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「あかりの燈るハロー」第七話

ハローワールドの住人

(3)

 パソコンとふたりきりで頭を悩ませる。いろいろ気になることが多すぎる。

『はじめまして、あたしの名前は朱里です。
 あなたとお友だちになりたくて、思い切ってメールを出しました。
 もしよければ、あたしのお友だちになってください』

 何度見ても、メールにはそれしか書いてない。

 ――お友だち……。

 パソコンに突然入り込んできたこの「朱里」っていう人物がいったい誰なのかわからないけど、あたしがこの人を知らないってことは、相手もこちらを知らないはずだ。
 ……そうだよね? だって「はじめまして」ってちゃんと書いてあるし、メールにもあたしの名前は書かれていない。
 ということは、これは本当の本当に『はじめまして』なんだ。
 あたしはそんな算段をし始める。だって学校では何度クラス替えをしたって、吃音のことを知らない人なんていない。もしそんな稀な人がいたところで、一日もたてばクラス中に知れ渡ってしまう。
 これはチャンスなのかも。

 ――なんて書こうか。

 「朱里」に、ちょっとでもいい印象を与えたいって気持ちになる。だって当たり前だ。この人は、あたしの左のほっぺたに水疱瘡でできたひどい傷跡があるってことも知らなければ、あたしが平泳ぎができないということも、理科の成績があんまりよくないことだって知らない。
 そしてなにより〝吃音〟のことを知らない、新しい〝お友だち候補〟だ……。

 ――たしか、リビングに『手紙の書き方』って本があったはず……。

 時計を見ると八時半だった。そっと部屋を出て階段をおりる。お父さんの部屋からラジオの音が流れていた。たぶんこの時間は、映画を観てるかお酒を飲んでるかだから気づかれないはずだ。まあ気づかれてもいいんだけど……。
 音をできるだけ立てないようにして階段をおりる。
 ――どこだったっけ……。
 手紙の書き方を探す。わざわざそんな本を読んでも、大して書くことなんて変わらないかもしれないけど、なにかあるかな? って思ったんだ。めちゃめちゃ優等生! みたいには思われたくないけど、バカなやつにも思われたくない。
 テレビ下のキャビネットにその本を見つけた。新聞社が出しているやつで、白地に青のキチンとした表紙をしている。
 目次を見ると、こんな項目が並んでいた。

 ・相手方の安否を尋ねる挨拶
 ・親しい人への手紙
 ・改まった手紙
 ・お祝い事に関する手紙
 ・訃報への手紙
 ・時候の挨拶

 難しいなあと思いつつ、「時候」――って季節のことだよね? と考えながらページをめくる。すると、そこに七月の挨拶について書かれていた。
 ちょっとくらいは、なにか使えるのあるかな?

「土用の入りとなり」
「三伏大暑の候」
「涼風肌に心地よく」

 ――あ、ダメだ。

 あたしは笑った。全然ダメだった。でも一番最後にこう書いてあるのを見て、ちょっと使えるかも? って思う。

「蝉の声に暑さを覚える今日此頃」

『此頃』は、このごろ、って読むんだろう。うーん、毎日暑いですねっていうよりは、ちょっと賢そうかな? 最初の返事は「いいですよ、お友だちになりましょう」しかきっと書けないけどそのうち使えるかも。

 本を戸棚に戻そうとして、奥に写真アルバムがあるのに気づく。こんなところにあったのか――そう思いつつ、古いえんじ色の刺繍が施された分厚いアルバムを取り出した。
 戸棚の中にあったにも関わらず埃が被っていて、ずっと眠っていたような雰囲気だった。着ていたパジャマで表紙の埃をぬぐうと、膝の上に置いてページを開く。お母さんが映っているページは、なんとなく見ないようにして飛ばしていった。
 先へめくっていくと島根の写真が出てくる。父方のおばあちゃん家だ。
 ……赤ちゃんのあたしが、おばあちゃんに抱かれて広間でお披露目されている。もちろん記憶なんてない。――裾が長く、赤い立派な着物を着ている。こんなのきっと一度着て終わりだから、もったいないなあと思う反面、こうやってちゃんとお祝いされてたんだと感じられるのは、悪いことじゃない気もする……。
 背景はどれもこれも木ばかり。木、木、木……。いくら写真をながめても、記憶はよみがえらないし、虫が多そうだなとしか感じない。電線の一本だって映ってないし、ただ広がる真っ青な空と、緑と茶色の風景ばかり。この場所がどれほど山の中にあるのか想像もできない。
 おばあちゃんとは電話で話すこともあるし、お母さんがいなくなってからしばらくは泊まりで来てくれていたから、それなりに知ってはいる。すごく独特なしゃべり方で、ほがほがいったり、じゃけじゃけいったりで、なにをいっているのかさっぱりわからない。もっとも、おばあちゃんも同じ気持ちみたいで、あたしが吃るたびに何度も聞き直してくる。
 それがとってもいやだった。それでもおばあちゃんはまだマシな方だ。だって島根に帰ってしまえば同じようにほがほがいったり、じゃけじゃけいったりする人たちが他にもいっぱいいて、ちゃんと会話は成立するんだもん。
 あたしはというと……。
 あたしのまわりには誰もいない。
 吃音で悩む友だちなんて、誰ひとりとしていないんだ。

 部屋に戻り、「朱里」からのメールをもう一度読んでいると、不思議な気持ちになってくる。あたしは、この〝お友だち候補〟っていう考えにときめいている自分に気づいた。もしかしたら物心ついてから〝お友だち〟っていう言葉にわくわくしたのなんてはじめてかも。たった十二年しか生きてない人生だけど、それなりにあたしは〝不幸〟だし。
 そんなことを考えながら心の中でちょっと笑う。
 ――返事のメールは明日しよう。
「は、は…はっじめまして。朱里さん、あ、ああ明日、メール……す、するっ…ねっ。おや、おおやす…み、な、なっさい」
 声に出してそういうと、パソコンを閉じて掛け布団を頭からかぶった。


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