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小説 善悪と彼岸

前説

本作は、遺産相続を依頼した「私」と代理人弁護士の物語です。
弁護士との出会い。そして依頼した弁護士を本人訴訟で訴え裁判に負けるまでを描いた事実をもとにした小説です。本人訴訟を提起するさい、ネットで実際に本人訴訟を提起した人の訴状とかを参考にしました。


                
               (一)

父が死んだ。
夕食後、私は兄から電話を受け、車で30分ほどの距離にある病院に行った。
6月頃から経口摂取ができなくなり、点滴だけになっていた。点滴だけなら一般的に1か月くらいの余命だろうと考えていたので、死亡を聞いても別段驚くこともなかった。一週間前には苦しげな様子で左手で胸を押さえ、「痛い」とひとこと声をあげ、もう片方の右手は自分の顔の前にかざし、掌をじっと見つめていた。3日前は目覚めることもなく、ただ眠っていただけだった。ベッドの横に設置されてある戸棚の前には、父の入院費の請求書がテープで貼られてあった。
病院につき、二階に上がり、いつもの6人部屋の病室の一角に、縦横に濃いグリーンのカーテンが張り巡らされていた。カーテンを開けると、ベッドの上で父が眠っていた。
病室を出て、明々と電気がついている2階の待ち合い室まで歩いて行くと、丁度兄は電話をしていた。電話が終わり、兄が話しかけてきた。兄によると、今朝、父の容態は急変し一時間前に亡くなった。遺体を搬送する車を葬儀屋に手配したところ、一時間後くらいに病院まで来てくれるということだった。
認知症の始まった父は私たち兄弟のどちらかと同居をしたいと言い出した。私も兄も現在の安穏な暮らしを父によって壊されたくなかった。それゆえ3年前、私たち兄弟は父をグループホームに入所させた。
「ちょっと遊びに行くだけだから。一人ぼっちだ、寂しい、とよく言ってたけど、ここなら友達がいるから」
兄はそう言って、それ以来父を家に帰すことはしなかった。主のいなくなった家にはいつのまにか兄夫婦が住んでいた。
父の遺体は家に帰ることなく、病院から直接葬儀会場の控室に運ばれた。
深夜にもかかわらず、僧侶が来て父の遺体の正面に腰を下ろしてお経を読み始めた。30分くらい読み上げた後、僧侶はいなくなり、代わりに葬儀屋がやって来て、入り口近くに置いてあった机の前に座り、葬式の段どりを話し始めた。家族葬の為、最も小さな会場で供花を多くした。
翌日、数名の親戚を伴ったお通夜が行われ、その次の日、父の家の近所の人が参列に加わり葬式は滞りなく執り行われ、父の遺体が入った棺は霊柩車から降ろされ、炉の中に入れられ火葬された。
葬式の次の日、午後2時頃兄から電話がかかってきた。
「父の通帳が凍結されて、グループホームのお金も支払えなくて、身動きができなくなっている。家族の実印と印鑑証明書が必要だから、用意して欲しい。今日は金曜日だし、午後3時までに銀行に持って行かなくてはならない。」
お父さんの通帳からお金を引き出していたの、と思ったが、私は兄のいうとおり市役所へ行き、書類を用意して銀行の用紙に押印し、兄に渡した。「ありがと。これで首が回るようになった。おまえにも少しやるから」そう言って帰った。私は兄の車が走り去って行くのを見ていた。
1週間後、兄からまた電話があった。今度は「土地家屋の名義変更を早急にしたいから、用紙に押印をして欲しい」というものだった。
兄は私の家まで遺産分割協議書と書かれた用紙を持ってきた。私は用紙を受け取ったまま、部屋から出ていかなかった。遺産分割協議書には「土地家屋は全て佐伯隆のものとする」と記されていたが、貯金額については全く記入がされていなかった。しばらくして玄関に行くと、兄はもう帰っていた。
父が亡くなってからまだ10日しか経っていない。なぜこんなに急ぐのか、全くわからなかった。
次の日、私は、先日用意した印鑑証明を持って書類に押印した銀行へ行き、明日の午後に父の通帳の取引履歴を渡してもらうように約束した。
翌朝、市役所へ行き、午後からの法律相談を予約しようとしたら「無料法律相談の時間指定はできません」といわれ、午前中に無料法律相談を受けることになった。弁護士から戸籍謄本を市役所に持参し父の土地と家屋の固定資産税の用紙をもらうように勧められた。

