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DE&I 多様性、公平性、包括性



DE&I 多様性、公平性、包括性




多様性、公平性は、最近よく言われていることだけど、多様性を認めよ!という圧が強くて、かえって包括性はゲシュタルト崩壊している気がしますね。


包括性とはなんぞや?


SNSで、こんな荒れポストを見ました。


「新幹線の自由席で、キャリーケースを持ちミニスカートをはいた女性。男性との足の接触が嫌で、一席を荷物用にしていた。そこへ男性がやってきて、他にも空いている席はあったのに、詰めるように言ってきた。自分に下心があるに違いない。気持ち悪くて仕方ない」


※実際はもっと、きついことばを使っています。


私はね、普段楽だからという理由で緩めの長ズボンを愛しまくる枯れ気味の中年女性で、絡まれるというと、偉そうな中年のおじさんかおばさんが多いです。


ちなみに、おじさんは言い返すとビックリすることが多いですが、おばさんには無視されることが多いです。


このてのおじさんは、「大人しそうな女にちょっときつく言えば萎縮するはず」と思っているらしいので、その大人しそうな女が「あ?」と太めの声を出すだけで、わりと素直な反応をするのですが、おばさんは、正義感から突然攻撃的になり、相手のリアクションは全て攻撃だという心づもりなことがあるので、無視するんですね。


興味深くはあるけれど。

どっちがマシかという問題を考えるとなあ。

どっちも、もう少し優しくなれないのか、と…。


話がそれましたが、下心丸出しのおじさんに絡まれることは無いです。


年一くらいの頻度で、声をかけてくるおじさんはいますが、嫌だと感じる前に無視しますね。


冒頭の話に戻りますと、自由席で自分は席に座る!という欲求を譲らず、さらには「より多くの人が車内で座れるように」という基本的な配慮がなく、荷物と自分と一人で二席占領したあげく、おじさんが隣に座ってきたのは気持ち悪い、異性の隣にわざわざ座るのは配慮に欠ける、というのは、ワガママかなと思いました。


話は全然違うんですけど、昔昔、祖母がまだ元気だった頃、何かの事情で私は具合が悪かったけど、祖母とどこかに外出しなければならない時がありました。


込み合っている電車に乗って、祖母が良かれと思ってか「この子、具合が悪いの。あなた席かわってくれる?」って、前の人に声をかけたこと。


当時の私は不快に思ったから覚えています。


不思議ですよね。おもんばかってくれたんだろうけど、嬉しいとか優しいじゃなくて、恥ずかしい…席代わってほしければ自分で言うのに!って、思ったんです、私。小学高学年くらいだったと思います。


少しひねくれた見方をすると、私はお多感な時期にさしかかっていて、具合が悪いのに頑張っている私・偉い!を、否応なしに「優しい祖母」エピソードにしなくちゃいけないのが、嫌だったんじゃないでしょうか。


一旦私に「座りたい?」って聞いてくれれば、意思表示できたものの、もう他人に「この子具合悪いから代わってくれる?」て聞かれちゃったら、拒否できないです。


なんていうか、見た目がこうだからこうすべきとか、荷物を隣に置いているんだから座ってほしくないってことだとか、そういう非言語的コミュニケーションって、小さい頃から嫌いだったんですね。


だって、そこに正統性を認めると、いくらでも言いがかりを付けられますよね。


冒頭の、隣に座られたくないからと、キャリーケースを恣意的に置いていた女性はマナー違反はマナー違反ですが、マナーはマナーでありルールではないので、案外隣に座ろうとした男性に「私はあなたに隣に座ってほしくありません」って正直にいえば、受け入れてもらえるかも知れないですよね笑


快くとはいかないだろうけど、ある程度「危ない人」だとは思われるだろうから、受け入れてくれたかも。案外、案外ね、揉め事にならなかったかも。


多様性、公平性、さらに包括性を社会に求めるのに、非言語コミュニケーションをあてにするのは、本当よくないと思います。人類皆エスパーになるしかなくなります。






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