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おまけ・自閉症の子


おまけ・自閉症の子


ある日曜日、突然甘いものが食べたくなって、旦那さんに息子を任せて外出。本当はコメダ珈琲店のおぱんちゅうさぎコラボメニューを頼むともらえるオマケが気になっていたけど、一人では食べられなさそうだったから、シロノワールのミニを頼んだ。

後ろから、旅行の予定を立てている夫婦の会話が聞こえてきた。


学生の頃から、グイグイ引っ張ってくれる系の友達に任せて、旅行に行っていた。


行きたいところは特にない。


一人で行くなら和歌山の太地町くじら博物館や長野、瀬戸内海無人島巡り、奄美大島などいろいろ行きたいところはあるけれど、家事や子育て、仕事との折り合い、準備をするだけでヘトヘトになるだろうから、見も心もリフレッシュみたいな旅程は胸のうちに暖めて家族サービス…。


別にそれが嫌って感じは全くないけど(そもそも旅行に行きたいという欲求は、知識欲からくるものだから、行けないとなれば家で本を読めばまあまあ満たされる)


どうしても今は、息子のことを考えてしまうことが多い。


もし息子が自分の家族を作るとなったとき、他人と合わせることができるのかな…って。


新婚さんの、カーテンの柄だとか新妻の「私の髪型、どう?」だとか、それにあわせて美容にかけるお金、経済感覚のすりあわせとか…


「風と共に去りぬ」でスカーレットオハラが言っていました。

戦争中は食べ物のことばかり考えていた。欲求が単純だったけど、今はいろいろ考えなくちゃいけないことが多い、と。


どうでも良いと思うことに、人を傷つけない程度の意見を持つって今更ながら大変ですよね。


私が仕事より学校を苦痛に感じていたのは、まさしくこれだと思う。


友達と話を合わせるために、ゲームを持たせるかとか携帯を何歳から持たせるか、とか、いろんな悩みのテンプレートがありますね。


私はゲームも携帯も、必要ないなら持たせたくない。


というのは、勉強しないから頭が悪くなるとか、そんな理由では全くなく、


携帯やゲームで広がる社会が、私の小さいときとは比べ物にならないほど広がっていて、何かあったときに大人が子供を守ることができないだろうから。


昔は、ハードウェアがないとゲームは出来なかったから、家に出入りする人の顔を見て、人間関係のトラブルに親が介入できるというセーフティネットが確かにあった。


今は、ネット接続が当たり前の時代で、トラブルがあっても「何があったか」なんて容易に分からない。


下手をすれば、教師への信用が崩れて裁判になることだって珍しくない。


子供の社会を広げたい、という親の望みは確かにあるけど、「戦時下」や「おとぎ話」みたいに、ただ生きていれば良いだけじゃなくて、子供の人間関係をどんなふうに見守れば良いのか、どうするのが正解なのか、なまじ「先進国」では、ただ複雑に難しくなっているように感じる。


たとえば男尊女卑の問題。


日本よりさらに男尊女卑が根深い韓国ですが、その理由は、経済規模が小さいから、だけでなく、男の子の兵役義務も関係していると聞きます。


確かに、男尊女卑はおかしい!って言われてもね。男からしたら、じゃあ女も二年間兵役につけ!って、言いたくなるかもね。


今、パレスチナとウクライナで起こっている戦争・紛争。


なまじ平和な社会では、ご飯のおかずからフレネミーとのランチ会で隙なく振る舞うことなど、いろんなことを考えてながら、片手間に「あの国は可哀想」と考えるのが「良識」だと思われている。


宗教なくして、戦時下の国と平和な国で、市民の思考回路を想像力や良識を統一させることなんか無理だって思う。


私が戦時下の国にいて、平和な国の人から同情されていたら、寄付金はもらうけれど、内心は腹が立つと思う。

もし生まれてからずっと戦時下だったら、平和な国を想像できないから嫉妬もないだろう。けど、平和から戦争へ突入したら、生活の落差で「下らないことばっかり考えている平和ボケした国の人たち」にイライラするはず。


だからといって、息子に傭兵として他の国の戦争に介入してほしいとか、ましてわISに感化されてほしいとは、微塵も感じないのだけど


たとえ親が子を育てるのでも、社会的な思想はコントロールできない。


息子を幸せにするって、どうしたら良いんでしょうね。

とりあえずは深く考えず、自分のことは自分でする、生活力をつけることだな。。 




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