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「時間泥棒」第四話

第四章

黒野時計堂

 白髪頭で、伸びっぱなしの無精ひげ。ニッコリと笑うしわくちゃの顔は優しそうだ。
「ここはどこですか? 僕たち猫を追いかけてたら、いつの間にかここに来てしまって」
「立ち話は、老人の私には堪えるよ。中でゆっくり話をしよう。さあ、みんな入って」
 お爺さんはニコニコ顔でそう言うと、白猫をつれてお店の中へと入っていった。
「ちょっと! あのお爺さん、絶対普通じゃないわよ⁉ あたしは行かないからね!」
 紅葉が店に入るのを拒むと、ミチルが言った。
「大丈夫よ。なぜだかわからないけど、悪い印象は受けないわ」
「でもさ、どのみち入るしかないんじゃないか? ここでどれだけ眺めてても、俺たちには店の入口しかないんだから」そう言うと、ジョージはさっさと入った。
「あいつったら! なんて協調性のないやつなのよ⁉」
 でも確かにここで立ち尽くしていても、何の解決にもならない。もしここから出る方法があるなら、きっとその方法を知ってるのはあのお爺さんだ。
「紅葉ちゃん、大丈夫? 行きたくないならボクも一緒にいてあげるよ」
 マルコみたいな怖がりに心配されて、プライドが傷ついたのか、紅葉は「別に怖いわけじゃないわよ!」と声を荒げると、マルコの手を振り払って中へと入っていった。
 僕とマルコは揃って肩をすくめ、笑いを堪えながら紅葉に続いた。
 ひっそりした店内に、時計の音がカチコチと響く。床を踏むたび、ギッ……ギッ……っと軋む音が時計の音と混ざり合い、演奏会でも始まりそうな気分だ。狭い廊下を進むと広間に出た。「ちょっとなにここ⁉ すごいわね!」紅葉が目を見開く。
 部屋中いたるところに時計が並んでいた。置き時計、壁掛け時計、振り子時計、外国のおもちゃみたいなカラクリ時計……。中央には大きな柱時計。
「うわあ、天井にまで……ボクこんなの見たことないよ」
「よお! 早く座れよ! じいさんが出してくれたこの紅茶、抜群にクレイジーだぞ!」
 先に入ったジョージはティーカップを手にして、一足先にもてなされていた。
「さあ、座ってくれ」タイミングを見計らったように、奥からお爺さんが現れる。その足もとには白猫がいた。「あ、マシュマロ! チッチッチ、おいで~」
 マルコが声をかけると、白猫は素直に近寄ってきて、膝の上に飛び乗った。
「マシュマロ~、おまえ、フニフニだな~!」
 白猫はまんざらでもないのか、膝の上ですっかりリラックスだ。それを見て、ミチルがカメラを取り出して構えた。
「マルコ動かないで。お店の雰囲気と、膝の上でじゃれる猫がとっても素敵だわ!」
 ミチルがシャッターを押そうとすると、お爺さんが慌てた。
「おおっと! カメラはやめてくれ」
「えっと、ごめんなさい。写真を撮ってはダメですか?」
 映画館や美術館では、《撮影禁止》という注意書きを見かけるけど、ここにも流出したらまずいような貴重な時計があるってこと?
