読書や映画のアウトプットと、最近の世間の息苦しさについて

よく、勉強や教養においては「インプットよりアウトプットの方が大事」と言われる。『アウトプット大全』にはインプットとアウトプットの黄金比は3:7と書かれているし、知識は人に教えたほうがひたすらノートを書くより脳に定着するのは経験済みだ。

そのため、SNSではびこる『自称成功しています』系の人々は、声高に「アウトプットを意識しよう」だとか、「インプット過多になっちゃダメ」とか、「読んだ本はSNSで発信する癖を!」と言っている。そっちの方が知識は効率よく定着するし、レベルアップも格段に速くなるだろう。

けど、いかんせん面倒くさい。いざやろうと思っても、三日坊主のせいか重い腰を上げてさあやろうという気にならない。別にいつもの逆張りだとか目立ちたいだけの意見だとかではない。ただ単に面倒くさいだけなのだ。SNSで読書した本の感想を書くことを一度はやってみたが、三日ではなく二日も持たなかったため私はかなりの面倒くさがりだ。

確かに勉強は知識を定着することが目的なため、アウトプットによって「知識」を使えるものにすることは必要不可欠であるし、それを怠ってはいけない。しかし、読書や映画鑑賞は好きだからやってる。自分の趣味にまで最短ルートを辿るのを強制していまうと、それはもう頭文字Dよろしく「いかに効率よく読むか(走るか)」の領域に突入してしまう。

読書は好きでやっているものであり、アウトプット前提と化した読書は私にとって手段と目的が逆転してしまっているのだ。私は読書を自分の世界を広げるために使っており、知識を手に入れてそれを自分の人生に生かそうとは微塵も思っていない。読んでいくうちに勝手に知識が得れればいいなぁくらいのスタンスで読んでいる。だからダメなんだろうけど。

この話はあくまでも私個人の読書についての考えであり、この考えが真の正解とは限らない。むしろ他人の意見を極端に見てしまうあたり間違っているのは私の方だと感じる。

しかし、このようなインプットとアウトプットの関係のように、最近の世の中は「最短ルート」を行くことに躍起になりすぎている。モバイルゲームも課金によって攻略が容易になったり(pay to win)、楽なお金稼ぎの方法に多くの人が飛びついているのがその証左だ。

別にそういった人が幸せならそれで良いとは思うが、どうしてもそんな世界に息苦しさを感じてしまう。人間、そこまで最短ルートを常に行けるようにはできていないのだ。はじめはできるものの、どうしても息苦しさを感じてしまう。誰しもトップスピードでフルマラソンを走り続けることができないように、最短ルートを全力で走ることなどできないのだ。Instagramに投稿された華々しい写真に嫉妬したり、Twitterで人気の投稿を見て息苦しさを感じるのとよく似ている。

まあそれが世間の流れのため、それに中指を立てて我が道を行ってしまうと世間から取り残されてしまう。しかし、せめて趣味くらいは、最短ルートを行かず回り道を楽しむ「余裕」をもってもいいのではないか。RPGにコンプリート要素があるように、趣味にも回り道をして色々集めていくことがあってもいい。ウサギとカメに登場するカメのように、ちょっとずつ進んで行くのもカメにしかできないことだ。

終わりに

こう思ったきっかけは、「ファスト映画」や「本の要約動画」の台頭が大きい。あらすじだけを説明するのは良いものの、本や映画には筆者が表したい世界観というものが存在する。それをすべて無視して起承転結を全て紹介するのは、作品に対する冒涜ではないかと思ったためだ。

最短で知識を得たいがために知りたい情報を削りすぎてしまうと、どうしてもそこで得られた情報が抽象化されず、無形のまま脳に記憶されない。そうなってしまうと、得た知識を自分事として応用しにくくなってしまうのだ。

まあ私はこの考えを他人に強制するわけでもなく、自分の考えの断片として後で振り返れるよう書き記したかっただけなのでここに残しておきます。

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