午後、銀行へ行き、父の通帳の取引履歴明細票をもらった。
銀行の駐車場の車の中でその書類を見た。心臓の鼓動が強く脈打った。頭がふわっとして眩暈がした。蝉は短い生命を全うしようと一心不乱に鳴き続けていた。

「今日の最高気温は32.8℃。厳しい暑さとなりますので、熱中症対策をしっかりと行ってください」ラジオが天気予報を告げた。
翌日、私は駐車場に車を停めビルの中に入り、色彩法律事務所の扉を開けた。事務員が部屋まで案内した。四方をパーテーションで仕切ってドアをつけただけの、簡易的な小さな部屋に通された。白いシンプルなクロームメッキ脚のオープンデスクを挟んでグレーのスチールチェアに座り、事務員から渡された用紙に記入した。「名前 西谷千恵」 「職業 無職」「訴えたい人 佐伯隆」。事務員が麦茶を持ってきてテーブルの上に置いた。喉が渇いていたから出されたお茶をすぐ飲んだ。
偶然にも昨日法律相談を受けた弁護士が現れた。
「無職?」弁護士は用紙を見て怪訝な顔をした。
「無職です」
仕事は数ヶ月まえに辞めていた。

事務員が弁護士の麦茶を持ってきた。私のコップが空になっているのを見てもう一杯飲みますかと申し出た。私は喉が渇いていたからお願いした。

「兄を訴えたいんです。父の通帳から2500万円引き出されていました」
銀行から渡された取引履歴明細票を弁護士の前に差し出した。
弁護士は取引履歴明細票をパラパラとめくり、
「お金はもう残ってないんじゃない?」
と、最後のページを5秒ほどじっと見ていた。
「まだ6500万残っている。凄いなぁ」
「あなたは、この通帳の存在を知らなかったのですか」
「知りませんでした」
私は答えた。
「いつ知ったのですか」と弁護士が尋ねた。
私は葬式が終わって以降の兄とのやりとりを弁護士に説明した。
葬式の翌日通帳が凍結されて身動きが取れないとうちに来たこと。兄が父の通帳から毎月100万円以上引き出していたのを昨日知ったこと。
「兄を訴えたいのです」
「無理です。親子ですから。親子間では法的には問われません。今まで、あなたとお兄さんとの関係はどうでしたか」と弁護士は尋ねてきた。
私は普通だったと応え、その後、義姉さんとの関係はどうだったか、
お母さんはいつ亡くなったか、死因は何か、と、弁護士は次々と私に尋ね、私が言った言葉を用紙に書き込んだ。
「お父さんの通帳は既に解約されていると思われるので、銀行に行ってお兄さんの通帳に振り込まれた日を確認してください。それとあなたが押印した銀行の書類のコピー。あ、銀行に今から電話をしてください」
 弁護士は事務所の電話を使って銀行に電話をするよう私に促した。
電話をかけ終わった後、弁護士は銀行の書類には相続人で分けるかどうかを書いてあるので、書類を貰ったら、すぐに事務所まで持ってきて欲しい、と付け加えた。
「本当は法律相談料をもらうのですが、相続の話を進めていくということで、今日はお金はいりません」と、次の来訪日を告げ、弁護士はドアまで私を案内し、両腕を足の横にきっちり揃え、慇懃にお辞儀をした。
3日後、弁護士本人から連絡があり、正式な契約書を作るため、今度来るとき、身分証明書と簡単な印鑑を持ってきて欲しい、と言ってきた。
弁護士との約束の日、私はいつもの部屋に通され、スチールチェアに座った。部屋のドアが開き、弁護士が顔を見せた。電話をしなければいけないからあと1分待って欲しいと言ってきた。
数分後、ドアが開き、お待たせしましたと言って、私の斜め前の椅子に弁護士は座った。「本当に2500万円引き出されていました。毎回50万円を引き出されてましたが、何故だと思いますか?カードで引き出すことのできる上限が50万円なんです」
父はカードを持っていなかった、と私がいうと「でもこれはカードで引き出されていますよ」と弁護士は応えた、

