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「時間泥棒」第一話

第一章

動かない猫

「いってきまーす!」
 スニーカーを履いて玄関から飛び出すと、四月の風が頬をなでる。通いなれた道を歩いて今年で六年目。満開まであと少しの桜と日差しが、気持ちいい。
 急にぽかぽかしてきた陽気のせいなのか、ベンチで眠りこけてるお年寄りや、バスが来てるのにぼーっと立ち尽くしているスーツ服のお姉さんなんかで目白押しだ。
 大人になると忙しすぎて、みんな疲れちゃうのかな。
 そんなことを考えていると、道の真ん中に座り込んで動かない黒猫を見つけた。どんどん近づいて正面に立ってもぴくりともしない。
 生きてるのかな、それともよくできた人形……?
千斗せんと! 何やってんだ?」
 振り返ると、クラスメイトのジョージが不思議そうに立っていた。
「あれ? 珍しいね、君がこんな時間に登校するなんて……」
 ジョージは少し変わり者で、遅刻の常習犯。理由はいつも同じ。髪型が決まらなかったから。小学生のくせにやたらと髪型にこだわっている。今のブームはリーゼント。
 そして「クレイジー」が口癖。意味がわかってるのかどうか知らないけど、とにかくなんにでも「クレイジー」とつけたがる。去年は確か「マーベラス」だった。
「こんなところでぼーっと突っ立って、おまえこそクレイジーに珍しいじゃないか。とっくに学校始まってるぞ。俺はいつもどおりだ!」
「なんの冗談だよ。目覚ましの時間まちがえ――」
 ……ちゃって、早く起きたんじゃないのか? と言おうとして公園の時計を見た僕は、血の気が引いた。時刻は八時四〇分。授業が始まる時間だ。
 家を出たのが八時。いつもなら二〇分には学校に着いている。何をしていたか全然思い出せない。ここで、僕は三〇分もただ立ってたってこと? 
「おい千斗? 大丈夫か?」
「……僕、疲れちゃってるのかな? いつのまにかこんなに時間が過ぎてるもの……」
「わかるッ!」ジョージは大きくうなずいた。
「俺も毎朝鏡の前で、クレイジーに決まった髪型を見てると時間をすっかり忘れるぜ!」
 議論しても始まらない。とにかく急いで学校に向かった。
 下駄箱はシンとして、もう一時間目は始まっている。人生初めての大遅刻にドキドキして、心臓の音が廊下に響くんじゃないかと思った。
「どうしよう、先生になんて言おう……」
「大丈夫だよ。ふと立ち止まって自分の人生を振り返ってました! とかナントカ言えば、おまえなら信じてもらえるよ!」遅刻常習犯のジョージは笑い飛ばす。
「おはようございます! 髪型が決まらず遅刻しました!」
 勢いよく扉を開いて、いつもの言い訳を口にすると、クラス中が「またか」という顔で注目した。安西先生はすっかり呆れ顔。さらに僕に気づくと、ため息をついた。
「あなたもなの? 伊野君……。早く席に着きなさい」
 ジョージはスタスタと席へ向かうけど、あちこちから漏れる笑い声に、僕は今すぐ全部忘れたい気持ちでいっぱいだ。そんな都合のいい薬を誰か発明してくれたらいいのに。
 その日はずっと授業に身は入らず、頬づえをついてぼんやり外を眺めていた。
 給食を食べ終わって、五時限目が始まると、眠気はピークに達する。
 瞼を指で開いたり、頭を掻きむしったりして何とか起きていようと頑張るけど、眠気との闘いはまさに修羅場! 思いっきり寝てしまうという手もあるけどそんな勇気はない。目をしばたかせながら窓の外を見ると、イエローコスモバスが走っているのが見えた。
 十二の町で成り立つ黄道区を説明するのに、ピッタリなのは時計盤だ。《12》から時計回りに、山羊沼町《1》、水瓶町《2》、魚海町《3》、羊ヶ丘町《4》、牛見町《5》、双子山町《6》、蟹平町《7》、獅子丘町《8》、乙女町《9》、天秤池町《10》、蠍通り町《11》、人馬町《12》で時計を一回り!

