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ラジオ、お笑い、自然と動物が好き。 思ったこと、考えたこと、頭の中を整理するために気が…

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ラジオ、お笑い、自然と動物が好き。 思ったこと、考えたこと、頭の中を整理するために気が向いたらつらつらと。

最近の記事

どういうわけか、進撃の巨人を見直している。 初めてみた時は、年齢的には十分大人なのに、考え方が幼かった。 物事を偏ってみていた。だからあまりよく分かっていなかった。 いろいろな経験を経て、学び、考えるようになってから見た進撃の巨人は、全然違うものだった。

    • 電車に乗ってきた方が耳を塞ぎ、ぶつぶつと言いながらやや辛そうにしゃがんでいる。 障害を持っている方のようだ。 その方が無事に目的地に着くよう願う。 帰り道、夜の雨の中で神社に静かに手を合わせている方がいる。 その方の祈りが叶うようにと願う。

      • 9月上旬の心境。心がどこかへ行ったその後

        身体は動くが、心が動かない。 感情はどこ行った?となってから、かれこれ1ヶ月以上が経過した。 ここ2〜3日前から突然、お金がなくなる、と不安になる。 これは漠然としたものではなく、毎月の収支の割合的に本当の話だけれど、これまではなんとなく楽観視していた。 ところが、ここ数日で突然現実的な思考になったのだ。 今回着目したいのは、お金云々の話ではなく、「お、不安という感情が出てきたな」というところ。 あくまでも、この「不安」という感情には飲み込まれず、感情が出たという事実の

        • 8月下旬の心境。雑記

          どうやら夏には弱いらしい。 自覚したのはここ2年くらいの話。 ・・・というより、コロナ禍になってから生活環境が変わり、何やら頭の中が爆発しそうだったのでnoteにツラツラと気持ちを吐き出していたので、ふと振り返ると何やら楽しくなさそうな気配を過去の自分が醸し出している。 今年も例外なく、そんな夏になった。 今はどんな状況かと言えば、身体は割と動いている。 仕事もしているし、食事も凝ったことは何一つしていないけど適当に食べている。 家事も最低限やっている。 ただ、とにかく

        どういうわけか、進撃の巨人を見直している。 初めてみた時は、年齢的には十分大人なのに、考え方が幼かった。 物事を偏ってみていた。だからあまりよく分かっていなかった。 いろいろな経験を経て、学び、考えるようになってから見た進撃の巨人は、全然違うものだった。

        • 電車に乗ってきた方が耳を塞ぎ、ぶつぶつと言いながらやや辛そうにしゃがんでいる。 障害を持っている方のようだ。 その方が無事に目的地に着くよう願う。 帰り道、夜の雨の中で神社に静かに手を合わせている方がいる。 その方の祈りが叶うようにと願う。

        • 9月上旬の心境。心がどこかへ行ったその後

        • 8月下旬の心境。雑記

          サイレントマジョリティとか宗教のこととか

          7月末辺りから、ほとんどやる気のない日々が続いている。 ふと過去のnoteを振り返ると、 一昨年の7〜9月辺りも、何やら生きてるんだか死んでるんだか、みたいな心境だったようなので、夏の時期というのはどうも心身の調子が良くないらしい。 決して、塞ぎ込んで布団から一歩も動けない、という感じではない。 普通に仕事はするし、食事も(適当だけど)ちゃんとするし、家事も割とちゃんとやる。 ただ、心がイマイチ稼働していない。 ーーーーーー 7月の参院選、情報を得る場所は主にネッ

          サイレントマジョリティとか宗教のこととか

          自分の”運”を次の世代に残す

          月額500円、または年間4,900円のAmazonプライムに登録していると、対象のkindle本が無料で読める。 こんなサービスがあるもんで、せっかくお金を払っているなら使わにゃ損とどんな本があるかな~と、よくカタログを見るけれど、実際にちゃんと読み切った本は指折り程度。 タイトルに興味を持ってさらっと読んでみるも、そのまま読み進めることはない本が結構多い。 本を読みたいという気持ちがあっても、実際に読み進められるかといったらこれはまた別の話で。 そんな中、ふと「この本が

          自分の”運”を次の世代に残す

          春に_谷川俊太郎

          合唱曲の歌詞にもなっている谷川俊太郎さんの詩。 その歌詞の原文となる詩がこちら。 春に 「どきん」谷川俊太郎少年詩集より この気もちはなんだろう 目に見えないエネルギーの流れが 大地からあしのうらを伝わって ぼくの腹へ胸へそしてのどへ 声にならないさけびとなってこみあげる この気もちはなんだろう 枝の先のふくらんだ新芽が心をつつく よろこびだ しかしかなしみでもある いらだちだ しかもやすらぎがある あこがれだ そしていかりがかくれている 心のダムにせきとめられ よどみ渦

          春に_谷川俊太郎

          久しぶりに合唱曲を聞いたらなんか感動した。歌詞に。

          2021年10月2日。 お笑いが好きな私はキングオブコントの放送を楽しみにしていた。 ファイナリストに残った10組はほとんど知っているコンビやトリオなので、一層楽しみだったし、実際に全組本当に面白かった。 いつもラジオを聴いている空気階段の優勝もとても嬉しかった。 ・・・と、話の入りはキングオブコントなのだが、今回書きたかったのはこのことではない。ザ・マミィのコントの中で出てきた合唱曲「春に」である。 彼らのプロフィールを見ると、ほとんど年齢も変わらないのでまさに同じ時期

