見出し画像

他の誰でもない、あなただけの「生きる意味」を。

どうも、ニグです。よろしゅうお願いします。

いよいよ秋ですね。夏のあの暑さもあっという間。私でも外で過ごしやすい季節になってきました。これで私も色々外で活動できます。

多汗症なので暑いと汗がだらっだら出るんですよ。サウナ入ったの?って言うレベルで心配されますが。

ということで、今回のテーマは「生きる意味」です。

死ぬとはどういうことか

唐突ですが、あなたは「死」についてどう考えていますか?

死という概念は太古から議論されてきたもので、私が色々考察するよりも宗教とかの歴史をたどっていただいた方が理解しやすいと思うのでここではざっくりと。

多くの宗教では、「死=あの世」という概念になっています。現世と同じようにあの世があって、死というのはあの世へと旅立つというもの。さらには輪廻転生の概念があり、前世での徳が来世へと引き継がれるという考え方もあります。

「死」について触れたマンガも多くあり、「シャーマンキング」や「デスノート」、「ワンピース」でも触れられています。

特に「デスノート」は初めて読んだときに底知れぬ恐怖を感じました。

「人間は死んだら無になる」

この一文はいつまでも忘れることがないでしょう。

日本では死んだら天国か地獄に行くという考え方が一般的ですが、死んだら無になるという考え方は底知れぬ死の側面が見えてしまった、そのように感じることが出来ました。

このように、死には多くの考え方があり、誰もその答えを得ることはできません。なぜなら死んでから死後の世界を実際にリポートした人は存在しないのだから。イタコや霊媒師などが死後の世界の証明だと言う人もいますが、その人が言うことが客観的に証明できない限り、個人の意見レベルにとどまってしまいます。

一般的に死にたいという理由に挙げられるのが、「現世で生きることに耐えることが出来なくなってしまった」ということです。生きることに疲れた、もうこれ以上生きててもいいことがない。ならばいっそ死んでしまいたい。そういう思いが一線を越えると自殺未遂や自傷行為へと走っていきます。

しかし、死のうと思っても死ねない理由に挙げられるのは、「死ぬまで苦しい」なはずです。実際死のうとすると苦しいです。死のうとしているのに、「死ぬほど苦しい」です。気管が圧迫され、酸素が欲しいのに手に入らない苦しさ。異物が皮膚を切り裂き、肉へと切り込んでいくあの痛み。地面に身体がぶつかる瞬間に走るあの激痛。実際に死のうとしても、苦しく痛いため死ぬのを断念してしまうケースが多いです。

このように、死というものは誰かが完璧な答えを持っているものではなく、一人一人がそれぞれの死の概念を持っています。

生きるとはどういうことか

では次に、「生」について考えていきます。

突然ですが、あなたは「生」を実感したことはありますか?

素晴らしい風景を見た、大会で優勝した、好きな人と付き合えた、憧れの人と会えたetc...人間が生を実感する瞬間は様々です。

しかし、この質問をされるまで、あまり生というものを意識したことはない人が多いと思います。それもそうです。私たちは生きているのですから。

人間というものは不思議なものです。自分が支持せずとも呼吸は勝手に行われ、心臓は勝手に拍動します。意識的に呼吸せずとも、無意識のうちに呼吸は行われてるのです。

このように、普段から意識しない限り、日常の中で生きるということは実感しにくいのです。だからこそ登山やサーフィン、バーベキューなどの「非日常」に身をおくことで、生きるということを認識しようとするのです。(あくまでも個人の感想です)

生きることは相当難しいです。国や人によって基準が曖昧なうえ、普段の勉強では生きることについてあまり学ぶことはできません。たまに国語では生についての物語が取り上げられ、授業内やテストで考えることがありますが、国語は一つの答えを求める教科ではないため、ここでも確実な答えは得ることが出来ません。

このように、生も明確な定義はなく、みんなが生きているにも関わらず誰も教えてくれないふわふわなものです。

生きる意味とは

恐らく、生きるというカテゴリーで最も多く議論されていると思うのが、「生きる意味」についてです。大昔から宗教でも議論されていたように、これも多くの考え方があります。

