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第3回:「食」と「ことば」とは

2026年4月開校を目指して設立準備中の私立新留小学校(鹿児島県)。わたしたちが考えていること、思い描いている未来を毎日少しずつ言語化していきます。


これまでの記事 ▽
第1回:「ふつうの学校」作ります。設立趣意のようなもの
第2回:「小学校」の概念を見つめ直してみる



今回は、学びの土台に据える「食」と「ことば」という2つの視点についてのお話。



人類を人類たらしめてきたもの

一旦、スケールの大きいところから。
人類の壮大な歴史を遡ってみると、食とことばの大切さが浮き彫りになってきます。

認知革命

人と他の動物たちとの違いを想像した時、多くの人が真っ先に思いつくのは「ことばを話せる」ということではないでしょうか。
人間の脳は200万年前に600ccとなり、ゴリラの500ccを超えました。その後、今から約40万年前に人類の脳が現代人の脳のサイズ(1400cc)に達したと言われていますが、我々が言語を手に入れたのは意外なことにそれから随分あとの今からわずか10〜7万年前のこと。
言語の獲得により人は抽象的な思考や、後悔や嫉妬という複雑な感情、ルールや善悪、眼に見えないものを想像する力などを手に入れました。ヘレンケラーの物語を読んだことがある人はピンときやすいかもしれません。発明されてからの長い間、ことばは常に身体感覚と共にありました

人類学者の山極壽一先生(元京都大学総長)は、この「認知革命」の前に「共感革命」というものがあったとおっしゃっています。

共感革命

今から700万年前、人類は チンパンジーとの共通祖先と別れて直立二足歩行をするようになり、熱帯雨林を出ました。人がことばを獲得するずっと前の時代です。
草原には逃げ場が少なく肉食獣に襲われる危険性が高まるため、捕食されるリスクに備えて子どもをたくさん産むように進化しました。

ゴリラやチンパンジーは5~6年、オランウータンは9年に1回しか子どもを産まないのに対し、人間は多産型に進化する過程で母親の授乳期間を短くし、子供を産んだ1年後にもまた出産することができるようになった結果、未熟な子どもを両親だけで育児するのではなく、コミュニティの仲間が力を合わせて共同で子育てをするようになりました。

また、植物を採取したその場で食べる他の霊長類と違い、共同での子育てを始めた人類は、仲間がいる安全な場所まで食物を運ぶようになったと言われています。

コミュニティの中で、食と子育てを共有する

共同体を構成するためには高い共感力が必要で、共同体が大きくなるに従い人類の共感力はさらに発達していきました。このことが人類を人類たらしめた最初の変化であったといいます。

17年閉じていたとは思えない、ピカピカの校舎(新留小)


変化の時代といわれる所以

さまざまなメディアで現代のことを「変化の激しい時代」とか「正解のない時代」などを表現しているのを目にしますが、よくよく考えてみると、きっとどんな時代も正解はなかったし、さまざまなものが変化をしていたのだと思います。
その上であえて、現代がこれまでの時代と何が違うのかを考えてみたいと思います。

共感革命や認知革命のあとも、農業革命による定住化をはじめ変化を続けてきた人類。 ここではその全貌は書ききれませんが、いまの時代を考える上で、一旦この数百年〜数十年あたりまで時計の針を進めてみましょう。

産業革命

18世紀後半のイギリスから世界各地へと連鎖的にはじまった産業革命を受けて、工業生産力が飛躍的に伸び、資本主義とグローバル化、そして都市化が進行したことにより、人々の暮らし方や働き方は現在の姿に近づいてきました。

その結果、「食と子育てを共有する」という前提が大きく変化しはじめました。 グローバルにつながる大きな市場経済の中で、日々の暮らしは自然やコミュニティから離陸していき、物質的に豊かな社会が到来。 その一方で、様々なものが商品・サービス化されていく過程で、コミュニティや共助は希薄化していきました。