「それもあるがね、ほら? 昔から言うだろう。写真に写すと魂が抜かれるって……」
 お爺さんがニッコリ笑うと、ミチルもニッコリと笑い返した。
 それだけの説明でミチルが納得したことが不思議だったけど、二人にはどこか謎めいた共通のオーラがあるから、気が合うのかもしれない……。
「さて、まずなにから話をするんだったかな?」ゆったり椅子に腰かけると、お爺さんはおかしな口ぶりで話し始めた。
「ここは一体どこなんですか? 僕たち商店街に帰りたいんです」
「そうだったね。ここは、《時間の狭間》と呼ばれる所だよ」
「時間の、はざま?」唐突な言葉に僕たちは目を丸くした。
「それってどういうことですか?」紅葉が尋ねる。
「つまりね、ここは過去でも、現在でも、はたまた未来でもない場所だ。つまり《時間》という干渉を一切受けない《外側の世界》なんだよ」
 ミチルはただ一人、何度もうなずいている。僕と紅葉は意味がわからず顔を見合わせ、ジョージとマルコにいたっては、すでに話すら聞いていない……。
「わかりづらいかな? 君たちがここへ来たのはちょうど午後五時。そして、今でも午後五時のままだ。つまり何時間ここで過ごそうとも、午後五時から、一秒だって進まない――ここは、そんな《外の世界》なんだよ」
 お爺さんは難しいことを言った。
「もちろん《外》というのは、君たちにとっての《外》であって、私たちにとっては、君らの世界こそが《外》でもあるんだがね」
 そんな世界が現実にあるなんてとても信じられない。
「私はね、ずっとここで《時間の管理人》として仕事をしているんだよ。今日、君たちの中で、気がついたらこんなにも時間が過ぎてた、と思った人はいないかな? その間なんの記憶も残ってない、なんていう不思議な経験をした人はいるかい?」
 今朝の出来事や、ライオン公園で紅葉を待っていたときのことを思い出す。ジョージには縁側のお爺ちゃんって笑られたけど。
「でもそれが……時間とどう関係があるんですか?」
 お爺さんが柱時計の正面に立った。
「この時計を見てくれるかい?」
 柱時計には、どこか違和感があった……。よく見ると、短針と長針がなく、振り子だけがユラユラと揺れている。
「針がない……⁉」
「シロ、戻りなさい」
 お爺さんが命じると、白猫はマルコの膝から飛びおりた。
「あっ、マシュマロ!」
 白猫が、柱時計の文字盤に向かってジャンプすると、次の瞬間、するりと中へ吸い込まれた。
 文字盤の《5》の位置に、すうっと短針が現れる。
「マシュマロか、いい名前だね。ありがとう。シロはこの柱時計の短針なんだ。彼には双子の兄弟がいてね。もう一匹はスラッとした黒猫なんだが、逃げてしまったんだよ」
「それが、僕たちの時間の話と、なんの関係があるんですか?」
 トントン――とお爺さんが柱時計を指で叩くと、再び文字盤から白猫が飛び出し、マルコの膝の上に飛び乗った。
 あまりの不思議な出来事に、みんな目を丸くしたままだ。
「クロはとてもいたずら好きでね。他人の時間を分単位で抜き去ってしまうんだよ」
「じゃあ、今朝や公園での出来事って⁉」
「おそらく、クロの仕業だね」
 やっぱりそうか。ぼんやりして、時間が経つのを忘れてしまったとばかり思っていたけど、陽気のせいでも、疲れていたからでもなかったんだ。じゃあもしかして他の人も?
「時間を抜き取られる前に、近くに黒い猫がいなかったかい?」
 そうだ! 学校に向かう途中で、道の真ん中に動かない猫がいた。近づいていったところまでは覚えているけど、次の瞬間、ジョージに呼ばれて気が付くと時間が経っていた。
「確かに近づいても逃げない変な猫がいました!」
 ライオン公園で紅葉を待ってたときもそうだ。みんなが自由気ままにあちこち行ってしまって、ひとり残された僕が退屈しのぎに通りかかった猫を見ていたら、いつの間にか全員集合していた。立ったまま寝ちゃったのかもって、すごく落ち込んだけど。
「あっ! わたしも覚えがあるかも⁉」ミチルも声をあげる。「千斗君たちが花園に迎えにきてくれたとき。絵を描きに花園に行って、スケッチブックを開いたの。そのとき、近くにいたすらっとした黒猫に見とれてたら、いつの間にか寝ちゃったみたいで……。声がして振り返ったら、千斗君たちがいてびっくりしたわ!」
「もしかしたらあたしも経験したかも⁉ 部活の練習メニューのことで、副部長に引き継ぎをして、校門を出るところで黒猫を見た! なんかスタイルのいい猫だなーって思ってたら、気づいたらとっくに猫なんて消えちゃってて……。それで、すぐライオン公園に向かったんだけど、みんなを随分待たせてたみたいで」
 紅葉もだ。自分で集合をかけておきながら来るのが一番遅かった。僕、ミチル、紅葉――三人とも不思議な体験に黒猫が出てくる。
「じゃあ、もしかして俺が毎日遅刻するのも、そのクレイジーキャッツの仕業なのか!」
 ジョージが大袈裟に目を見開くと、お爺さんは苦笑いしながら首を振った。
「でもさでもさ? 分単位で時間を盗まれるくらいなら、まだかわいい悪戯だよね?」マルコが言う。
「かわいい悪戯だって? とんでもない! いいかい? この世界に生きる者にとって、時間というのは、すべて平等に与えられるものだ。寿命により、使える時間には差があっても、一秒という長さがバラバラになってしまったら、それでは不公平だろう?」
 お爺さんは真剣な顔で語った。
「一秒という長さがバラバラに……?」
 そんなこと、これまで一度だって考えたことはなかった。
 僕たちは普段何をするにも時計に頼っている。メトロノームにストップウォッチ、将棋で使うチェスクロック。もし人それぞれ時間の感覚が異なってしまったら、何を基準にして生活すればいいんだろう。例えば紅葉だって、陸上大会では他の選手と速さで競っている。学校の授業にも、友達と待ち合わせるのも時間が必要だ……。
「君たちにとって、時間とはどういうものかな?」
 授業中は退屈ですごく長いけど、テレビを見てると一瞬だ。日曜日はすぐ終わっちゃうけど、月曜日は長い。眠って起きて、ご飯を食べる。学校に行って部活で汗を流す。どんなふうに毎日を過ごしたか、中身はみんな、きっとそんなに変わらない。でも……。
「これまで、時間というものを意識したことなんてなかったです」
 僕がそうつぶやくと、みんなも頻りにうなずいた。全員がそれぞれ、色々な時間を積み重ねて成長し、今日を迎えているはず! だとすれば、時間ってのは空気と同じくらい大切なんじゃないか?