          久しぶりに合唱曲を聞いたらなんか感動した。歌詞に。

          深夜に見た夢。自分の見える世界

          夢を見て、深夜に起きた。 深夜2時57分。 ーーーーーーーーーーー 約2週間前の深夜、体の熱さに驚き目が覚める。 室温が高いのかと冷静になると、外からは心地良い涼しい風が吹いていて、適温だ。 あれ?と思っていると、突然左半身に痺れを感じた。寝相が悪かったかな?と思い、起き上がるもその後数時間、痺れがおさまらず。 唇も左半分、額も左半分、腕も足も…と見事に半分だけの症状だったので、ちょっとこれは怪しいと思い、#7119に相談をし、すぐに病院へ行くよう促されたので夜間救急に

          深夜に見た夢。自分の見える世界

          悩みなさそう

          先日、ある方から私の人生において珍しいことを言われた。 「悩みなさそうだよね」 なんだかビックリした。 これまで生きてきて、あまり言われることのない言葉だったし、人によっては「闇あるね」と言われる類の人間だったもんで、こう見られる意外性に驚いた。 そして、そんな風に見えるのかと少し嬉しかった。 私はいつも、自分の中で引っかかった言葉や感情をGoogle先生に聞いてみたりするのだが、今回も同様に調べてみた。 「悩みなさそう」 検索。 すると、結果の上位に出てきたのは

          悩みなさそう

          一人でボーッとしようとしたら囲まれた

          埼玉県川越市に喜多院という場所がある。 歴史も古く、建物の多くが重要文化財に指定されているそうだ。 毎年の初詣はかなりの参拝客が訪れるのだとか。 私は今年の1月2日に川越へ越してきたのだが、正月三が日の喜多院の様子はあまり分からない。 写真ではあまり伝わらないかもしれないが、敷地が思ったよりも広く、緑が多く落ち着いた雰囲気だ。人もあまり多くなく、たまに散歩に行くのには最適の場所だ。 春には綺麗な桜が咲いていた。 二度ほど見に行った。 そんな憩いのスポットへ、今日も散歩

          一人でボーッとしようとしたら囲まれた

          「どう育つか」を決定付けるもの

          一人暮らしを始めて約半年。 誕生日前日にパキラが送られてくることが分かった。 『送られてくることが分かった』? そう、今の時代とは便利なもので、宅配便で何かが届く時、事前に通知がくるのだ。 この通知を見た時の率直な感想としては 「観葉植物が来るのか・・・う~ん・・・」という気持ちである。 というのも、これまでろくに自分の面倒も見られなかった怠惰人間である。 一念発起をしてようやく一人暮らしを始め、約半年が経とうとしているわけだが、この怠惰人間が他の生き物の面倒など見

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          音の感じ方への変化

          「あれ?今日、音がないな。」 先日、ふとした瞬間にそう思った。 カレンダーを見ると、日曜日だったことを覚えている。 「音のない日曜日」 ・・・なんかそれっぽいタイトルじゃないの。小説でありそう。 「これで何か書けそう!」と思ったものの、タイトルだけで文章なんて書けない。得意の面倒臭がりも勝ってしまい、結局何も書くことはなく。 そもそも、なぜそんな風に感じたのかを後々掘り下げてみると、気付いたことがあった。 普段、生活をしている中で音のない瞬間ってほとんどないな、と。

          音の感じ方への変化

          寂しかったんじゃなかったっけ?

          リモートワークに切り替わって、丸一年以上が経過した。 引き続き、この仕事形態は変わる予定もなく、今年に入ってから一人暮らしを初めたこともあって、私はどうやら孤独や寂しさを感じていたらしい。 自分のことなのに「感じていたらしい」と他人事のような理由は、そういう自覚がなかったから。 どちらかと言うと、というよりも断然一人で居る方が好きで、極力、人との関わりは避けてきた。 だけど、コロナを機に人との直接の関わりが無くなる。 通勤がないので、知り合いでもない、話すわけでもないの

          寂しかったんじゃなかったっけ?

          自分事として生きていない

          今年の1月から一人暮らしを始めた。 住む環境が変わるは人生で2回目。 記憶のうちでは今回が初めてと言ってもいい。 そのくらい、東京生まれ東京育ちの自分にとっては家を出る理由がなかった。貧乏団地暮らし。 社会人になり、給料は全額家に入れてお小遣いをもらう生活が当たり前だった自分にとって、家に金を入れずに一人暮らしをするなんて、ハードルが高すぎて実現不可能。 「そんなことは出来るはずがない」に縛られ過ぎて生きてきた自分にとって、これは念願の一人暮らしなのだ。随分と時間がかか

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          受け入れるじゃなくて受け流す

          このコロナ禍で散々頭を悩ませて、要らぬことにモヤモヤして、勝手に苦しんで、息苦しかった日々を越えて、今はいろんな物事に対する見方がだいぶ変わった。 人には人の事情がある。 「そういう環境にいれば、そういう考え方になるだろうな」 「どういう環境にいて、そうなってしまったんだろう?」 等、とにかく客観的に考えるクセがついた。 いつの間にか、他人や物事に対してあまり自分の感情を持ち込まなくなった。こんなことを繰り返しているうちに、滅多にイライラすることも無くなった。 怒ってい

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