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読書量が累計1000冊になったので、1000冊読んで気づいたことをまとめる

どうも、ニグです。
よろしゅうお願いします。

タイトルにもある通りですが、浪人時代(2019年)から本格的に始めた読書の冊数が累計1000冊を突破しました。ありがとうございます。ありがとうございます。

本から元気をもらいたい動機で始めた読書が、気が付いたら自分の趣味になっているとは思いませんでした。人生何が趣味になるかわかりませんね。

てことで、1000冊読んだマイルストーンとして、たくさん本を読んで気づいたことをまとめようと思います。中には「当たり前」だと思うこともありますが、温かい目で許してください。

ちなみに主に読むジャンルは
・小説
・ビジネス本
・ノンフィクション
・自己啓発
系です。広く浅くです。

・読書とは「エッセンス」を探す旅である

正直伝えたいのはこれだけです。これさえ知ってもらえれば私の1000冊と同じ価値があります。

私は、読書をする上で、「エッセンス」を探すようにしています。
ここでのエッセンスとは、筆者が伝えたい抽象的かつ普遍的な概念です。

個人的には、読書とはこの「エッセンス」を探して吸収し、自分の中で武器にする行為であると考えています。何せ著者も私と同じ人間なので、自分の経験や知識によって無意識に歪んだ概念を書いているからです。普遍的なことを書こうとはするのですが、どうしても自分の体験によるバイアスがかかった文章になってしまいます。

そのため、著者が真に伝えたいことは文章には載っていません。真に伝えたいことを読み取るには、受け身に文脈を読み取るのではなく、筆者が何を伝えたいのかを能動的に読み手から探しに行く必要があります。

特に哲学系の難しい本になるとエッセンス探しは著者との「対話」へと変貌します。「ここはどうしてこう伝えたの?」「これはどういう意味?」と本の中の著者に質問を投げかけることで、時空を超えてエッセンスを探す旅に出かけることができます。

ここだけ聞くと学校で習う「国語」「現代文」に似ていますが、前者は明確な解き方があるのに対し、読書には答えがありません。一人一人にしっくりくるエッセンスが存在し、それを探すには要約ではなく自分で本を読む必要があるんです。


・他の領域の知識を自分ごとに応用できる

「なんでわざわざエッセンスを求めるのか」と思う人もいるかと思いますが、それはエッセンスが抽象的かつ普遍的であることに理由があります。

それは、「エッセンスは普遍的なため他の領域に応用できる」ということです。

例えば宗教についてのエッセンスは、「信者が集合的沸騰を通して聖なるものを発見し、連帯を確認する行為」です(あくまでもこれは私の中でのエッセンスです。個人差があります)。つまり信者が一緒の時を過ごすことによって何かしらのトランス状態になり、信者同士の結束が固まるという事です。

これを例えば音楽に応用してみましょう。

「ファンが集合的沸騰を通してアーティストと同じ時を過ごし、ファンとアーティスト(orファン同士)との連帯を確認する」と表したら、何が思いつくでしょうか。


そうです。ライブですね。


つまり音楽におけるライブは、宗教における集合的沸騰と同じであり、音楽という領域を宗教の切り口で解剖することができるのです。そうすると音楽を宗教の視点から改めて観察することができる。国語で学んだことが物理に役立つように、あらゆるジャンルが自分が好きな領域の糧になるんです。

自分はYouTubeでゲーム実況をしているのですが、作戦や今後の方針にはこの思考がとても役立っています。YouTubeは生まれて新しいプラットフォームですし、自分で学んだ経験を他ジャンルのエッセンスで補強することで、なんとか暗闇に道を作ることが出来ています。

特に大学以後は「いかに多くの視点から問題を分析し、課題を発見するか」が重視されるため、このようなエッセンスのストックを用意しておくことは今後に役立つはずです。はず、です。


・同ジャンルで書いてあることは大体同じ

これは自己啓発系の本で痛感しました。いくら読んでも同じことしか書いてないんですもん。それもそのはず、著者によって書いてあるない方に若干の誤差が生まれるためです(先述の無意識な歪み)。

そもそも、同ジャンルで伝えたいことなんて両手に収まるくらいしかないんです。星の数ほどは存在しません。皆そのエッセンスを自己流にアレンジしかさまししているだけです。

多くの本で「同じジャンルは最低3冊読む」と異口同音に言っているのはこのためです。同ジャンルの本を10冊程度読むとある程度の目星がつきます。「この言い回し、他の本でも見たな」みたいな経験がどんどん増えていきます。この体験自体がかなり重要なんです。その体験を繰り返していくことで、より客観的なエッセンスの発見へとつながります。


・本に書いてあることを全て鵜呑みにしてはいけない

何を当たり前のことを、と思う人もいると思いますが、結構大事なことです。結構どころじゃなくかなり重要です。

本に書いてあることは出版社の信頼性の担保があることもあり、さもすべて本当のことであるかのように感じることがあります。しかし、全て鵜呑みにしてしまうと、著者の思考のバイアスに引っ張られることになります。先述の通り、私の読書の目的は「エッセンス」を探すことです。そのため、全て鵜呑みにするとエッセンス探しどころか逆に遠ざかる結果になってしまいます。

ではどうすればいいのか。変な話ですが、「話半分」として受け入れることです。話半分で受け入れることができれば、あくまでも一つの「引き出し」として学べます。その引き出しが客観的なものになるように多読をし、先述の「別の本でも同じこと言ってたな」の経験で答え合わせをしていきます。

特にマズイのが同じ著者の本を連続で読むとき。客観的な視点を持って休憩する隙がないため、自然と著者と同じ思考、同じバイアスに引っ張られてしまいます(特にあの人の本とかあの人の本とか)。そのため、共感があまりにも多くてグングン読み進めるときこそ立ち止まり、「全て鵜呑みにしていいのだろうか」とブレーキをかけることが大切です。


・小説はドラマにして味わうもの

今までビジネス本や自己啓発系にフォーカスして話していましたが、ここでは小説について気づいたことを。

小説は自分にとって劇のようなものです。ただの文字の羅列ではなく、それを材料に脳内で勝手にドラマを作るんです。

私は小説の中でも刑事モノが好きなのですが、小説を読むときはしおりに必ず「キャスト」を決めています。クール系なら二階堂ふみさんや西島秀俊さん、だるい系なら高橋一生さん、真面目系なら本田翼さんや窪田正孝さんなどですね。そうすれば活字は全てドラマの台本と化し、面白いように読み進めることができます。

そのように自分事として小説を読み進め、一視聴者として筆者が伝えたいことを味わう。これが私が気づいた小説の味わい方です。


最後に

ここで触れた気づきはあくまでもほんの一部です。なるべく読んでもらえるようかなり省いて書きました。久しぶりのnoteで結構手探り感がすごかったですが、何とかなっていればいいなぁと書き終わって考えています。

いくら1000冊読んだとしても、それで読書のゴールにたどり着いたとは思っていません。多読の次は精読。多読をしつつ、1000冊の中で今の自分に必要な本をじっくりと何度も読み、エッセンスの源を体の中に染み込ませるフェーズへと移行していきます。

次は2000冊読んだらこういったnoteを書きましょうかね。


まあ、結局何が言いたいかっていうと、読書は最高だから皆本を読めってこと!!


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