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「あかりの燈るハロー」第五話

第二章

ハローワールドの住人

(1)

 午前の授業が終わり、給食を食べ終えると、あたしは残りの休み時間を図書室で過ごす。

 ♪ ハウマッチウッド・ウッドアチャック・イファウッドチャック・クッドチャックウッド?

 図書室へ向かう廊下で、あたしは鼻歌混じりに早口言葉を口ずさむ。
 昔はお母さんとよく言葉遊びをした。ロンドン橋や十人のインディアン、ヒッコリー・ディッコリー・ドックなんかの言葉遊びも。歌の意味なんてとっくに忘れてしまったけれど、一言目が走り出すと不思議と条件反射のように、吃らずに最後までいえる。
 本を読むのは好き。だって、頭の中では全然吃らずにすらすら読めるから。現実に音読すれば、あたしは途端に本が嫌いになるだろう。だからまあ、安西先生が国語であたしを当てないのは、本を好きでいるためにはちょっと感謝しなくちゃならない。
「茜ちゃん、図書室? あたしも行く」
 ついてこなくていいのに、友子は必ずくっついて来て、図書室で時間をつぶす。
「茜ちゃんはほんとにいつもすごいよねえ。あたしなんか、宿題の本でさえ最後まで読めないのに。ねえ、今日はどんなの読むの? 最近なにかいいのあった?」
 友子は本を読むのが苦手。というより、そもそもじっとしていられない性格。まあ彼女ひとり教室に残っていても、きっと居心地は悪いだろうから、したいようにすればいいと思っている。
 ただ、あたしが本を読んでる間、どうでもいい話で邪魔してくるのには、正直うんざりなんだ……だって、本の内容がぜんぜん頭に入ってこないんだもの。
「な、なっなんにも、と、……とくに、はないよっ」
「そっかあ、なんか面白い本を見つけたらあたしにも教えてね」
 友子はどうしてか、肘をついてうれしそうにあたしを見る。これにはなかなか慣れない。自分も本を読めばいいのに、ただ隣でつきあっているだけだ。
 なんでいつもピンクの服を着てるのかとか、なんで本を読まないのに毎日図書室についてくるのかとか、とにかくわからないことだらけ。でもうまく質問もできないから、きっとこの先も聞くことはないんだろう。
 今日読んでいるのは『ワンダー』っていう本。生まれつき顔に障害がある、オーガストっていう男の子の話。――水色の表紙がかわいかったし、片目しか描かれていない男の子の顔がアップになっていて、すごく気になった。
 あたしがその本を手に取ったとき、友子は、「すごーい! 太い本だねっ」とうれしそうに言った。太い本だとすごいの? 言ってる意味はわかるけど、どことなくあたしの心はざらつく。でもこれも、やっぱりうまくいえないんだ。
 三ページも進まないうちに、友子がまた袖口をいじっている。なるべく気にしないように、気持ちをそらして本を読んでいると、ふいに友子がいった。
「ねえ、茜ちゃん、明日遊ばない? お母さんいないんだ」
「ご、ごごめん、……あっあ、明日びょっ、びょびょういんの日だよっ」
「あ! そうか、ごめんごめん! そうだったね、毎月第二金曜日は病院の日だった! 頑張ってね」
 友子は残念そうにしたけど、どことなくほっとしたようにも見えた。
「あ、五限は音楽かあ……」
 友子がふいにつぶやいて、暗い気持ちが舞い戻ってくる。図書室を出ると、友子がお預けを解かれた犬みたいにしきりに話しかけてくるけど返事をする気分になれない。黙っていると、「ねえ大丈夫? どっか痛い?」と心配してくる。
 音楽ね。普通にしゃべったり歌ったりできる人には簡単だ。時間割を見るたびに一喜一憂する気持ちなんて、普通の人にはわかるはずもないんだから。
 こうやって無邪気に口にした言葉が、あたしみたいな人間を傷つけることがあるってことに、みんなは気づいたりしない。
 それは無自覚でのことだし、誰の責任でもない。そんなことはよくわかってる。でもだからこそ、あたしはこうやって黙り込むしかない。本当に孤独だ。

