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中途障害者の特性

「目が見えない白鳥さんとアートを見に行く」
映画化もされたのでご存知の方も多いかと思います。
この本の中の"どきっ"とした言葉について語ってみたいと思います。


本との出会い

この本を知ったのはくも膜下出血を起こす前のことでした。たまたま仕事で知り合った方が、私が視覚障害者のためのボランティアをしていると聞き紹介してくれたのがきっかけでした。

視覚障害者の方と触れ合う機会は一般の方より多かったので皆さんがとても活動的なことは知っていました。が、視覚障害の方が美術鑑賞?正直とても驚きました。

内容について書きたいことはたくさんあるのでまた後日ゆっくり(いつになるやら‥)と思っていますが、ボランティアをしていた私にも衝撃的なタイトルかつ内容の本でした。

目が見える人は努力しなくていいの?そんなのずるい!

本の中で私がドキッとしたのはこの部分です。

白鳥さんが生まれたのは一九六九年。両親はふたりとも青眼者で、親類一円を見回しても視覚障害者はいなかった。そのため、家族には「目が見えない=苦労するに違いない」という漠然としたイメージがあり、特に白鳥さんを「けんちゃん」と呼んで溺愛した祖母は、繰り返しこう諭した。
「けんちゃんは目が見えないんだから、ひとの何倍も努力しないといけないんだよ。助けてもらったらありがとうと言うんだよ」
 それを聞いた幼少時の白鳥さんは、じゃあ、目が見えるひとは努力しなくていいの?そんなのずるい!と感じた。
「自分には、目が見えないという状態が普通で"見える"という状態がわからないから"見えないひとは苦労する"と言われても、その意味がわからなかった」

目の見えない白鳥さんとアートを見に行く

ここを読んだびっくりしました。
当たり前ですが、小さい時から見えなかった白鳥さんにとっては"見えない世界"が普通で"見える世界"は想像出来ない。
だから"見えたらどれだけ便利なのか"はわからないんですよね。そんなことにも気がついていない自分がいました。

それと同時に
"見えるひとは努力しなくていいの?そんなのずるい"
という白鳥さんの感性に驚きを感じました。

見えない世界を知って

その後くも膜下出血をおこした私は後遺症により一時的に視力を失いました。自然治癒する可能性も否定できないということで経過観察期間が置かれ1ヶ月以上見えない中での入院生活となりました。

トイレからお風呂まで、誰かの手を借りなければ何も出来ない。見えないとはこういう世界なのだと驚きました。

意識がはっきりして目が見えないとわかった時は
"ボランティアができない、趣味の刺繍もできない、受講始めたばかりの心理の勉強はどうなる?"
そんなことが頭を過りました。

でも実際にはそんなところではありません。トイレもお風呂も着替えも1人では何もできない。
そしてコロナ禍で面会が許されない中、家族とのメッセージも電話も自分ではできない。絶望の入院生活のスタートでした。

病院だから見えない人への対応はしてもらえるもの。そう思っていましたが実際は全く違っていました。
食事も歯磨きもテーブルに置かれるだけ。自分で手探りでやらなければなりません。
センサーが取り付けられたベッドの上でただ時間が過ぎるのを待つ毎日。世の中にポツンと一人取り残された感じでした。
中途失明の人の最初の世界とはこんな感じなのかもしれません。

目が見える世界に生きていたからこその絶望感だったのかもしれない。振り返ってそう思います。

退院後の世界

目の手術が成功し、回復期を経て元の社会に戻って来た私を迎えたのは"障害者"としての生活でした。
身体の麻痺は軽かったものの、後からわかった高次脳機能障害。私の生活を大きく変えたのはこちらの後遺症でした。

見えない期間があっただけに退院後は早々に復帰したい。そう願っていた視覚障害者のための音訳ボランティア。ところが記憶障害や注意障害に邪魔されてうまく録音ができません。
趣味の刺繍も高次脳機能障害に加え左手の巧緻運動障害のため出来なくなりました。

これまで自分を形取っていたものがどんどん失われていく世界でどうしていったら良いのか苦悩の日々が続きました。

出来ることに目を向ける?

