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患者の声

ペットボトル

先日急遽お願いしてリハビリを入れていただきました。
いつもは同行している夫にペットボトルを開けてもらっていたのですが、この時は一人だったため療法士さんにお願いして蓋を開けてもらいました。

くも膜下出血の前から右手の痛みに悩まされていたので、回復期でもペットボトルが開けられなくてリハビリ前に担当者にお願いしたりしていました。

でもその時は
「相変わらずですね〜」とか
「もうちょっと筋力つけないと」と笑われていました。

ところが今回お願いしたら
「開ける時どこが痛みます?」と聞かれました。
正直とても驚きました。
ああ、この方は常にそういう目線なんだなと思いました。

診断に脈診を合わせる

私は韓ドラの時代劇が好きなのですが、最初にハマったドラマは有名な「チャングムの誓い」でした。

その中でベテランの医女が自分の診断に脈診を合わせてしまい誤診してしまうという場面がありました。
新人だったチャングムは先入観を持つことなく脈診したというエピソードでした。

これはドラマゆえのお話ではありますが、先入観を持たずに人を診るというのは大変なことなのだなと思いました。

傾聴の仕事を経て

くも膜下出血前は傾聴の仕事をしていました。
カウンセリングでもコーチングでもなくただひたすら話を聴くそういう仕事です。
人に勧められて講習を受け始めた仕事でしたが思った以上に大変でした。

人の話を聞く時はどうしても自分の主観が入ってしまいます。
聞きながら「なんでこの人はこんなことを言っているんだろう?」
そういう感情が入るとすぐに相手に伝わってしまいます。
また主観が入っていると人ってとかくアドヴァイスをしたくなってしまうんですよね。

でも傾聴するとはそういうことではないのです。
自分の主観をできる限り排除し、
「どうしてこの人はこう思ったのだろう?」
「どうしてこの人はこんな行動に出たのだろう?」
疑問というより好奇心を持って聴くことなのです。

実際なんて大変な仕事なんだろうと思いました。
それと同時に家族を含めいかに人の話を聴けていなかったのか
ということに気がつきました。

医療の現場でも

今回の病気を経て思ったのは医療現場では傾聴力はとても必要なことではないだろうかということです。

なぜ患者さんはこういう症状を訴えているのだろうか。
どうしてここを痛がっているのだろうか?
心と体の両方の声を聴くことが必要なのではないでしょうか。

自分の経験に基づいて患者さんの声を判断するのではなく、
「なぜ?」「原因は?」と考えることが大切なのではないかと思います。

ルポライターで高次脳機能障害となった鈴木大介さんが
「脳は回復する」のなかでこう語っています。

これは本書でこの後もたびたび訴えることになる核の部分だが
大事なことなので何度でもいう。「患者の訴えを無視しないでほしい」”

私もこれは強く感じたことです。
なぜ先入観なく訴えを聞いてくれなかったのだろうか。
聞いた上で病状と関係なかったならばそれはそれで仕方がない。
けれどもそれは患者は判断できないから訴えているわけで、最初から聞く耳を持たれないことは辛い。

そしてのちに訴えていたことが障害だったと知った日にはやりきれないなんて言葉では割り切れないのです。
にも関わらず訴えるところもなく、
そこからリハビリにつながることも無かったりするのです。

もう少しでいいから、
患者さんのこの一声をちゃんと聴いたらその人の今後の人生が大きく変わるのかもしれない
そんな風に思ってもらえたらと思っています。

自費リハビリにたどり着いて

幸い私は家族の理解があり麻痺に関しては自費のリハビリを受けることができています。

そして高次脳機能障害についても退院後半年以上経ってようやく専門医の受診に辿り着くことができそうです。

そんな中で感じているのは一時話題になった「療法士ガチャ」という言葉です。
今のリハフィットに辿り着くまでは
良い方に担当されていたのだと思っていました。なぜならいい療法士さんとはどんなものか知らなかったからです。

急性期の担当者はとてもいい方だったと思っています。
それはリハフィットに巡りあった後も変わらない思いです。

でも回リハの方はどうだったのか。
私の訴えを聞いてくれていたわけではなかったのだと今の療法士さんを通して感じています。

急性期の方、そして今の自費リハの方。どこの施設にいるからとか開業しているからとかではなく、その方自身が療法士という仕事をどう捉えているのか、そういうことなのだろうと思っています。

回復期の方がもっと…と色々思うことはあります。
それでも長い時間を共に過ごし退院まで導いてくれた方です。
だからこそ「はずれだった」と思いたくない自分がいます。

そして自分のような思いをする人がこの後一人でも減るように、
そして担当だった方に私の思いを気づいてもらえたらと
退院後思うようになりました。

だからこそこうして一人でも多くの方に自分の思いが伝わればとブログを書いています。

その一方でこういうものに目を通そうと思ってくださる方は、最初から患者に寄り添いたいという想いを持っている方なのだろうとも感じています。

でも小さな想いでもたくさんの人数になればいつかは医療従事者に届くのかもしれません。
だからもしもこれを見てくださる患者側の方がおられ、同じようなことを思ったことがあったならばぜひ声にしていただきたいです。
いつか誰かに届くのではと思っています。

そして今、私の声にきちんと耳を傾けてもらえていること。
声にできないことも聴き出そうとしてもらえるセラピストに出会えたことを感謝したいと思います。

そしてセラピストに絶望しリハビリを諦めておられる方がいらしたら、
皆がそうではないことを知っていただけたら嬉しいです。