そこはかとない独り言。

とても考えさせられる一言があったのでご紹介です。Xとかつぶやきでは字数が足りなかったので、記事にしてしまいました。

こちらはB'zのリーダー、ギタリストの松本孝弘氏の動画です。公開はずいぶん前ですが、通してゆっくり見ることができたのはつい最近。この動画内で、「どうしたらギターが上手くなりますか」という質問に、松本さんはこのように答えています。


愛することじゃないですか、ギターを。
そこまでご本人が愛せるかどうかってことだよね。

愛していれば触れたいじゃないですか。少しでも長い時間。(中略)上手くなるというか、一体になっていけるというか、ね

これ、すごい言葉が出たと思いました。
ギターに限らず、全てのものについて言えるかもしれません。
愛することができるから、その道を極めることができる、と。
ひとつのものをここまで愛することができることは、並大抵のことではない。もちろんものに限らず、人についても言えることですね。
愛することは、その中にある苦悩や絶望といった、全ての重荷もともに背負っていかなくてはならない。
単純明快な言葉のように思えますが、私はこの言葉の後ろに「そのくらいの覚悟があるか」という問いかけがあるように思えました。

私だと、詩を書きたいと思って言葉を並べてきました。じゃあ何で詩を書こうとしたのかを考えた時、以前は色々後付けの理由をあれこれと考えていたように思います。今もその癖があるように思います。
しかしながら、元を正せば「詩が好きだった」というところに落ち着く気がします。
詩に触れた最初の記憶は、小学生の頃に教科書に載っていた「木琴」という詩です。著者は金井直という詩人です。今は教科書から外れてしまったようですが、この詩に衝撃を受けたのを憶えています。
(詩の全文を載せたいところですが、著作権的に問題がありそうなので、興味のある方は「木琴 金井直」で検索すると出てきますのでそちらをご覧ください)
戦争によって妹を亡くした兄が主人公。この詩を読んだときに、ひとのかなしみはこのように昇華するものなのかと思ったものです。言葉は決して多くはないのに、この詩から滲み出る感情に、揺さぶられるものがありました。
この記憶は自分にとっての詩を考える時、必ず思い出されます。当時作文が心の底から苦手だった自分にとっては、ある意味転機になりました。
そして自分でも詩を書くようになり、一度きちんと勉強したいと思った私は、大学で近現代詩を学ぶことを選択しました。卒業論文でも、研究対象に金井直の詩集を選びました。先行論文が少なかったので非常に苦労しましたが、とても楽しい思い出です。

ちょっと私事に脱線しましたが、動画の中のほんの数分にここまで揺さぶられる言葉があることに私は度肝を抜かれました。
そして、今でも「好きなものをきちんと好きでいられること」にありがたさと少しの自信が持てました。
きっとこれからもたくさんの人の詩を読んで、自分でも詩を目指していくんだろう。できればそうやって生きていけたらいいな。そんなことを思ったひとときでした。

ここまで読んでいただきありがとうございました。
今までnoteでは詩のような作品を並べてきましたが、こうして作品以外にも何かしら書いていけたらいいなーと思っております。
ただ、いかんせんやる気になってから書くまでに時間がかかる(この記事を書こうと思ってから1週間以上かかっています💦)ので、期待せずにいてもらえたらと思います🙇

次に書こうかと思うのは自分の作品の解説ですかね…。自分の作品の解説なんてそんなん誰も読まんだろっていう気持ちもあり、作品として公開した以上は読み手の感じ方が全てであるという点からも、あとがき的なものは記事にしてきませんでした。
ただ、作品を解釈するにあたっては作者の意図ってとても大事になるんですよね。卒論を書くときも、作品の背景になる作家論について必ず触れることになります。その中で作者の意図は読み進めるためのカギになりますし、作者も一読者として「こんなことを考えているのか」と純粋に楽しめるのかな、と考えるようになりました。
まだ構想段階ですので、書くとなればやはり時間がかかると思いますが、もし記事にできた際にはまたお読みいただけたら幸いです。

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