コスモ市黄道区

 町の名前からもわかるように、水瓶町《1》と魚海町《2》の上は海だ。
 コスモ小学校はすべての町の真ん中にある。ぐるりと一周バスレーンが敷かれていて、それに沿って菜の花が野生している。四月にもなると、時計の周りを囲むように咲き誇る様子はそれは見事で、この黄色い道が『黄道区』の由来なんだって社会の授業で習った。
 ぼんやりしていると突然衝突音が聞こえた。みんな揃って窓の外を見る。目を凝らすと一台のイエローコスモバスが、街路樹に衝突していた。
「コラ! みんな! 静かにしなさい」
 先生の声で、一旦は落ち着くけれど、またすぐに騒がしくなる。サイレンが複数同時に聞こえてきたからだ。
「救急車だ!」みんな次々に窓に集まった。「え! どこどこ⁉」
 遠すぎてよく見えない。でもとにかくバスが事故を起こしたようだ。先生までもが身を乗り出していたけど、はっと我に返ると、教壇に戻って大声を上げた。
「ほらみんな席に戻って! 運転手さんが居眠りでもしてしまったのかもしれないわね。一瞬の気の緩みが、思わぬ事故に繋がります。あなたたちも気を引き締めなきゃダメよ」
 さすが先生だ。どんなことでも、すかさず教育の材料に変えてしまうんだから。
「はーい、みんな聞いて。来週はグループ毎に分かれて調理実習をします。これからグループ分けのプリントを配るので確認してね」『家庭』の授業が再開される。
 グループ分けのプリントが配られる。前席の生徒から受け取り、後ろへ回すと、僕は自分の名前を探した。伊野千斗、伊野千斗……あった! ジョージも一緒だ。Dグループは他に向井マルコ。男子はこの三人。肝心の女子は……湖山紅葉と北川ミチルだった。
 マルコは、お父さんが日本人でお母さんがブラジル人のハーフ。ポッチャリ体型で大柄、食べることが大好きで運動が大嫌い。半分ラテンの血が流れてるなんて、本当なのか疑いたくなるほどおっとりしてる。でもジョージいわく、マルコのチリチリ頭は間違いなくラテンの血をクレイジーに継承していると言って一目置いている。
 紅葉はスポーツ万能で陸上部の部長。『コスモ小の流れ星』なんて異名がついている。勝気な紅葉はプライドが高くてとっつきにくい。しかも気が短くてすぐに食ってかかる。
 北川ミチルとはあまり話したことがない。というのも、一人でいることが多くて、誰かと話してるのをまず見ないからだ。とにかく本が好きで休み時間はずっと本を読んでいる。放課後は図書室に入り浸っているともっぱらの噂だ。一度、貸出履歴をこっそり調べてみたことがあるんだけど、ゲーテとかニーチェとかさっぱりわからない世界だった。
 勝手なイメージだけど、ミチルは不思議系女子で間違いない。で、何を言いたいかっていうと、Dグループには料理が得意な生徒が一人もいない。本当に残念だ。
「みんな、聞いて!」先生が手を叩いて注目を促した。「一グループの予算は一五〇〇円です。これで人数分のおかずを二品作ってもらいます。いいですか? 二品です」
 先生が口の横に手を当てて声を張り上げるけれど、みんなあまり聞いていない。
「来週までにグループで話し合って、作るメニューと必要な材料を調べておくこと!」
 そのとき、タイミングよく終業チャイムが鳴った。
 帰り支度をすませたみんながバタバタと教室を出ていくと、ジョージが近づいてきた。
「まったく、クレイジーなグループ分けだよな?」
「頼みの女子メンバーがね……メニューどうしようか」僕は苦笑いで答えた。
「そうだなあ、サラダにでもするか? 二品だろ? ハムサラダとチクワサラダ?」
