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母の闘病記

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母のがん治療のこと、娘であり看護師の私の経験について書いていきます。
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母の想いと看護師娘の経験から伝える♯7治療が中止に。

母のがん治療について、母の想いと娘で看護師の私が経験した、患者の家族としての行動や気持ちについて書いています。 治療ができなくなった時のことについてをお話します。 母は、2013年4月に子宮頚がんと診断されました。 抗がん剤治療と放射線治療により、腫瘍は縮小し、腫瘍マーカーも正常値になったものの、肺転移が見つかり、抗がん剤治療と放射線治療を開始しました。 しかし、抗がん剤を点滴している最中にアレルギー反応が出て、治療は中止となりました。 両親との対話 治療は中止になりまし

母の想いと看護師娘の経験から伝える♯6お金の話

母のがん治療について、母の想いと娘で看護師の私が経験した、患者の家族としての行動や気持ち、時々看護師としての考えについて書いていきます。 母は、2013年4月に子宮頚がんと診断されました。 抗がん剤治療と放射線治療により、腫瘍は縮小し、腫瘍マーカーも正常値へ。  診断・治療から、2年後、腫瘍マーカーが上昇。 肺転移のため、抗がん剤治療を開始しました。 治療に反応し、一時的に腫瘍マーカーも改善したのだが、さらに転移が見つかり、抗がん剤治療を再度行うことになった。 治療に関す

母の想いと看護師娘の経験から伝える♯5脱毛

母のがん治療について、母の想いと娘で看護師の私が経験した、患者の家族としての行動や気持ち、時々看護師としての考えについて書いていきます。 2013年4月に子宮頚がんの診断となり、抗がん剤治療と放射線治療により、腫瘍は縮小し、腫瘍マーカーも正常値へ。 その後1年間は、定期的に通院。受診の度に血液検査で腫瘍マーカーの変化がないか確認を行っていた。  診断・治療から、2年後、腫瘍マーカーが上昇。 再発や転移が疑われて、PET‐CT検査を実施することになった。 PET- CTにて、

母の想いと看護師娘の経験から伝える♯4気持ち

母のがん治療について、母の想いと娘で看護師の私が経験した、患者の家族としての行動や気持ち、時々看護師としての考えについて書いていきます。 母とのエピソードは、いいことも悪いこともたくさんあります。 母が、話したことで忘れられないことのひとつを残しておこうと思います。 それは、放射線治療が始まった病院でのことでした。 2013年4月に子宮頚がんの診断となり、4月下旬から始まった抗がん剤治療が終了しました。 6月には、放射線治療のため、実家のある街から車で1時間ほど離れた街の

母の想いと看護師娘の経験から伝える♯3治療と食事

母のがん治療について、母の想いと娘で看護師の私が経験した、患者の家族としての行動や気持ち、時々看護師としての考えについて書いていきます。 検査の結果、診断は、子宮頸がんでステージはⅡA期ということでした。 診断がつき、治療についての説明を聞き、母は今できる治療をするといって、抗がん剤と放射線治療をすることを決めました。 4月下旬から、始まった抗がん剤治療。 母は入院前に、「病院の食事を食べられるか心配」「においとか、大丈夫だろうか」と、心配していました。 母が子供の頃、

母の想いと看護師娘の経験から伝える♯2治療を決める 意思決定について

2013年4月下旬、母の病状説明を聞くために、夫と一緒に実家に向かう事にした。 偶然、夫も仕事が休みだった。 実家までは、車で2時間半ほどかかる。 私自身の気持ちも、決して元気な状態ではなかったのでありがたかった。 実家に着くと、私や夫に、忙しいのに自分のためにわざわざ来てもらい、申し訳ないと何度も誤っていた。 そして、母はお昼ご飯の準備をしてくれていた。 炊き込みご飯だった。 私や妹が実家に帰る、親戚が来るなど、来客があると必ず食事を準備してまっている。もてなしや気配りの

母の想いと看護師娘の経験から伝える♯1自覚症状があったとは。

母のがん治療について、母の想いと娘で看護師の私が経験した、患者の家族としての行動や気持ち、時々看護師としての考えについて書いていきます。 はじめに 母は6年前、がんで亡くなりました。 生前、母は闘病記を書きたいけれど、うまく書く自身がないので、私に闘病記を書いて欲しいと話していました。 その時の私は、闘病記を書いてみたいと思っても、どこに何を何から書いていいのか分からない状態でした。 noteを始めたことで、自分の経験や想いを書きだすことができると思うようになりました。