「ところであなたは本当にこの通帳の存在を知らなかったのですか」と繰り返し私に尋ねた。「お兄さんはお父さんから頼まれて引き出したものかもしれません。」「お兄さんだって、生活に困って引き出したのかもしれません」「あなたが思っている以上にお兄さんの生活は貧窮していて、どうしても必要だった、というかもしれません」「家が古くなって、かなりの修理費用がかかったのかもしれません。あなたが知らないだけで、家はかなり酷い状態になっていたのかもしれません」私は、兄夫婦は共働きであり、生活に困っている家庭ではないし、家はそんなに酷い状態ではない、と話した。「普通は、老人ホームの費用はおじいさんの年金から出しますよね。ホームの費用を引いてでも年金はまだ残ります。どこの家でも同じことをしています」「たとえあなたが訴えたとしても、2500万円は帰ってこないんです。1250万円は、もともとお兄さんのお金になるから、1250万円しか返ってこないんですよ。それにこの場合の被害者はあなたではありません。亡くなったお父さんでもありません。被害者は銀行なんです。お金を管理している銀行なんです。銀行があなたのお兄さんを訴えないといけないんです。銀行が訴えるとは思えませんがね」弁護士は言葉をつづけた。
「遺産 使い込み」とネットで検索すれば、情報収集は容易にできる。銀行が被害者になることは既に知っていた。それなりの知識を得ていたので、弁護士の言葉に別段驚くこともなかった。
「あなたは本当にこの通帳を知らなかったんですか」弁護士は繰り返し尋ねてきた。「同居もしていなかったし、父の通帳から引き落としていると思わなかった」と私は応えた。
「お兄さんの口座にはすでに6500万円入ってしまっているでしょう。それを使えないように、銀行口座を止めないといけないのです。その為にはかなりのお金を払わないといけないんです。金額が多いほど払うお金も多くなるんです」そう言って弁護士は険しい顔つきで私をじっと見つめたあと、「裁判費用は払える?金額が大きくなると、裁判費用も大きくなるんだけど」と尋ねてきた。今まで仕事もしていたし、父からもらった200万円のお金もあるから大丈夫だ、と私は言った。
「僕は正直な人が好きなんです。それは生前贈与になりますね。お父さんから貰ったお金は他にありませんか」と尋ね、私は「ない」と答えた。
弁護士の表情は先ほどとは変わり、穏やかな表情で微笑み、それでは今から契約書を作成するから待って欲しい、そういって席を立った。
パーテーションで仕切られた壁や天井をぼんやりと眺めながら、先ほどの弁護士との会話を反芻した。棘のある、辛辣な言葉の数々。明らかに私を拒絶していた。
弁護士は金のない者は相手にしない。職業に「無職」と書いたのが悪かったのか。ユニクロのTシャツとジーンズが悪かったのか。ユニクロか。汚れたクラークスを履いていたのが悪かったのか。角の色が剥げたアニエスベーの鞄が問題だったのか。薄すぎる化粧が原因か。何が私を貧乏人に知らしめた?貧乏人はお断り。安易に利用してもらっては困る。容姿容貌、立ち居振舞い、社会的地位、外側の形で、人間の価値判断は下される。法律事務所は敷居が高い。どの弁護士も同様の考えをもっているのだろう。悪い先生ではない。この人にお任せしよう。相談料だって払っていない。多くの書類も渡した。ホームページに載せていた経歴。35歳を過ぎて司法試験に合格。それまでに他の仕事を経験し、それなりに辛酸をなめる彼の物語があったはずだ。そして、私は弁護士を利用することができる側の人間に該当するのだ。私はそう自分に言い聞かせた。
10分ほどして、弁護士が戻ってきた。弁護士は資料を見せてこう言った。「弁護士費用は自由化されていますが、弁護士費用の目安となる日弁連の旧報酬規程があって、どこの法律事務所もこの旧報酬規程を基に金額を決めています。ここには、”遺産分割における『経済的利益』とは、依頼者が相続する遺産の時価相当額です。”と書かれてあります。預金残金6500万円にお兄さんが引き出した2500万円を加算し土地家屋を含めるとお父さんの遺産額はおよそ1億円。つまり、あなたの場合、1億円が経済的利益になります」
旧日弁連の基準に基づき精密に計算をした結果、着手金は100万円となり、みなし報酬は計算結果では1000万円を超えたが、800万円に定められた。私は委任契約書に押印した。契約と同時に弁護士は「今からすぐにこの手紙を出します。見て頂けますか」と兄に出す手紙のコピーを渡された。遺産分割に対する意向を知りたいので、意見を弁護士まで連絡して欲しい、そして今後の連絡は千恵さんではなく弁護士に、というものであった。
私はその日のうちに着手金100万円を法律事務所に振り込んだ。貧乏人だと認識されていたので、お金に関しては、できるだけ早く振り込みたかった。
 法律事務所から連絡があり、5日後、三方向をパーテーションで囲み、一面だけの壁がある法律事務所のいつもの部屋で私は座っていると、弁護士が黒表紙の分厚いノートを持って現れ、奥の椅子に座り話し始めた。