 そのふたつが並ぶのを想像してみる。他のグループがあれこれ頑張ってる間に、僕らの前には、ハムを散らしたサラダとチクワを散らしたサラダがあっという間に完成?
「それ笑えないよ……」
「だよなあ」
 僕たちが苦笑いしていると、おっとりマルコが、嬉しそうにやってくる。
「ねえ、ボクも一緒だったよ! ボクはね、ビーフシチューとマカロニグラタンが食べたいんだ! どうかな?」
 黙って微笑む僕たちを見て、マルコが不思議そうにした。
「アレ? 二人とも嫌いなの? シチューとグラタン」
「ううん、大好きだよ。うちでも中々作ってくれない、手の込んだメニューだしね」
「でもな、マルコ。このメンバーじゃそいつはノーベル賞を取るより難しそうだぜ!」
「ええ? そんなあ」
 がっくりと肩を落とすマルコを、ジョージが励ました。
「ドンマイ! 俺らはサラダ二皿にして、山羊みたいにムシャムシャ食べようぜ!」
「何サラダ?」
「ハムとチクワだ!」
 夢も希望もないジョージの言葉に、マルコは今にも泣きだしそうだ。
「おーい! そこの三バカ!」教室の隅から紅葉が声をかけてくる。「ミチルも誘って一時間後にライオン公園に集合してよ! あたしも、部活に少し顔出してから行くから!」
「冗談じゃないぞ! 俺たちだって暇じゃないんだ!」
 一方的な要求にジョージが不満そうに返すと、紅葉は黙って睨みつけた。
 その無言の圧力にジョージはこんな風だ。
「オ、オゥわかったよ! 一時間後にライオン公園な!」
 誰もジョージの掌の返しようを責めたりなんてしない。だって紅葉は怖いんだもの。
「じゃあ頼んだわよ」
 紅葉が言い残して教室を後にすると、ジョージが肩をすぼめた。
「千斗、すまねえ……」
 いや、むしろ一度でも紅葉に言い返せるなんて、勇気のある方だよ……。
「それにしても、紅葉ちゃんは、なんでボクたちをライオン公園に集めるのかな?」
「大丈夫、マルコが心配するようなことじゃなくて、きっと来週の実習のことだよ」
 僕がそういうと、マルコは笑顔を取り戻した。
「よかったー。ボク、ほっとしたよ」
「しかし、ミチルはどこにいるんだ? あいつはどこでなにしてるのか、さっぱりだぜ」
 教室内に、すでにミチルの姿はない。でも机には、まだ手提げカバンが残っている。
「ひょっとしたら図書室かも?」
 僕がそう言うと、マルコが首を振った。
「違うよ。ミチルちゃんはたぶん花園にいるよ。ほら? 校舎の裏に園芸部の花壇があるでしょ? 放課後は、いつもそこで絵を描いてるよ」
 花壇は裏門の手前にある。地域住民にも公開されていて、出入りは自由。見晴らしがいいので〝花園〟と呼ばれ、人気のあるスポットだった。僕とジョージは顔を見合わせた。
「マルコ、君、ミチルと仲良いの?」
「うん。だってボク、六年間ずっと、ミチルちゃんと同じクラスだからね」
「ええ⁉ そうなのか⁉」
「そうだよ、でもそれ、そんなに驚くこと?」
「いや、まあ? それほどクレイジーでもないけどよ?」
「花園かあ。とりあえず行ってみよう」
 全体が一望できる丘の上でミチルは絵を描いていた。座って木に寄りかかり、画板と風景を真剣な目つきで交互に見つめる。よほど集中しているのか、まったく気づかない。
「ミチルちゃんにはすごい感性があるんだ! きっと有名な芸術家になると思うな!」
 声をかけようとすると、マルコが唇に指を当てて、僕たちを止めた。
「ミチルちゃんが気づくまで待とうよ。邪魔しちゃ悪いしね」
「それもそうだな」と、ジョージも賛成する。僕たちはその場で待つことにした。


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