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「あかりの燈るハロー」第二話

第一章

バイバイ、お母さん。ハロー、ハンデ。

(1)

 あたしには最近好きなものができた。
 それはメール。といってもケータイのじゃなくてパソコンのメール。あたしが使っているパソコンはとても型式の古いノートパソコンで、起動するのにびっくりするくらい時間がかかる。それによく途中で突然動かなくなってしまうし、書いていたメールが全部なくなってしまうことだってある。
 電気屋さんに並んでいる、薄くて格好いいノートパソコンとは違って、変に黒くて分厚いし、めちゃめちゃ重いから、一階のキッチンまで運ぶのだってほとんど無理。
 電源コードだって束ねらんないくらい太いし、なんか熱くなるし、もうちょっと大きかったらプレステになれるんじゃないかな? ってくらいの箱がついている。だから、ノートパソコンっていっても持ち運ぶことなんてまずできない。
 それでもあたしはこのノートパソコンを手放すつもりなんてまったくない。だってこれはお母さんがずっと使っていたものだから。

 ――つまりこのパソコンはお母さんの形見なんだ。

 そのパソコンに、正体不明のメールが届いたのは一週間ほど前のこと。差出人のアドレス欄は文字化けしていて読めず、件名には、「ハローワールド」とだけ書かれていた。

「怪しいメールは、絶対に開いちゃいけないよ、うっかり開いてしまったら、ウイルスに感染して、パソコンが壊れてしまうこともあるんだから」
 パソコンを使い始めたころは、お父さんによくこんなことをいわれた。メールひとつでパソコンが壊れてしまうなんて、なんてこわいんだろうってびくびくしながらさわっていたのを覚えている。
 このあやしいメールもきっとその類のものなんだと思って、そのときは開かずに置いていた。

     ♮

 今日も朝ご飯のいい匂いがして、眠りから目覚め始める……。
 ――起きたくない……。
 ベッドの中でもぞもぞしながら、学校を休む理由をあれこれと考えていると、お父さんの声が階下《した》から聞こえてきた。
「茜ぇ? そろそろ起きてきなさい。学校に遅刻しちゃうよ」
 眠い目をこすりながら着替えてリビングへおりると、キッチンではお父さんが慌ただしく朝ご飯の準備をしていた。
「おはよう、茜。ほらほら、はやく顔を洗って、ご飯を食べてくれるかい?」
 あたしは答えるかわりに、ゆっくりとまぶたを閉じると、またゆっくりと開く。いわれるがままに顔を洗ってテーブルに着くと、目の前に置かれたいつもの青いお皿の上で、出来立てのオムレツが湯気を立てていた。
「……」
 この湯気くらいでいいから熱があったら、学校休めるのになあ……。なんて、非現実なことを考えながらフォークをつかむ。
 卵の表面がやぶれて、玉ねぎとミックスベジタブルの人参が見えている。お父さんのオムレツはなかなか完璧にはならない。だいたいいつも、ちょっとだけ変な色だし。でもそんなの全然かまわないんだ。
 男手ひとつで育てている娘のあたしをよろこばせようと、お父さんはよくあれこれがんばって工夫を施している。生クリームを入れたり、ブイヨンを入れたりね。でもどれも不味くはないけど、そこまで劇的においしくなるかっていったら、そうでもない。
 ――ってことは内緒なんだけどね。
「茜、菊池先生もいっていただろう? ちゃんと声に出す練習をしなくちゃならないって。ほら、茜! いただきますいただきます」
「う……う、うん……い、いたい…ただきます……」
 自分の表情に無理な力が加わっているのがわかる。
 毎日のことだけど朝はいつもそう。最初の一声を出すまでに、ひどいストレスを覚えるんだ。寝て起きるとどうしても、口とか心とかが強力接着剤でくっついてしまっている気分。
「あちっちっち!」
 トースターがカシャンといい音を立てて、山型のイギリス食パンを跳ね上げた。お父さんは、こんがりいい色になった山の部分を指でつまんで引っ張り出すと、両手でしばらくワタワタとやったあと、左手に載せてバターをたっぷりと塗っていった。
「これね、吉田くんのお母さんが働いているヤマタケで、最近新しく仕入れることになったパンらしいんだよ。なんでも、星が丘の自然酵母のパン屋さんなんだって。茜、四角い食パンより、こういうやつの方が好きだったろ? もし気にいったらまた買ってくるから。でも一斤使い切るのはなかなか大変だから、また一緒にサンドイッチ大会でもやらなきゃな!」
「う、う…うんっ、サン、ドイッチ、やろう」
「ほら、あんまり時間ないから食べちゃおう、なっ。サンドイッチの具材についてはまた作戦会議な!?」
 今さっきいった、〝いただきます〟だって、全然満足な出来じゃない。それでもお父さんは、あたしがしゃべるのを聞くと満足げに笑って、トーストをななめに切り、お皿の隙間に滑り込ませた。
 ケチャップがうまく出てこなくて、ボトルを振っているとお父さんが手を伸ばす。
「かしてごらん」
「う、うん」
 お父さんは一度蓋を閉め、とんとんと叩いて赤いトマトの液体を上手に溜めてくれた。
「ほい」
「あ、あっあー…ありがとう、お父さん」
 ケチャップで描くのはいつも大したものじゃない。ハートとか波々とかアメリカの旗っぽいやつとか、なんかそんなもの。今日は星だ。ちょっと子どもっぽいかな? とも思うけど、見てるのはお父さんだけだから、なんとなくこの習慣は続けていた。


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