素晴らしき世界 それは、地獄と隣り合わせ
口無し女房の話をまず冒頭に
「あ〜結婚したいけど、いわゆるワーキングプアの私、、プアの発音って実際にはポォア〜みたいな発音だよね、マクダーネルっていったら英語の先生に聞き取ってもらえなかった悲劇だよね。、、、あっ結婚したいけど働けども働けども出会い系サイトに登録するも年収、年齢ごまかすも、底辺をうろつく、やはりキモめの自撮り写真のが決め手の、今日も決め手の銭が飛ぶ。」
ピンポーン
「どなた様でしょうか?」
「、、、」
そこに立っているのは、口さけ女の逆張り、口のない女。どうなんだろう。口のない女ってマスク効果的なものがあるのだろうか。で、まぁ原作だと「オラを嫁にしてくれろ」って感じで「おお〜口がない女であれば、飯を食わさなくて済むな。」となって物語は進行するのだけれど、口のない女が話すという大いなる矛盾に私は耐えられないので、メモを渡すという形を取りたいと思う。コミュしょうこさんと同じ感じだな。
「ふむふむ、、、私は口がないのでご飯を食べる必要がありません。あなたのお嫁にしてください。」
ここから、いろんな意味で恐怖の物語が展開されます。単なる教訓話と捉えられがちな話なのですが、結構ディティールに凝ると面白そうだなと思うよ。
冒頭の恐怖話で、ちょっとchill outできたかな?みんな?ここから本題にtogetherしよっか?
我が経済小国日本國は、今や全世界に冠たる変態先進国としての地位を確保し、個性(性癖)を育む豊かなる土壌、山、川、海、ごまアザラシである。
冒頭の話で言いたかったのは、ダブルエッジドソード的な典型的楽なことにはしっぺ返しがあるよ的、校長の先生の話的、説教的内容をぼかしてみた。チークのようにぼかしてみた。メイクの基本であるが、チークは頬の高めの位置に配置しないとすごくダサくなる。真ん中から下に配置しようものならピエロである。主演女優に恋をした悲しきピエロである。木下大サーカスである。
オナニーの世界は甘美であることは、民草あまねく知るところであり、世代を超えての共通言語である。悲しいことに共通言語である。少子高齢化、悲しいことに共通言語である。
私は6月のある日、夜11時ごろ、駅の近くの路上で音楽を流してラップを歌っていた。そこに若者が近づいてきた。「いいですね!さっきのサカナクションの一人テクノですよね!」
まぁなかなかわかるではないか。その1人テクノのビートに合わせて意味も何もないラップを歌うことが私の暇つぶしである。
と、其奴と色々曲の話をして音楽をかけて踊っていると若者が集まってくっる。偶然みんな23歳だった。
その中にたまたまギターを持ったやつがいたので、ギターを弾かせてもらった。すると一番最初に声をかけてきた奴が「いいですね〜美しいです〜」といいけるに、「君もすぐに弾けるようになる。おナニーに使ってる時間を全部ギターに捧げるのだ。」。
だが、オナニーに走る非行青年たちを責めてはいけない。この残酷なる世の中。酷暑、騒音、公害、美味しくないお弁当、無愛想で冷たい人々の態度。こういった残酷さが人々を缶酎ハイへ、オナニーへ、パチンコへ駆り立てるのではないか。
というわけで、今宵は月が本当に綺麗ですね。昼間に嵐がきたせいか、雲の形が美しい。昼間に稲光を見るという得難い経験を私はすることができた。変態経済小国においてオナニーをしていない強く美しい男児に出会ったくらいの得難さを私はその稲光にかさねる。
停滞したゲームの流れを変えるのは、そんな稲光を瞳に宿した奴らだ。
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