赤飯炊いてくれてありがとう。

孫の初潮に赤飯を炊けなかった、という記事を拝読した。
私はその「時代錯誤だ」と反対した母親に近い世代だが、その見解にはどこか寂しさを感じた。

私も小学生で初潮を迎えた日には、「母が赤飯を炊こう!」と提案してくれ、その晩は急遽家族でお祝いの会が開かれた。

当時自分はむしろ生理について恥ずかしいものだという認識すらあった。小学校の授業では女子だけが教室に集められ、保健室の先生が淡々とメカニズムを説明した。この出血は病気ではないんです、みんなが迎える自然な現象です、と言いながらも、大っぴらにはできない雰囲気を感じた。

そしてやはり初潮を迎えた当日は、いつまでこんな出血が続くのか、自分の身体に何が起きてるのかわからず、自分ごととなった現象に、ただただ困惑していたのを覚えている。

また、その頃は生理は誰でも迎えるものだと思っていた。
だからそんなことでお祝いをするなんて大げさじゃないかとまで思っていた。同級生の家庭でも赤飯を炊いたところがあったらしく、大げさだよねーと一緒に話していた。

しかし、医学生となり月経を無事迎えることができるのも当たり前のことではないと知った。18歳までに初潮を迎えられない人は現代でも200人に1人にのぼる。時代の変化はあるかもしれないが、初潮はそれまで健康に育ったことを知らせてくれる合図であり、今も昔も変わらず幸せなことなのだ。それどころかおよそ20人に1人が過度なダイエットや生活習慣の乱れにより月経が3ヶ月以上止まってしまうことも経験していることを考えれば、このような月経と女性の健康に関しては決してタブー視するべきテーマではないと思う。

そういえば我が家で赤飯を炊いてくれたことは、これをお祝い事として喜んで受け取っていいんだ、と私の不安をなだめてくれる、そんな意味合いもあったんだなと、今では感じる。当時を振り返って、私はあの日家族が赤飯を炊いてくれたことに感謝している。

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