっきりと思い浮かべることが出来ます。

食後には果物。今なら柿や梨。送られてきた栗は明日栗ご飯にすると聞いて、嬉しかったものです。

食べることは楽しいこと。と自然に教えられました。
それは母たちが必ず手を加えて作ってくれたものでした。

ならばいただく方はきれいに平らげることがエチケット。
特に父の食べた後は頭と尻尾を残すのみ。猫も嫌がると言われていました。

台所から出た生ごみは庭に埋めて捨てるものがないくらいでした。

祖母は渋柿を丁寧に藁で巻いて干し柿に。白い粉が吹くまで我慢です。
それはお正月、鏡餅の裾に飾られたりお茶菓子に、たまにはなますになって出てきました。

大好きな梨は食べ過ぎると歯を悪くすると言われましたが、そうなってもいいと思えるほどジューシーで、ある時洋ナシを頂いたのですが、また違う風味は外国の香り?のようでした。

その一つ一つに小さな思い出が詰まっています。
またそれらの向こう側に家族の顔や賑やかな様子が浮かんで、
今年も格別の秋になりそうです。

今夜はキノコご飯とお吸い物。お茶碗に盛って いただいたカボスをひと絞り。
あんなに沢山あったのにもうあと数個になりました。

今日もいい日にしましょう!






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