「石ころ」

私は、最低な人間です。

私には、「人並みの生活」がわかりません。

勿論、知識としては理解はしていますが、どうも紙に書かれたインクのように、文字の羅列にしか思えないのです。

紙に書かれた無機質な記号を眺め、くしゃくしゃにし、丸め、飲み込む、そんな風にしか他人と接することが出来ません。人間に興味のない私には、友達がどういう人間なのか、どんな生活をしているかがわからないのです。人間の営みを知覚することが出来ず、ほとんどの人をNPCのように感じてしまうのです。友達が「生きている」感覚はあるのですが、あくまでも一側面というか、私の認識外の世界は自分の世界とはまるでかけ離れた、異質のものに思ってしまうのです。

別に大勢を見下しているわけではなく、むしろ逆で、自分は底辺の人間だと思い生きています。ガラス玉のように、ただ風景を網膜に反射する中では、どの人間も自分とはかけ離れた、どこか別の、別の世界の貴族であると感じるのです。当然のように就職し、当然のように結婚し、当然のように家庭を持つことが、何かしらのカルト宗教のように思えてしまうのです。

「人間失格」の手記にも書いてある通り、私には人間の営みが何もわかっていない、という事になりそうです。世の中の暗黙の了解と自己が抱える矛盾、そして不安、葛藤、毎日嫌で嫌で仕方がありません。世の中の人が思う幸福は、私にとってルイヴィトンのように見えるのです。


私には、「幸せになる権利」がありません。

別にそういう法律はありません。ですが、他人から「あなたは幸せそうだね」と言われるほどに、自分の心に針が刺さります。むしろそう言えているあなたの方がずっと気楽に、幸せに生きているように見えてしまうのです。

別に極端に貧乏な暮らしをしていたとか、家族仲が険悪だったとか、そういう訳ではありません。むしろ家族仲は良い方で、幼いころは貧乏だったものの、特に不自由なく暮らしていました。だからこそ、「何故」と思い浮かびます。私の人生は私によって勝ち取ったものではなく、親によって与えられたものです。別に何も秀でたことはしていません。人並みに努力し、人並みに生きていました。ただ親の愛情を受け、ただただ何も考えずに育ちました。

だからこそ、私は「幸せ」でいることが嫌で嫌でたまらないのです。何故私が幸せなのかがわからないのです。もっと恵まれない人はいるのに。もっと野心を燃やし世界を変えようとする若者はいるのに。怠惰な暮らしをしているのに、それなのに生きれていることが不思議で不思議でたまらないのです。

私には、捨てることができます。

最低な人間でも、捨てることはできます。

だから、私は幸せを捨てるのです。地位も、名誉も、名前も、暮らしも、社会も、俗世も、何もかも捨てて、何物でもなくなるのです。誰かを傷つけることもあるでしょう。川辺にある石ころのように、何物でもなくなるのです。ただのNPCから、メッセージも表示されない石ころになるのです。

ちゃぷちゃぷと触れる冷たい水を感じ、濡れた面が風と日光によって乾いていく。それだけでいい。それだけでいいんです。それ以上は望みません。それも望んではいけないのかもしれません。

私は、最低な人間です。

それでも世界は何も変わらないので、案外不思議なものです。



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