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~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol.29 伊勢の神宮の垂仁天皇二十六年の丁巳年冬十月甲子の日のレイライン

vol.28 渋川春海と神嘗祭レイライン令和5年版で綴りました春秋暦(一年ニ歳歴)で調べてみました。世紀の発見?でしょうか。

内容は以下の通りです。

日本書紀の伊勢の神宮の成立の日に関する記述

※垂仁天皇二五年三月条の末尾に分註された異伝「一云」中

伊勢神宮成立(丁巳)天皇以倭姫命為御杖、貢奉於天照大神。(中略)然後随神語、取丁巳年冬十月甲子、遷子伊勢国渡遇宮。

「丁巳年冬十月甲子」を自作の春秋暦(一年ニ歳暦)表と照らすと、
を垂仁天皇の時代は西暦226年ごろから、西暦276年ごろまでなので、その間の丁巳年を調べました。

するとAD237年がありました。
春秋暦(一年ニ歳暦)表では「垂仁天皇二五年」はAD238年となっていましたので大体あってると自らながら驚きました。

※ 春秋暦(一年ニ歳暦)表をもう一度見直し、AD468年に元嘉暦が導入されるとして計算方法を調整しました。

※令和6年1月9日更新:
春秋暦(一年二歳暦)の年表を更新しました。日本書紀の記述から年表への展開の仕方(計算の法則)は天皇即位月が半年ズレている場合を半年調整したうえで「雄略天皇元年」を元嘉暦導入年とすると、ぴったりAD237年の秋となりました。


では「冬十月甲子」はどうかと、カシオの高精度計算サイトの干支カレンダーで「十月甲子」が存在するか調べてみました。

日本書紀が編纂された時代の暦法(元嘉暦)で計算した場合に答えがありました。

元嘉暦でいう237年の10月1日(西暦237年11月5日)が「甲子」でした。しかも「立冬」でした。

この結果をもとにした、丁巳年冬十月甲子の元嘉暦237年10月1日(西暦237年11月5日)のレイラインは以下の通りです。

意外にも日の入りのレイライン上に一か所しか現れませんでした。
憧賢木厳之御魂天疎向津比賣之命(つきさかき、いづのみたま、あまざかるむかつびめの、みこと)を祀る、皇大神宮別宮 瀧原宮、瀧原竝宮でした。

追記1:大神神社からのレイラインも追加。

追記2:今回、月の出、日の出を検索できるサイトを発見しました。なのでこちらで月の出を確認したいと思います。

237年から太陽の軌道が大体同じである19年周期の直近の年を計算をしたところ、237+(19×94)=2023、つまり今年でした。

2023年11月5日の月は下弦の月でした。新月は2023年11月13日になります。新月を基準にするならば2023年11月13日が妥当でしょうか。暦の誤差だと思います。

2023年11月5日の月の出を以下サイトで確認したところ、三輪山から眺めると午前4に瀧原宮の方角に下弦の月があります。2023年11月13日だと瀧原宮の方角に月の出(新月)があります。

2023年11月5日の月の出を以下サイトで確認したところ、内宮から眺めると瀧原宮は月の入りの方角ですが、午前7時から午前8時の間となります。2023年11月13日だと瀧原宮の方角に月の入り(新月)があります。

どちらも、2023年11月13日に瀧原宮の月のレイラインに関係ありそうです。新月ですが。

新月が2023年11月13日であることから、伊勢の成立に関するレイラインを調べるとしたら2023年11月13日なのかも、とも思いましたが、
旧暦といっても当時と江戸時代以降のものは少し異なり、また19年周期とはいっても日の出と月の出は周期が異なるので237年とはズレが生じます。

このズレの根拠をメトン周期で検証してみました。

メトン周期(メトンしゅうき : Metonic cycle, 古希: Μετωνικός κύκλος)とは、ある日付での月相が一致する周期の1つであり、19太陽年は235朔望月にほぼ等しいという周期のことである[1]。メトン周期は、太陰太陽暦において閏月を入れる回数(19年に7回の閏月を入れる)を求めるのに用いられた[2]

紀元前433年アテナイの数学者・メトンが当時行われていた太陰太陽暦の誤りを正すために提案したのでこの名がある[1]中国では、19年を1章と呼ぶことから章法(しょうほう)と呼ばれた(独自に発見したとも、東漸したとも言われる)。

周期の根拠

19太陽年は、約365.242192640 日×19 = 約6939.60166016 日である。一方、235朔望月は、約29.530588853 日×235 = 約6939.688380455 日であり[注釈 1]、ほぼ等しくなっている(誤差は 約 1.25 × 10−5)。12か月 × 19年 + 7か月 = 235か月であるので、メトン周期に従うと太陰太陽暦では19年間に7回の閏月を入れれば、太陽年とのずれがほぼ解消されることになる。朔望月と太陽年との比は、235/19 = 12.36842105263...となる。

ただし19太陽年と235朔望月とは完全には一致しておらず、19太陽年につき、6939.688380455 − 6939.60166016 = 約 0.086720295 日(約2.081時間)ずれている。この差は219太陽年が経過すると、ほぼ1日ずれることになる((1日 / 0.086 720 295日)× 19年 = 219.095 年)。このため時々改暦を行い、ずれを修正する必要があった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/メトン周期

メトン周期より、(2023-237)÷219= 8.155… つまり、8日ズレます。
なので、2023年では、太陽の基準は2023年11月5日で、月の基準は2023年11月13日となるのではないでしょうか。
そして、元嘉暦237年10月1日はたしかに朔月(新月)であったことも伺えます。

新月で月が隠れ、太陽が昇る。もしかしてそのことが神事的に重要なのでしょうか?
垂仁天皇二六年、237年当時の考え方なのか、暦導入後の日本書紀編纂時の考え方なのかはわかりません。

2023年11月13日の日の出、日の入りレイラインはこちらです。
ただし、この日は太陽ではなく月の出が関係すると思うので参考程度となります。

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