コミュニケーションって難しい。

(noteの下書きに書きなぐっていた雑文を昇華しています。いろいろ時系列ごっちゃですが許してください。)

私はコミュニケーションが苦手だ。

誤解しないでほしいが、人と「会話」するのが嫌いというわけではない。むしろ好きな方である。大人数で会話するときの話の流れやトークセッションを傍観者として聞くのは大好きだし、会話は人間の感受性を刺激し、生活を豊かにするものである。

その原因は、私の脳のリソースの割き方の問題である。
私の場合は人よりも脳みそを使わないとコミュニケーション(意思疎通)ができないらしく、ただの日常会話でも脳のリソースをガリガリ消費する。
つまり会話の繋げ方がわからないタイプである。
元気いっぱいの時はウキウキ会話が出来るが、大抵は実況のことを皮切りに大学の課題や就活などに脳のリソースを割いているため、だいたい会話に避けるリソースは最大でも10%あるかないかである。私の予測だと40%以上咲かないと満足な会話が出来ない。

出来ることなら床でバタバタしながら「コミュニケーションとれない~!無理~!」とおぎゃりたいものだが、そんなことを言っていられる年齢ではなくなってしまった。
やはり人間である以上、仕事相手や人付き合いのことを考えると何も会話がないまま過ごしてしまうと相手方に不安を持たせてしまうことになる。これから長く付き合っていきたい人も多い中、そのようなことで関係性にひびが入ることは何としても避けなければならない。

無論、私も無策で今まで過ごしてきたわけではない。今まで数多くのコミュニケーション本を読み実践してみたが、ことごとくうまくいかなかった。やはり付け焼刃の技術では相手に見透かされてしまうのか、当時は相手に気を遣わせてしまうことが多かった気がする(その時会話していた方々、本当にごめんなさい)。

一時期は会話デッキ(予めトークテーマを作っておく)を準備していたこともあったが、すぐに底をつきてしまった。まあ実態はデッキというにはあまりにも薄すぎるものであり、今思うと風が吹けば飛んで行ってしまうような弱弱しい内容しかなかった。実際会話デッキを書き留めていた紙も何処かへ行ってしまった。どこかにスターターパックでも売っていればいいものだが。

こういうことで脳のリソースを割き、満足な結果を出せない自分が嫌になってしまい、自ら人と距離を置き孤独になる方向に走ることもあった。大抵このような人間関係の悩みは酒でも飲めば勢いでなんとでもなるようになっているが、酒を飲む友達も予定もないので無理な話である。しかも酒弱いし。サシで飲むと会話続かないのに大人数での飲み苦手だし。ビバ一人バンザイ。このまま一人でくたばりやがれ。

前回話したバー巡りの頻度が少なくなったこともコミュニケーション苦手が加速している一つの要因である。バーはその場の雰囲気を味わうことが推奨される場所だ。無理に会話せずとも、カウンターに座りカクテルを飲み、棚に並べられた数多くのアルコールを眺めるだけでいい。なんと楽な事か。以前はバーに行けば心が安らいだものの、今は忙しくしっぽり飲む時間も確保できない。


いつか読んだ本で、「日常会話で起きたことを観察しなさい、そこで感じた刺激こそ雑談の種だ」とあったが、一日中ずっと家で編集してるので起きたこともへったくれもない。起きてご飯を食べて編集してご飯を食べて編集して寝るだけ。はたから見たらただのひきこもりゲームオタクである。しかもゲームよりも編集の時間の方が多いため、人に話したとしても理解不能な内容である。(一度話したら???となっていた)

このままではまずい。今は大学だから勉強さえしていればいいものの、ここを卒業したら本当に孤独&コミュ障まっしぐらだぞと危機感を感じた私は、結局いつもの場所、本屋にすがることにした。

行きつけの池袋の本屋は、ビルが丸ごと本屋になっている。圧倒的物量に押しつぶされそうになるも今回はその量に頼もしさを感じながら雑談やコミュニケーションのジャンルの本棚を覗いてみると、なんか領土が大きくなっている気がする。数年前にここを覗いたよりもかなり雑談系のジャンルが横に広がっていることに気づいた。コロナ禍によってコミュニケーションに困っている人も増えているのだろうか。まあ最近はセクハラパワハラなど何が自分の首を絞める言動になるかわからない時代だ。過剰な数字や派手な色の表紙が増えてしまった巨大な本棚の前で最近の本の時流の変化を感じつつ数冊手に取ってみる。

『雑談力』、『聞く力』、『一流のコミュニケーション』…

マス向けに極限まで過剰に表現されたタイトルを手に取ってしまう。この時点で編集者の策略にはまっているわけだが、パラパラとめくってみても書いてあることは通り一辺倒なことであまり響かない。ここはコミュニケーションの森だ。ありとあらゆるコミュニケーション術が木々のように繁茂しており、その中から自分に合った一冊を見つける。それが読書の醍醐味ではあるが、文学や新書のそれとは違い劣悪な文章も数多い。結局ここでは自分に合った本は見つからなかった。

もしかしたら私の本選びのセンスがなまっているのではないか。そう思った私は別のフロアに移動し、『いい本の巡り合い方』などと書かれた本を開いた。すると中盤ほどに「本屋の店員におすすめをききましょう」とあった。おい。私はコミュニケーションの苦手意識を克服するためにここにきているんだ。それなのにここでもコミュニケーションが必要なのか。

コミュニケーションを改善する本を探すためにコミュニケーションが必要になる……しかしそのコミュニケーションをするためにはコミュニケーションを改善する方法が必要で、その方法を探すためにコミュニケーションが必要で……うーん……



コミュニケーションって難しい。

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