高次脳機能障害。自分がなるまでは名前も知らなかった障害でした。
見た目からは何もわからない、故に理解されにくく配慮もされにくい。苦しいのに手を差し伸べて貰えないことも然りですが、"理解してもらえない"このことに苦しめられました。

正直家族にさえ最初は理解されませんでした。本やネットで知識は得られてもどういうことに苦しんでいるのか想像してもらえない。
換気扇の音や物忘れの辛さを話しても「俺もあるよ、一緒だよ」夫にそう言われるのがとても悲しかったです。

脳外科の診察で先生に訴えてみても
「バカになった訳ではないんですから。できる範囲でやれる事を」
そう言われるだけで
「大変ですね」「辛いでしょう」の一言もありません。

どこへ行っても
「出来なくなった事じゃなくて出来ることに目を向けましょう」
そう言われるばかりでした。

「先生は突然手が麻痺してメスが握れなくなっても、高次脳機能障害で医師として働けなくなっても、半年やそこらで出来ることに目を向けられますか?」

そう聞いたらどんな答えが返ってくるんだろう?
決して興味からではなく、自分って性格悪いなと思いつつそう口にしたくなります。

どちらが辛いとかではなく

はっきりと言っておきます。先天性の障害と中途障害、どちらがより辛いとかではないと思っています。辛さの質が違うだけなのだと考えています。

私は中途障害者なので"先天性の方の気持ちがわかります"とは申せません。
一度でいい、世の中を見てみたい。
一度でいい、自分の足で歩いてみたい。
その気持ちが一体どんなものでいかに苦しいものなのか、身をもって知ることはできません。
ただ想像し、そういう気持ちを理解し共感したいと思っています。

だからこそ白鳥さんの
"目が見えない人ってずるい"
この言葉にとても驚かされました。

健常だった時の記憶はしっかりあります。ある意味ずるいと思われる立場の人間でした。だからでしょうか?私は障害を負っても健常の人がずるいという気持ちにはなりません。

私の考えではありますが、先天性の障害と後天性の障害の大きな違いは他人に加えて過去の自分とも戦わなければならないことではないでしょうか。

健常者=過去の自分 でもある訳です。
"頑張っても周りの人と同じことはできない"
このことを感じる度に
"過去の自分なら出来たのに"
そう思います。そして
"あの時、病気にさえならなければ"
そこに引き戻されてしまいます。

そして健常者からの心ない言葉に傷つきつつも
"自分が健常者だった時は果たしてどうだったか?"
そう思うと酷いと思いつつ、相手を責めきれない自分もいたりします。

特に"高次脳機能障害"については自分がなるまで名前も知らない障害でした。それだけに健常時の自分に
"高次脳機能機能障害者に対する理解があったか?"
そう問われると返答に詰まります。

中途障害の特性

誤解されたくないので再度言います。
決して中途障害者の方が辛いとかそういうことではありません。
身体障害も精神障害も質は違えどどちらも辛いことと同じで、先天性であろうが後天性であろうがどちらも辛いのです。

ただ、"他人+過去の自分"と比較してしまうという特性が中途障害者にはあると思っています。

ここを踏まえた上で"どうすると比較せず済むのか"
それはまだまだ何も見えません。

他人との戦い以上に、過去の自分と戦うことは辛いと感じています。
何かにぶつかる度、
"なぜ病気になったのか?"そして"なぜあの時助かってしまったのか"
ハムスターのように回し車の中をぐるぐるひたすら走っている気分です。

それでも少しずつ前を向いているつもりです。
他人から見たらそう思われないかもしれないけれど、自分としては朝起きて家事をして、リハビリに行くことも、病院に行くことも、こうしてブログを書くことも、何とか前を向いて行きたいと思っているからです。

病院の先生を初めとする医療関係者、そして家族や友人に一番わかって貰いたいなと思う部分です。
必死にもがいていること。他人や過去の自分と戦っていること。
数ミリかもしれないけれど前進なのだと認めてもらえたら、次は数センチ進めるのかもしれないと思っています。