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隣のネズミ-5


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創作 小説 5話です
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それで二週間ほど、あの坂田さんに子どもを任せてみることにした。もしかしたら息子のことを、ある事ない事つぶやきに書かれるかもとは思ったけれど、自己イメージが大事らしい彼女は、クレーマー気質では無かった。その自己イメージの中に、「子供好き」というのがあって、多少のことがあっても息子に目くじらを立てることは無いだろう、と、甘く見ていた。

 知り合ってから半年以上経って、初めて坂田さんと連絡先を交換した。坂田さんは責任感が強く、何時に息子を迎えに行き、一時間程度預かってからバス停に連れていく、と、私からのヒアリングを元に予定表をこしらえて、メッセージアプリで送ってきた。私の都合がきちんと反映されていた。なあなあになりがちで、言われた事しかやらない旦那より、遥かにやりやすいと、長らくの悪い印象が払しょくされるような気がした。

 つぶやきアプリさえ無ければ、私は坂田さんと上手くやれていたかも知れない、と思うほどだ。

 自分の事とは違い、息子については、あまり好き勝手に投稿されては困る。発達障害を揶揄するような文句くらいなら聞き流せるが、注意すべきは個人情報が特定されないような事を投稿することだ。坂田さんは、慎重なんだかおおざっぱなんだかよく分からないが、自分の顔は決して投稿しない代わりに、他人の後ろ姿や、住んでいる番地を一桁だけ、とか、「全国苗字ランキング」で自分は何位だ、とか、私のように彼女本人を知っていなくとも、彼女の投稿を遡っていけば「坂田那智子」は特定できるのではないかと、気がかりだった。

 坂田さんは、私からの謝礼こそ受け取らなかったが、その代わりつぶやきアプリでは黙っていなかった。

 私は、テレワーク申請を一応会社に提出していたものの、「この冬は旦那が送ってくれる」と言い坂田さんの様子を見ていた。坂田さんは、息子に好みを聞いて「家で食べなさい」とお菓子をくれた。息子は坂田さんに懐き始めていた。数日間は順調だったが、高瀬さんの一件を忘れていた。彼女の「忍耐」は、持って数日間だった。

 ひょっとして、最初から「その投稿」がしたかったんじゃないか。

「近所の発達凸凹ちゃんを送って来ます!私に懐いてくれて、かわいい」と、息子がバス停に向かっている途中、振り向き様の写真を投稿していた。顔にはモザイクを入れていたが、巡回バスが写り込んでいて、それと息子の背格好から、「分かる人には簡単に誰か分かる」写真だった。

 旦那に相談すると、とても渋い顔をした。

「ああ・・・確かにこれは、嫌だなぁ」

 だから言ったのに。いや、でも結局、頼ってみようと決めたのは私だし。

 一週間だけ我慢して、私は結局申請通り、テレワークの準備をして、「会社に勤務時間を配慮してもらえたから」と言って、坂田さんの見送りを断った。彼女は不満そうだったが、感謝を告げてお歳暮を贈ると、納得したようだった。

「まあ、短い間だったけど、役に立てて良かったわ」

 息子の個人情報が盗まれ悪用されると、本気で心配になったわけではなかったので、投稿を削除してほしいとは言わなかった。彼女に会うためだけに、どてらを脱ぎ化粧を直し、ファー付きのコートを着た。お隣に行くだけなのに、どうしてこんなに身構えるんだろう。

 坂田さんが、凄い悪人や、嫌われて当然の人間とは思わない。けれど私はやはり坂田さんが嫌いなのだ。彼女は、私にとってのネズミなんだもの。

 

 


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