食べることや子育ての環境が、手触り感のある小さな半径の世界から切り離されていった時代ともいえます。


情報革命

そしてここ数十年の間、インターネットの発明やAIの発展により、情報革命が加速度的に進んでいます。 デジタルテクノロジーの恩恵を受けて暮らしはより便利で楽しくなっていきながらも、「情報」が人間の身体感覚や思考から切り離されていく時代の流れや、時にネガティブな影響を増幅させてしまう可能性もある道具だからこそ、いま、あらためて「ことば」を扱うことに正面から向き合っていく時代であると考えます。

人類が数百万年前から獲得してきた「共感」を育むうえで大事な「共に食べる」こと。 そして、つながりと想像力を豊かにし、各地の風土に根ざした文化を生み出してきた「ことば」の力。

人類を人類たらしめてきた、ある意味誰にとっても「ふつう」なことに思えるこのふたつ。 この変化の時代にこそ、あらためて向き合っていくべきものであると捉え、今回の小学校の学習環境の土台に据えたいと思います。

「食」と「ことば」

食1:健康の土台

共同代表の古川の運営するひより保育園やそらのまちほいくえんは、食を柱にしています。

人類の歴史は飢えとの戦いの歴史で、人は文字通り生きるために食べていたし食べるために生きていましたが、現代の日本は自分で田畑を耕さなくても、狩に行かなくても、調理すらしなくても明日食べるものに困らないという飽食の時代になりました。

何をどう食べるのかによって体や心のコンディションや健康でいられる期間が大きく左右されることは今や周知の事実ですが、少し前の時代までは、そもそも「食べ物を選ぶことができる」という前提が存在しなかったので、私たち大人の多くは食べ方を学んだ経験がありません。しかし、今の時代だからこそ、親元にいるうちに自分の健康を支える食べ方を時間をかけて学び、習慣を育む機会を作りたいものです。
必ずしも難しい料理を覚える必要はなく、「ご飯を炊いて旬の食材でお味噌汁を作って食べる程度なら苦じゃない」というくらいの習慣で十分だと思います。

食2:思考の土台

身の回りで起こることに興味を持ち、自分で考えて行動/探究するための思考や行動の土台を作るには、ゴールをイメージして、試行錯誤しながら行動し、なんとか目標としていたゴールまで辿り着き、評価・振り返りをするという経験が不可欠で、その一連のプロセスを踏めるなら、大掛かりなプロジェクトを一つ達成するよりも、小さくていいので日常的に何度もそれを繰り返す機会を持てる方が効果が高いようです。

料理は、小さな子どもたちでもいわゆるPDCAが回しやすく、自己評価もしやすい(さらにはうまくできたら「おいしい」という喜びまで!)ので教材として優れているだけでなく、感情や脳の働きにも大きな影響を与える効果もあります。
このテーマについてはまた別の会で深掘ります。


食3:コミュニティの土台

日当山無垢食堂で定期的に開催している、「ただ朝ごはんを食べる会」。
朝7時に包丁とまな板を持って集まった人々が、用意してある旬の食材を思い思いに下ごしらえし、羽釜で炊いたご飯と豚汁で朝ごはんを楽しむという、極めてシンプルな会です。

現代の子どもたちは(あるいは大人も)、固定化された狭い人間関係の中で日々を送ることが多くなりました。関わる人が固定化されているだけでなく、極端に言えば「親」と「先生」と「同級生」。と、人の属性も限られていることが多いですが、長い視点での生きやすさ・暮らしやすさを考えると多様な人々との深すぎない関わりの中で自分の居場所を自力で見つける力を育んでおきたいものです。

私立新留小学校 企画書より

また、自分や学び場を中心に置いた半径300m、3km、30kmの世界と温度感のあるつながりを作る上でも、食べることや暮らすことの周りには探求したくなるようなテーマがたくさん存在します。

将来ローカルに深く根差して活躍する人も、グローバルに羽ばたく人も。目の前の人と心地よくコミュニケーションできるスキルは必須ですし、同心円状に広がる世界の軸の部分(自分の足元)の解像度が低いままでは大きな世界への広がりは期待できないのです。