「時間の大切さがわかってきたかな? それにね、時間を盗まれるということは、大きな悲しみを生むこともある。君たちのお父さんやお母さんが、車の運転中に時間をかすめ取られたらどうなるか考えてごらん。バスの運転手が時間を盗まれてしまったら?」
 それを聞いてマルコが体を震わせる。そのたとえ話はとても真実味があった。お爺さんが口を開くたびに、具体的な様子が頭に浮かんだ。そして同時に、教室の窓から見た街路樹に衝突したイエローバスや、ライオン公園を出た石門坂下で聞いたサイレンの音なんかを思い出していた……。もう被害は出始めているんだ!
「ねぇ、お爺さんは時間の管理人さんなんでしょ? なんとかならないの?」事の重大さに気づいたマルコが詰め寄った。
「クロを捕まえることができれば解決できるんだが、私はここを離れられないんだ」
「もしかして、マシュマロを使って、わたしたちをここへ導いたのはお爺さんですか?」
 ミチルの言葉に、みんなが一斉にお爺さんを見た。
「さすが、鋭い子だね。そのとおりだよ。君たちなら、きっと私の助けになってくれると思ったし、なにより、この問題を解決する力を君たちは持っているんだ」
「あたしたちが?」
 信じられないって顔で紅葉が聞くと、お爺さんは力強く答えた。
「そうとも。『考える力』に『勇気』『優しさ』や『行動力』そして『感性』を君たちは持っている。君たちがお互いに協力すれば、どんなことだって解決できるはずだよ」
「わかったわ! あたしたち、その黒猫を捕まえるわ!」
 紅葉が大きくうなずく。
 何もしなかったら、僕たちの毎日はやがて黒猫のいたずらでめちゃくちゃにされてしまう。家族や友達に危険がおよぶのはいやだ。
「ありがとう。そうだ、君たちに渡しておきたい物があるんだ」
 お爺さんが、戸棚から何かを取り出した。
「これは? 腕時計?」ジョージが手にしてマジマジと見つめる。
「大した物ではないが、腕時計型の通信機だよ。もしはぐれてしまっても、これがあれば合流できるだろう? 横のボタンを押しながら話せば、声がみんなに届くからね」
 ジョージはさっそくシャツをまくり上げ、ボタンを押した。
「あー……あー……マイクテス、マイクテス。こちらクレイジー1号どうぞ?」
 目を輝かせる。通信機を使わなくても聞こえる距離で、さっそうととつぶやくジョージが少し残念に思えてくるけど、当の本人はいかにも! といった風情で肘を曲げ、格好つけている。
「あー……クレイジー2号どうぞ?」
 そんなジョージには反応せず、みんなも次々と腕時計を手首にはめていった。
「なんだかボクたち、エージェントになったみたいだね!」
「デザインが、ちょっとわたし好みじゃないかな?」
 ミチルはさらりと毒づきながらも手首の腕時計をかざした。
「この町の平和を乱すやつは、あたしが許さないわ!」
 凛々しい顔つきで腕時計をはめた紅葉が、意外にも一番ノリノリで、僕は驚いていた。
「お爺さん、その黒猫の特徴ってなにかありますか? 黒い猫とひと口にいっても、この町だけでもきっと何十匹もいますよね? もし捕まえても間違ってたら意味がないし」
「クロはね、左目をケガしていて、片目なんだよ。大きな特徴はこれぐらいだ。シロを連れて行きなさい。シロがいれば、ここと商店街との行き来が可能になる」
 マシュマロが壁に向かって歩くと、するりと吸い込まれた。
「クロを捕まえたら、連れて来ておくれ。でも絶対に無理だけはするんじゃないよ。君たちが力を合わせれば、必ずクロを捕まえることができるはずだ」
 僕たちは大きく肯くと、続けざまに「壁」へと進んだ。
 わんわんとかすかに響くような音が変化し、次第に騒がしい人混みの音が、はっきりと耳に届いてくる。
 気づくと、元いた商店街の薬局と本屋の隙間の前に立っていた。
 通行人たちは、突然現れた僕らを気に留める様子もない。
「夢……じゃないよな?」
 ジョージが辺りを伺う。ついさっきまで体験していた出来事が、不思議な夢のように思えて仕方がなかった。
「ニャーン!」
 足元には、すまし顔のマシュマロが座っていた。
「ねえ! 腕時計の時間を見て!」
 紅葉の声で、みな揃って腕時計を見る。
 時刻は午後五時。夢じゃない! 