「今後の方針を相談しようとA市の裁判官に相談に行きました。すると7月17日から8月16日まで夏休みをとっていて、仕方がないからB市の裁判官に聞こうとしたら、B市の裁判官も夏休み中で、それで事務方に相談しました。僕、取引履歴明細票の見方を知らなかったんですが、すべて現金で引き出しているそうです。カードで引き出した場合、カードって記載されるそうです。それから、取引している銀行で引き出された場合は何も記載されないけれど、取引銀行以外の場合は、引き出された支店名が記載されるそうです。本人以外の貯金の引き出しは、100万円を超えたら委任状が必要になるけれど、50万円くらいなら、信用されるんじゃないのか、と言っていました。これは銀行を相手に訴えても勝てる案件だ、と言ってくれました。最近、銀行は裁判で負けまくっているんです」
「お兄さんは多分なりすましをしたのだと思われます。僕、考えてみたけれど、銀行で身分証明を出すかなぁと。十か所以上の支店で50万円を頻繁に出しているけれど、お父さんが取引していた支店では一度も出していない。お兄さんはなりすましをしたのだと思います」
 弁護士は話題を変えた。
「僕、ここに載っていない別の支店に電話をして、訊いたんです。弁護士なら取引伝票を見せてもらえますか、って。そうしたら弁護士でも無理だ、って言われたんです。そりゃ弁護士の上の方の人に頼んで調べることもできるけれど。取引伝票はもう調べなくていいでしょう? 十か所以上の支店で、調べるのも大変だし。今朝、お兄さんから電話があって、お兄さんは、お父さんの通帳を使ったことを認めたんです。だから調べなくていいでしょう?」そう言って弁護士は私に確認を求め、ノートに、取引伝票は調べない、と書き込んだ。

「今朝、お兄さんと話をしたんです。お父さんの通帳を知っていますか、入院費はどこから出していましたか、って聞くと、入院費が必要だからと通帳を探したら見つかったので父の通帳から出していた、と正直に言っていました。お兄さんは正直な人ですね」「お兄さんが言った事を確認しますね。お兄さんが提示したのは、現金1000万円とお父さんが住んでいた家。これで承諾しますか」と私に尋ねた。私は弁護士に800万円を支払わなければならないのか、と尋ねると、「金額によって弁護士費用は変わります。しかし、800万円を基準に計算をすることになります」と弁護士は応えた。
そしたら私の取り分は少なくなるから承諾はできない、と私はいった。

通帳からの多額の引出の始まりが義理の姉の勤め先周辺であったことから、これは義姉が始めたものだと私は話した。「お兄さんはファーストホテルに勤めていますね。お父さんの入院後、ファーストホテル周辺で引き出されているため、これはお兄さんが引き出した可能性が高い」と弁護士は私の言葉を否定した。兄はファーストホテルの支配人をしていた。なぜ兄がファーストホテルに勤めていることを弁護士は知っているのだろうかと思ったが、弁護士は兄の名前で様々な事を調べ、勤め先を知ったのだろうと私は考えた。「入院後のお兄さんが引き出した分の請求を考えているんですが、義姉さんが出てくると、厄介なことになります。入院以前の引出金額は義姉さんが引き出していたとしても、こんなにお金があるのならこの部分は請求しなくていいでしょう。お兄さんは正直に認めたのだから、ここは穏便にいくことにして入院以前の引出分は捨てましょう。」私は弁護士の判断に委ねた。

「ところで、弁護士には正直に言ってください。生前、お父さんから貰ったお金はありますか」と弁護士が尋ねた。私は母が亡くなった後、父から200万円を貰い、兄は100万円を貰ったことを話した。「それは生前贈与になります。正々堂々と戦う為、僕は正直に書こうと思います」と弁護士は言った。

