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休職したら、得られたことがたくさんあった。


毎日、毎日、ものすごい膨大な考えごとをしている。ここ数日で、急に考えが少しづつまとまってきた気がする。


この休職中、人生で一番、いや初めてこんなにも自分と向き合った。今まで生きてきて、何度も何度も挫折をした。何度も何度も涙を流した。もう無理だって思ったことも数えきれないくらいにあった。生きることに価値や意味を見出せなくて、死にたい、消えたいと思うこともあった。もう前を向けないと思うことも、人生を投げ出したいと思うことも、何もかもがどうでもいいって思うこともことも、たくさんあった。


『そんな休職中の私が、自分に問いかけてきたことや感じたこと、学んだこと気が付いたことをnoteに記録しておきたい。』





私は、今の職場に戻る理由ばかりを考えてるのではないか。
本当に戻りたいのか。戻ってまた働きたいと思えているのか。


私はどう生きたいのか。
今まで見て見ぬふりをしてきた、自分の本当の気持ちはどうなんだろう。
出来ない、やらない、やれない理由を作っているのではないか。
なにかを手放す怖さが邪魔をしているんじゃないか。
今いる場所や生活にこだわりすぎているのではないか。
それによってチャンスを逃しているのでは無いのか。


やりたいことや、豊かになることなどに、自分自身が許可を出せていないのでは無いのか。
決断する怖さ、行動する怖さから目をそらし、いまの現状にしがみついているだけなのでは無いのだろうか。


本当にやりたいことを、自分自身で縛っているのではないか。
自信がないのなら、じゃあいつなら自信がつくのか。
もうこれ以上後悔の無いように生きるためには、これから何をすれば良いのか。


私はいつか来る死の最後に『あ~楽しかった』と言える人生にしたいのに、それが出来ているのか。
私だけは私の味方になってあげないと、私がかわいそう。
それなのに、私は私らしく生きることに許可を出してあげてないのではないのか。
私らしく生きられないことを、この現状のせいにしてるのではないのか。
少しずつでも、自分の全てを受け入れられているのか。


私が、ここまで生きられたこと全てに意味があり、生きてこられたこと自体がラッキーなはず。
たくさんの事に気がつかせてもらえたこと。
その時間をかけて気がついたことや、気がついたことで必要だと感じ、学んできたことを、やっぱり誰かに伝えたい。
そして、その人が少しでも何かに気がついたり、それによって自ら行動することで、楽しい!幸せ!嬉しい!と感じてくれたり、生きづらさの無い楽な人生を送ってほしい。



この間、某子育てコーチングの方と起業について話せる機会があった。すごく大きな考えをもらえた。
話終わってから、ある意味、私にも出来るんじゃないかって思った。


コーチングを生業にしていくうえで、必要なことも学ばせてもらえた。
自分の強み、魅力は?
ターゲットを絞る大切さ。
結局は、場数をこなすことで自信となること。
高額な料金を払って下さるお客様に満足、納得してもらえるようなものを、私は伝えることが出来るのか。
それが今出来ないのなら、私には何が必要なのか。今、何が足りないのか。


結局はそこで講義を受けて、それから初めてスタート出来るというものだった。もちろんお金を払って講義を受ける。それもたったの数回。そんな回数で起業出来るほどのものなのか。
そして、スタートして私に顧客がついたとしても、リベートを払わないといけないこと。
それって起業したと言えるのかな。そして、決して安くないお金を払ってまで、ここで講義を受け、得られることの量に魅力を感じられなかった。私がいままで経験してきた事、勉強してきたことの方が充分、情報量などは多いのではないかと感じてしまった。すみません(;^ω^)


『だったら、私はわたしの力でやりたいって思った。』
某〇文式とかも、リベートを払っているようで、でもそこに比べたらリベートのパーセンテージは低かったけど、一生払い続けることに、意味はあるのかって思ったんだ。



休職中に、長男の奥さんや、長女の彼氏のママが悩みをたまたま持ち掛けてくれたことが、何度かあった。私なりの言葉と経験で伝えたら、とても喜んでもらえたのだ。

『すごく気持ちが楽になった。』『軽くなった。』『泣きそうになった。』『話せて良かった。聞けて良かった。』『スーッと飲み込めた。』『私の友達の話も聞いてあげてほしい。』そんなことを言ってもらえた。

それで思ったんだ。
私のやりたいことは、これだって。
やっぱり、私はわたしが悩んだこと、苦しんだこと、辛かったこと、そんな経験してきたことや、それでたくさん学んだこと、学ばせてもらってきたこと。それを生かしたいって。私はそんなことをやっていきたいって確信した。

たまたま職場の方でも、職員の相談役として動ける機会もこの1年ほどやらせてもらっていた。

しかし、怖さがあって踏み出せない。
でも、いまやらなくていつやるんだろう。


最近、特に意識している言葉は『いつか、いつかは来ない』ってことば。
やれない理由ばかり探していたら、いつかいつかはこないんじゃないか。
やらない理由はないんじゃないかって。



それでもまだ勇気が出ないし、それはやっぱり成功する確信があるわけでもないから。でも、失敗する確信だってない。

やってみなきゃ分からないことだ。
やってみてダメなら、また考えればいい。




あと半月ほどで、休職して3ヶ月になる。どこかで焦りがあった。
今の職場に戻りたくない気持ちもあるのに、戻る理由ばかり考えていた。
高校生の次女に『まだ仕事行かないの?なんで?なんで?』と言われて、早く戻らなきゃと急かされている気がしていた。(次女には私がうつ病や、適応障害だということは話していない。)

でも、私はわたしらしく、私のやりたいことをやれるように、時間をかけて必要なことを学べばいい。
少しだけやっとそう思えたんだ。



ここまで考えて、考えて、整理するのに、すっごくすっごく時間はかかったけど、それはやっぱり必要な時間だったんだって思えた。

焦りも惨めな気持ちも、劣等感も罪悪感もたくさんあった。
でもきっと、それを吹き飛ばせるくらいに、大切な何かを得られた気がする。



そんな私の人生において、とても意味のある休職の時間を過ごせている。私はきっとまた、前を向ける。そして、今度こそ後悔の少ない道を選んでいきたい。やらなかったら、後悔するって思えた。


まだ時間はかかりそうだけど、もう少し自分と向き合いたい。


長い文章をここまで読んでくださった方には、感謝いたします♡少しでも、誰かの心に響いてくれると嬉しいです♡

今日も、ありがとう♡♡♡