ことば1:五感を広げる

今まで人がしていた仕事の多くをAIに任せられるようになる世の中では、五感をフルに活用し、より人間らしく生きることに人生の時間を使えそうです。

その五感も、ことばをうまく活用することでより研ぎ澄ますことが可能です。例えば、何かを食べてみた時に「どんな味がする?」「どんなにおい?」とお互いに言葉に出して味わってみたり、森などの自然や動物を眺めて「何色が見える?」と言い合ってみたり。
ある日、味噌作りの際に米麹を味見させてみたら、子どもたちからは「納豆みたい」「レモンみたい」「甘い匂い」「甘い!」「おいしい!」「シャインマスカットみたい!」「グレープフルーツの匂い!」」とさまざまな声が上がりました。ことばを頼りにお互いが感じた味や匂いを探しながらもう一度味見をしてみると、一人で食べただけでは感じなかった味や匂いに気づくのです。

高知県北川村で、村の皆さんと保育園小学校の子どもたちとで味噌作りをした時の様子


ことば2:解像度を上げる

同じように、ものの名前や感情を表す言葉、概念などをたくさん知っていると世界の見え方や、自分や相手の感情との向き合い方、折り合いの付け方が変わってきます
植物に詳しくない人にとってはただの「山」が、植生や植物に詳しい人がみると全く違った解像度で見えてきたり、そうでない人が食べるとただの「おいしいカレー」が、スパイスに詳しい人は「クミンの味、カルダモンの味、クローブの味」とそれぞれの味が感じられますし、あっちのおいしい店と、こっちのおいしい店との違いをより深く感じられたりします。
その結果として、気づく力や楽しむ力がグングンと育まれていきます。

ことば3:探究するための基礎体力

たくさんの本を読むことも大切にしたいことの一つです。
現代人は少し前の時代の人たちと比べて、短文でのコミュニケーションが増えたと言われています。
たくさんの情報に触れるという意味では、テレビでも本でも、Youtubeでも同じに感じるかもしれませんが、明確な違いがあると私たちは思っています。

本を一冊読み切るには、テレビ番組を1本見終わるよりも、受け取り手の力が必要です。まとまった量の情報を自力で受け取って解釈できるスキルは、対話する上で相手の話を聞ききるスキルにもつながります。
自力で探究していくための力を身につける上でとても大切な要素です。


ちなみに。

共同代表のふるかわりさは専門が第二言語習得であることから、早期の外国語教育についての意見を求められる機会も割と多めにあります。
今回の「ふつうの学校」プロジェクトでは、外国語教育は大きな柱として掲げていないのですが、その理由はまた別の機会に、、、。


今回の学校作りでは、ライブラリーとランチルームを新築で建設する計画になっています。その新設棟そのものが、「ふつうの学校」の学びを象徴するものになる予定です。

明日はその、ライブラリーとランチルームについて書こうと思います。


第1回:「ふつうの学校」作ります。設立趣意のようなもの
第2回:「小学校」の概念を見つめ直してみる
第3回:食とことば とは (今回の記事)
第4回:ランチルームとライブラリーの可能性
第5回:学び場を軸にした幸福度の高い地域デザイン〜保育園編〜
第6回:学び場を軸にした幸福度の高い地域デザイン〜小学校編〜
第7回:「ふつう」という言葉のこそばゆい感 〜これであなたもふつう通!〜
第8回:ご存知ですか、教育基本法?
第9回:小学校とは地域にとってどういう役割の装置か?
第10回:【インタビュー】なぜ、このドキュメンタリーを撮るのか
第11回:「これが教育の未来だ」というコンセプトを手放してみてもいいのかもしれない
第12回 まちづくりは人づくりから
第13回:ことばによって世界の解像度を高めよ 〜国語の先生との対話から〜
第14回:第14回:早期外国語教育は必要か?
第15回:第15回:子どもたちの「やりたい!」を実現できる学校を、地域とともに創る
第16回:学校をめぐる地の巨人たちのお話〜イリイチ、ピアジェ、ヴィゴツキーなど
第17回:コンヴィヴィアリティ、イリイチの脱学校から
第18回:これまでのプロジェクト「森山ビレッジ」
第19回:現役中学生たちの、理想の小学校
第20回:理事紹介1・このプロジェクトにかける思い

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