「あー……あー……こちらクレイジー1号、応答してください!」
 ジョージが通信ボタンを押して話し出す。
「本当だ! 夢じゃねえ!」
 通信機を通さなくても十分届く距離でまたおかしなことをやっているけど、みんな冷ややかに見るだけで誰も応答しない。
「よし、さっそくスカーフェイスのやつを探そうぜ!」
「スカーって、傷って意味? 片目だからか。ジョージ君にしてはセンスが良いわね」
 ミチルが褒めると、ジョージが顔を真っ赤にして照れた。
「今日はもう遅いし。明日の放課後に、また集まりましょ!」
 紅葉が仕切り直す。
「そうだね。今日は解散して、明日から本格的に捜索しよう」
 僕がそういうと、聞き覚えのない声が頭の中に響いた。
(じゃあボクは、おじいさんのところに戻ることにするね)
 エコーがかかったみたいに直接脳内に届いた声に驚いて、僕は辺りを見渡した。気がつけば他のみんなも同じ仕草を見せている。
「今、わたしの頭の中で、誰かがしゃべったわ!」
「あたしも聞こえた! お爺さんのところに戻るって!」
 紅葉も声の出所を探る。
「男の子の声だったよ! ボクって言ってたし」
 マルコの足元で、大きな鳴き声が上がった。
「「ボクだよ」」
 みんなが一斉にマシュマロに目をやる。
「クレイジー……おまえ、話せるのか?」
「うん、ボクはみんなの頭の中に直接話すことができるんだ」
 突然の告白に僕たちは固まった。ジョージは口をポカンと開けたまま。でも商店街を歩く他の人たちは気に留める様子もなく、至って普通に買い物をしている。声は僕たちだけに届いているらしい。
 マシュマロは、淡々と僕たちに話しかける。
『ボク、明日も公園に行くから、授業後に集まってくれる?』
「わかった! 明日もあたしは部活を休むわ」
 紅葉が張り切って声をあげると、ミチルも賛同した。
「そうね、わたしも花園のスケッチは暫くいいわ。明日の集合時間を決めよう」
「みんなゴメン、ぼくはお昼ご飯を食べに帰ってからだと、早くても二時くらいになるよ」申し訳なさそうにマルコが言う。
 土曜日は四限までで、お昼はみんな家で食べる。ライオン公園に集まるとすると、魚海町に住んでいるマルコは一番遠い。それに足も遅いから時間がかかりそうだ。でもせっかくの土曜日、なるべく沢山の時間を捜索にあてられないかと、僕は頭を悩ませた。
「ねえ、みんな、明日学校にお弁当を持ってこれない? いったん家に帰ってまた集まるんじゃ時間がもったいないし、お弁当を持ってライオン公園に行けば、午後一時にはスカーフェイスの捜索を始められるよ! 食べながらみんなで話し合いもできるしね!」
 僕の発案に、みんなが賛同する。
「それいいね! そうしよう」
「じゃあ決まりね! 明日はお弁当持ち寄ってライオン公園よ!」
 紅葉が仕切り直し、みんなは改めてうなずいた。
『じゃあボク、明日、ライオン公園で待ってるね』
 マシュマロは語りかけると、商店街の隙間へと消えていった。
「じゃあ僕たちも帰ろう!」
 赤く染まり始める家路を、僕たちは急いだ。

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