イーハトーボの劇列車ー3
イーハトーボの劇列車ー3
!重大なネタバレがあります!
キウ ビ エスタス?
警察にエスペラント講座の幕です。
上京最中、汽車の中、古書店を開くためにまとまった額を持っているが、東京で飲み明かして使ってしまわないか怖い、と言って、エスペラント語のレッスンをしてもらえないか頼んできた男。
それを承諾した賢治でしたが、ひょんなことから尾行に気付き、男の正体が実は岩手県花巻署の警察官だと気付きました。
地元に、らすちじん協会を開き、それぞれの農村を国の中心にするために、宮沢賢治は文化興隆や公用語としてエスペラント講座に力を入れていました。
キウ ビ エスタス?
ミ エスタス ポリツァーノ デ ハナマキオ…
お前は何者だ?
花巻署の警察官です。
男に詰めより、左翼との関わりを疑われ尾行されていたことを知る賢治ですが、賢治の思惑を知り、男は激怒します。
実際の生活は畑仕事ではなりたたず、三十半ばにして自分の生活も活動も親の資金力が頼み、啓蒙のため育てた野菜を無償で配り、芸術だなんだとユートピアを訴えるのは、百姓出のその男にとって業腹ものの絵空事である、と。
賢治が特高に逮捕されず調査報告だけで済んでいるのは、賢治と仲違いした父親が、花巻の名士で調査資金を出しているからだ、と聞いた賢治は、高邁な思想を説く心を挫かれ
ミ エスタス インファーノ
自分は子供である、と落ち込みます。
不思議な車掌が現れ思い残し切符を受け取った賢治は、列車の中にいます。
セロ引きのゴーシュと、山男と四月の山男、なめとこ山の熊の淵沢は、人買いサーカスのマスターの元から逃走し、賢治と車中で一緒になりますが、彼の身を案じています。
宮沢賢治も、自分たちを逃がした女性も、現世という「修羅」を徹底的に人のために尽くすことで生きようとした人で、その試みがことごとく上手くいかないのはもう見ていられない、と、
居眠りをしている宮沢賢治の側の窓をそっとあけ、それが原因で、彼は肺炎をこじらせます。
というように、この劇は、クライマックスにて宮沢賢治のうみ出した作品のキャラクターが彼を殺す、というショッキングなクライマックスなのですが、彼の作品のキャラクターは現世では不遇ながらどこか愛らしく、あんまり悲壮な感じがしないどころか死へのワクワク感があります。
この作品がそうであるように、亡くなった人は皆「銀河鉄道」に乗るんだろうな、という。
最後のシーンでは、一幕現実パートで登場した福地第一郎と、病床の宮沢賢治が登場します。
第一郎は、妹を裏切った左翼の作家を殺そうと乗り込んだ先で、偶然同じ場所で療養中の宮沢賢治と再会するのですが、そこで法華宗談義が繰り広げられます。
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賢治 おれは、日蓮大聖人を偉大なデクノボーだと思っています。日蓮大聖人はよくご自分のことを「だめな人間だ、愚痴の者だ、デクノボーだ」とおっしゃったでしょう。
「だから自分はすべてのはからいを捨てて、仏に向ってただ一心に「南無妙法蓮華経』と題目を唱えるだけだ」と、こうもおっしゃったでしょう。
第一郎
待て。日蓮大聖人は「自分は菩薩の生れ変りだ。法華経の行者だ。仏の御教えを体して、自分がこの国土を浄土にするのだ」ともおっしゃっているぞ。
賢治
日蓮(と敬称をはぶき)は人間です、人間だからいろんなことを言います。心屈したときは、自分はデクノボーだと言います。心たかぶったときは、自分は世直
の救世主だとも言います。どっちも本心だったろうと思います。
おれは三十五にもなってまだ親がかりです。デクノボーのなかのデクノボーです。ついに父ちゃをこえることができなかった。とんでもないデクノボーです。いろんなことを企てましたが、すべて中途半端です。もうデクノボーの最たるものです。そういうデクノボーのおれは、だから日蓮のデクノボーたる部分に惹かれたのだと思います。
おれは獅子のように吠え立てる日蓮は、あんまり好きではない。
第一郎
弱音を吐く日蓮なぞ日進じゃない。ぼくは断じて強い日蓮をとるぞ。
賢治
日蓮宗系統の新興宗教は、みんな強い日蓮にばかり目をつけています。バランスをとるためにもひとりぐらいデクノボーの日蓮を好きになってもいいのではない
ですか。
第一郎
弱い日蓮にどうやってこの世を浄土にできるのだい。「この世を浄土に」、これが日蓮の根本思想だぜ。弱い日蓮宗信者に、この世を浄土にかえることができるか。できないだろう、え?だとしたらもう日蓮宗信者じゃない。矛盾してるよ。
賢治
この世の中にあるものはすべてはかない生命でしょう?しかし、まことの力
いのちがあらわれるとき、そのはかない生命が、そのまま、かぎりない生命になるのです。
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