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サイレントマジョリティとか宗教のこととか

7月末辺りから、ほとんどやる気のない日々が続いている。

ふと過去のnoteを振り返ると、
一昨年の7〜9月辺りも、何やら生きてるんだか死んでるんだか、みたいな心境だったようなので、夏の時期というのはどうも心身の調子が良くないらしい。

決して、塞ぎ込んで布団から一歩も動けない、という感じではない。

普通に仕事はするし、食事も(適当だけど)ちゃんとするし、家事も割とちゃんとやる。

ただ、心がイマイチ稼働していない。

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7月の参院選、情報を得る場所は主にネットだった。
ネット上では、イマイチ志も何も感じられないけど出馬しているような候補者がいたり、そういう輩は選んではいけない!というような意見を多く目にしていたので、これだけ意見も多いのなら、結果もそうなるだろうと思ったら、全然違った。

そんな人物であれ、当選していた。

あ、ネットの世界と現実って違うんだ。
と、なんとなく感じた。

いや、もちろんネットと現実が100%イコールでないことは分かっているつもりだったけど、もっと現実と結びついているものだと思っていた。

そんな中、ネット上で大いな支持を受けて当選した議員も誕生したけども。

ネット上で結構な注目を集めていたから、結果もそれに結びつくと思っていたけど、これって案外少数派だったのか。

ノイジーマイノリティとサイレントマジョリティ。
声を上げる少数派、声を上げない多数派。


何より、声を上げるからこそ姿が確認出来るし、声を上げないからこそ姿が確認出来ない。


だから、言わば実体の見えない人たちなのに、厳として存在しているから不思議な感覚である。

"声を上げないことは賛成していることと同じ"という言い方があるけれど、声を上げなくても行動に移していれば、自分の意志はきちんと表していることになるのだ。

でも、目には見えないから存在感はない。

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安倍元首相の事件があった後、宗教に対する意見はとても厳しいものになった。

創価学会も同じカルトだといろんな人が言う。
そうだそうだ!と声を上げる人たち。
存在感が感じられる。
果たして、声を上げている人の中で、本当の実態を知る人はどれだけいるだろう?

私は二世の創価学会員だけれども、組織とは一定の距離を保って関わっている。
選挙も、キチンと調べた上で、意志を持って公明党には投票しなかった。
高額な壺など買わされたことはないし、巨額な献金なんてしたことがない。
そもそもそんなお金がない。笑

勧誘もさせられたことなどない。
嫌な思いをしたこともあるけれど、優しい人の方が多かった。

これは宗教云々に限らず、世間一般も同じだ。

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冷静に周りを見ていると、言わずもがな学会員は公明党を応援!という感覚はある。
そう言われて育ってきたのだから、きちんと全体を見ずに判断している人は沢山いる。
もちろん、きちんと調べた上で改めて公明党を支援したいと思う人たちもいる。

だけど、やはり"創価学会員=公明党"という暗黙の了解から、ろくに調べることもなく支援活動をしている人はとても多い。

この点は組織としてどうかと思うし、自分の中で一線を引いている。
選挙のことでは、話は一応聞くけど基本的には関わらない。

さらに、選挙の問題だけではなく、創価学会員によって辛い思いをした人も過去には沢山いるだろうし、二世、三世で苦しい思いをしている人もいるだろう。
詳しいことは分からないけれど、それも事実。
そして、その声はとても存在感がある。

宗教云々に関わらず、物事というのは表裏一体であり、100%が光というのはあり得ないのだ。
だから、逆に助けられたり救われた人も当然いるのだけれど、あまり話題にはならない。
人の不幸は蜜の味ってね。

というわけで、この存在感のある声たちは、組織の全貌ではない。
はたまた、私の声自体も組織の全貌ではない。


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自身が(一定の距離を保ちつつも)組織の中にいる実感としては、界隈で言われるようなカルト宗教というやつではないように思う。

何故なら、先程も述べた通り自分はこれと言った被害には遭っていないし、周囲の学会員さんたちはとても人を想う優しい人たちだから。

でも、私はそんな声を全く上げないから、周囲から見たら存在感がない。実体がない。

実体が見えない存在の不思議を選挙で実感しながらも、実際は自分自身が実体の見えない存在なのだ。

選挙と異なるのは、声を上げない身であり、さらには行動にも移さないこと。

声を上げなくても、選挙に投票するという行動があるからこそ、きちんと存在を表明しているのだ。

だけど、今の自分自身に置き換えると、これは選挙でもなんでもないから、行動という部分も欠ける。
つまり、声も上げなければ行動にすらならない。

これって、存在感がないどころではない。
いないのと同じだな。

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ネットの世界で取り沙汰されているようなことはちょっと違う。(と私は感じている。)

色々思うところあるけれど、声を上げていないし、行動にも移していない。
淡々と自分の現実を生きている。
そんな人が多いような気がする。

目には見えないけど、厳として存在するサイレントマジョリティ。

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