 音楽の授業は、当たり前だけど国語の次に嫌い。まあ、一人だけ当てられて音読させられる危険は国語よりは少ないけど、音楽の美里先生はなんていうか無邪気な人で、遠慮なくあたしを指名する。
 もちろん歌ばかりじゃなくて楽器を使うことも多い。友子に、「五限は音楽かあ」といわれてすっかり暗い気分だったけど、今日はオペラのDVD鑑賞でほっとした。
 内容は、オペラを聴いて感想文を書くだけだったし、授業後に男子がソプラノ歌手のマネで鬱陶しかったこと以外は、とくに事件も起こらなかった。
 来週はアコーディオンを弾くらしい。合唱とか独唱のテストさえなければ、音楽の授業はそこまでしんどくない。
「椎名ぁ? おまえ将来オペラ歌手になればいいんじゃねえの? アーアーアーアーアーって発声練習、得意だろ?」
 教室に戻って帰り仕度をしていると、例によって根本と倉畑が絡んできた。
「ぎゃははははは!」
「なあ! 椎名ぁ! おれらに美声を聞かせてくれよぉ? ァアアァア~って」
 こいつら消えればいいのにっ……って思うけど、いっそこの教室から消えた方がいいのはあたしかもしれない。――って、そんなこと考えちゃうところが自分でも心底情けないし、くやしい気持ちでいっぱいだ。
「あんたたち、ちょっとふざけすぎなんじゃないの?」
 水嶋かなえだった。かなえは学級委員で責任感が強い。頭も良くて卒なくなんでもこなす。サバサバした性格だけど、友だち思いでまわりはいつも人でいっぱい。あたしとはまるで正反対だ。
「茜にあやまりなさいよ」
 もちろん感謝はしてる。でもかなえが持ち前の正義感を発揮するたびに、あたしはむしろ目立ってしまう。気づいてほしいけどたぶん無理。
 だから、なるべくかなえのそばにはいたくない。
「オオ? オオ? いつもながら優等生代表の水嶋センセイじゃないですか? 今日のお説教はなんでしょう?」
「なにが楽しくて、毎日毎日飽きもせずそうやって茜をからかうわけ? そんなんだから、あんたたち、根倉ねくらペアなんて呼ばれるのよ。じゅくじゅくしてカビでも生えそう!」
「オオ~ウ? カビですと! うまいこというなあ。どうよ、倉っち、なんかいい返してやってよ」
「水嶋みたいに暑苦しい男女おとこおんなが教室にいると、カビも生えるってもんですよ。湿気もすげぇ!」
「でもカビならよ、大和の机のがやばいから、この夏は水嶋も大和に弟子入り決定かあ⁉ こないだのソフトめんすごかったよなー? 半分食べかけのソフトめん! なんで机の中に突っ込むかってえの。もうあれだ、緑の巣窟! ちょっと高いパスタソースみてぇなの」
「……サイテー」
 ゲラゲラ笑い出した根本と倉畑に呆れ果てたかなえは、あからさまにイヤな顔をすると廊下へと出ていった。ほっとけばいいのに、いい顔して首突っ込んでくるから、こんなことになるんだ。
 教室に残されたのは、みじめなあたしと、じめじめした空気だけ。
 かなえが教室を出て行ったので、根本と倉畑は大和にターゲットを変更した。
「よ! 大和、おまえその膝どぉしたぁ? また盛大に穴開いてんな。膝小僧がドウモハジメマシテ!」
「大和のはハジメマシテじゃねえだろ?」
 根倉ペアがにやにやしている。
 大和はだいたいいつも同じ服を着ている。長いと一週間は同じだ。皺だらけのズボンに染みのついたシャツ。だから、『あいつの家に着替える服がない』なんて噂が飛び交い、貧乏だとか乞食だなんて陰口をいわれ出した。
 だけど大和は、そんなこと気にするようなやつじゃない。
「あ、これ? こないだやぶっちゃってさー」
「へぇ~。ジメジメ対策かあ? どうせなら大和の机にもさ、同じような穴開けといた方がいいんじゃねえの? カビ防止にってことで」
 聞いてるこっちが胸糞悪くなるよ!
「おおっ? うまいこというなあ。だよな! 誰か開けてくんないかなー? ところで国語のテストどうだった? おれ裏の課題なんにも書けなかったよー。六年生の心構えなんてまったくわかんねえし。おれより一年のが、絶対頭いいよなあ?」
「一年のが頭良かったら、さすがにそれはマズイだろ? でも、そうかもなぁ? 大和が教えられるのはカビの生やし方くらいか?」
 悪口いわれてるくせに、へらへらしてる大和にも腹が立つ。こいつらは、あんたと仲良くしたくてカビ呼ばわりしてるわけじゃないってこと、どうして気づかないの?
 もうさっさと帰るに限る……。
 あたしはランドセルに教科書を乱暴に詰め込むと席を立った。
「あ、茜ちゃん? 帰るなら一緒に……」
 友子が追いかけてくるけど、気づかないふりをして教室を出る。廊下にかなえと竹下さんがいて、なにやら話しながらこちらを見てくるけど、目をそらして通り過ぎた。
 じめじめした教室をこうやって今日も飛び出したところで、みじめな気持ちは教室に置き去りになんてされない。ずっとべったりこびりついたままだ。
 もう今日は誰ともしゃべらない。
 あたしはそう決めて家に帰った。


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