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VA-11 Hall-Aとことば Epilogues 「また会うに決まっている」

物語の終わり、歩道橋の上には二人の女と一人の男がいる。橋の上で三人は別れ、一人が言う。「いつだって会えるよ」

これは自分が敬愛するserial experiments lainのラストシーンですが、VA-11 Hall-Aのグッドエンドもだいたいこのように始まります。まあ、エンディングというよりその名の通りエピローグなのですが。

8月27日 日曜日

ギルは大げさに話を切り出しますが、デイナとジルは10日間のパナマ旅行へ出かけるだけです。パナマの理由は不明ですが、作中でデイナがパナマについて言及するシーンがあるため、そこから推測は可能です。

顧みると、なんでもないことを大げさに語る、逆に、大げさな事態がなんでもないことのように過ぎていくというのが、VA-11 Hall-Aの文法でした。近未来、サイバーパンク、巨大企業の陰謀、世界中で起こる暴動、テロリズムとハッカー、腐敗しつつある自警団、アンドロイドのアイドル、年中無休の配信者、瓶詰めの脳、諜報員じみたバーテンダー、モルモットとして生まれた暗殺者、娘の復讐を果たしたエンジニア、犬の平等を目指す喋る犬、片腕義手の元プロレスラー、笑う幽霊、腹話術が得意なバーテンダー……

様々なフィクションへの参照を含め、混沌の原液のように濃密な街グリッチシティで、プレイヤーが見られる景色はバーのカウンターひとつ。別れた友からの手紙に始まる、古典的なハードボイルドの香り。色彩豊富な挿話の数々を片目に語られるのは、いつの時代でも、どこの地域でも見られるような私的な物語。クリスマスを祝い、年末年始を祝うような。グローバリズムとインターネットは世界中の悲喜劇を絶え間なく与え、そして広めてもくれますが、結局のところ誰もが一人の人間で、時としてアルコールがほしい夜があることは古今東西変わりません。アルコール片手に、あるいはアルコール代わりに、VA-11 Hall-Aはうってつけの友と言えます。

原文は「We WILL cross paths」。"cross paths"というただ会うというより運命的に会わざるを得ないというタームに、キャピタライズされた"will"と、デイナらしい力強さと大げささがこもった一言です。「また会うに決まっている」は「決まっている」と「また」でこのあたりのニュアンスを端的に拾っているわけですね。

ちなみに、続く「私はここに住んでいるんだからな」の原文は「because I live there.」。"there"は前文"my apartment"を指しているのですが、「そこ」ではなく「ここ」と訳すことでグリッチシティという街の存在をより感じられるようになっており、素晴らしい訳だと思います。

(干物+妹……?)

余談ですが、この後にデイナが「ひもうと」という干物妹!うまるちゃんを参照した用語で自身の妹を呼び、ジルがその意味を考える箇所があります。ここは原文では「imouto」であり、ギルに日本語の妹が「little sister」の意味であると解説しているのですが、そのまま日本語に翻訳すると意味不明になってしまいます。これは翻訳あるあるなのですが、VA-11 Hall-Aらしい日本の漫画ないしアニメのパロディとして処理しているという名人芸が炸裂しています。Sukeban Gamesの前身Dangemuやkiririn51の由来をご存知のSukebanファンなら承知の通り妹という概念には特別な意味合いがあります。

火の付いた自転車操業状態で続いてきた本連載もなんとか本編のラストまで、実時間ではクリスマスイブまで辿り着けました。遠く時の輪の接する所で、まためぐり会いましょう。

VA-11 Hall-Aとことば Advent Calendar 2023 24日目

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