私と同世代でよくある悩みが、「生きる目標がない」、「生きる意味がない」というもの。大学生になりいざ何でもできるとなったものの、自由過ぎて何をすればいいのかがわからない。そこから生きる意味や目標がないとなるそうです。ある意味贅沢な悩みですね。そういうのは現状に満足している人が言うことが多いので。

生きる意味というのは、ある意味人生の命題だと思います。誰も答えを知らず、生きていくうちに自分に課された使命、意味を見つけ出していく。この過程もある意味自分らしい人生を探す旅のようなものです。お金を稼いで成功するのと同レベルでの人生の生き方です。

私も19年しか生きていませんが、経験上生きる意味がない人はなあなあに過ごしている印象があります。あくまでも印象です。全員ではありません。

なので、いかに早く人生の意味を見つけるのか。軌道修正をしつつ、早めに生きる意味を探せる時間を生み出すのか。これが大人になってからの人生をかなり左右すると自分は思っています。働き出すと人生の意味なんて探す余裕がなさそうですからね。

だからこそ若いうちにスポーツや旅、日本一周など「非日常」を経験することで生きる意味を探すのです。

死んでもいいように生きる

では、どのようなものが「生きる意味」となるのでしょうか。

私もずっと考えてきましたが、最近になってやっと自分にとっての答えのようなものが見つかったので紹介しておきます。

それは、「死ぬ直前に良い人生だったと思うために生きる」です。

...いかにも月並みな感じですね。私もそう思います。

しかし、この意味は私にとってかなりの思い入れがあります。

先ほどの意味の元は、Appleの元CEO、スティーブ・ジョブズ氏の名言から来ています。

If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?
- Steve Jobs (スティーブ・ジョブズ) -
もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは 本当に自分のやりたいことだろうか?

有名な言葉ですね。この文章を読んだときには身震いがしました。

今まで、自分の人生は80年くらいあるのだから、一日くらい無駄にしてもまあ大丈夫だろうというイメージを抱いていました。しかし、スティーブ・ジョブズ氏は違いました。あまりにも刹那。刹那的な生き方。80年ではなく、一日一分一秒を無駄にしない生き方。時間は無限ではなく、有限であるという考え方は当時の私には衝撃でした。

当時の自分は「生きる意味」がありませんでした。起きて、ご飯を食べて、学校に行って、話して、風呂に入って、寝る。この一連の流れを繰り返すロボットのような生活を送っていました。

今でも、この時には自分に血が通ってなかったと思います。それほど無機質で、単調な人生でした。

さっきのジョブズ氏の文章を知った後、私は漠然と怖くなりました。

自分がいまロボットのように生きている一日は、自分が死ぬ前にやっておけばよかったと思えることが出来た一日かもしれない。

こういう恐怖により、私は少しずつ変わり始めました。

自分がいつ死んだとしても、悔いがない人生を送ろう。

そう思えるようになりました。

「まだ大人じゃないから...」「経験が積めてないから...」は言い訳です。悔いがない人生にするには、そんなことは言ってられないのです。明日事故にあって死ぬかもしれないので。

こう思うと、自然と死に対する恐怖はなくなってきました。だって、いつ死んでも悔いがない人生を送ることが出来れば、死んでも大丈夫だろうと思えるようになったからです。

最後に

あくまでもこれは私の生きる意味です。この意味が必ずしも読んでくださる人に響くとは思っていません。

「生」と「死」と同じように、生きる意味もそれぞれの考え方があります。

誰かから突然与えられるものではありません。

悩み、学び、苦しみ、咀嚼し、作り上げていく。

一朝一夕でできるものではありません。

時間は無限ではありません。有限です。

こうやって読んでいる間も、時間はどんどん過ぎていきます。

どうか、自分に合った「生きる意味」を見つけてください。


他の誰でもない、あなただけの「生きる意味」を。


ではでは。


よかったらサポートおねがいします! 読書や編集のお供となるホットココア代に使わせていただきます!