「それではまず、調停から始めようと思います。調停って解りますか。調停とは話し合いです。顔を合わすことはあまりありません。それで決まらなかったら、裁判になります。調停の準備を始めましょう。お兄さんには裁判所から書面が届く旨の手紙を書いておきます」

「平成24年11月まではお父さんの住所がある支店から引き出されていましたが、一カ月10万円くらいなんです。お父さんはお金を使わなかったんですね」「それと今度は18日の2時に来てください。その日に調停の書類を裁判所に出そうと考えています。それまでに、お父さんの入院以降の後期高齢者医療の使用金額がわかる書類を貰って、うちに持ってきてください」

18日午後1時30分に法律事務所から連絡があり、私の住民票と父の除票が必要なので市役所に行ってもらうように、ということだった。市役所で手続きをしていると職員が、住民票には様々な種類があり、どのような用途で住民票を必要とするのか尋ねられたため、私は法律事務所へ電話をかけた。

「本籍地の入った住民票でしょうか。それとも本籍地のない住民票でしょうか」事務員から返答があった。
「普通の住民票です」

私は再度尋ねた。
「本籍地のある方ですか、それとも無い方ですか」
スマホから声が聞こえた。
「普通の方です」

 全ての書類を法律事務所まで届け、パーテーションで区切られた事務所の部屋の椅子に座っていると、弁護士が書類を持って入ってきて、机の斜め向かい側に座った。弁護士が椅子に座り、そのあと事務員は麦茶を持ってきた。私は出されたお茶を一気に飲み干した。

 弁護士は書類を私の前に差し出して言った。「裁判官からは裁判を勧められましたが、僕は調停の方がいいと思っています」そのあと書類のページを開いた。不当利得返還請求権。273,311,718円。「利息をつけています。うちを有利にしていますから」

「土地、建物の固定資産評価額を基にすると約1千万円。総額約1億円。法定相続額の二分の一を考えています」

 第1回調停が始まった。受付を済ませ、2階にある申立人控室に入った。

入り口から奥まで部屋いっぱいに長いソファーが向かい合って置かれていて、私は奥の窓際に座った。しばらくして50代の女性が部屋に入り、私の向かいに座った。数分後、ドアがまた開き、精悍な顔つきの初老の男性が入ってきた。女性はその男性に挨拶をし、男性は女性の隣に座り、今日の予定や内容を説明した。10分くらい経って私の代理人弁護士が部屋のドアを開けた。初老の男性は弁護士の顔を見るなりすぐさま挨拶をし、弁護士も挨拶を返した。女性と初老の男性が会話を絶やさないのに対し、私の代理人弁護士は私には関心を示さず、鞄からアイパッドを取り出し、終始画面を眺めていた。男性が部屋を開け、弁護士の名前を呼び、私たちは別の部屋へと移動した。広い部屋の中央に大きなテーブルが置かれ、テーブルの向こう側に男性と女性調停委員が座っていた。

男性調停委員が話を始めた。
「早速ですが。先生、お母さんは平成9年に亡くなっていますね。この生前贈与200万円を正直に書いてくれたのですが、これはお母さんの遺留分にはなりませんか」というと「なりません。これは生前贈与です」と弁護士は即答した。
「その時のものが何か残っていませんか」
と調停委員は尋ねた。弁護士と男性調停委員は激しい議論をしたが、そのうち調停委員は何も言わなくなり、弁護士の衒学的長広舌を聞きがら、ぽかんと口をあけて呆然としていた。女性調停委員はずっと俯いたままだった。数秒の沈黙の後、弁護士は再び「このお金は…」と早口で自己の主張を続けた。まだ喋るのかと私は思った。そもそも弁護士はこのお金がどのようなものかを全く知らないのに何をこんなに長く喋っているんだ。
私は弁護士の話を遮り、大声で「このお金は父が裁判で得たお金です」と発言した。弁護士は話を止め、般若のような形相の顔を私に近づけた。ふと、正面を見ると女性調停委員は顔をあげて私を見ていた。男性調停委員もぽかんと口を開けたまま、私の方をじっと見ていた。私は母の交通事故と200万円を貰った経緯を説明した。私の話が終わったあと、静かな声で、調停委員が「これは遺留ですね」と述べると、弁護士は「遺留ですね。帰って直します」と言った。

次に男性の調停委員は父の家の名義の十分の一は母のものになっていたことに言及し「なんでこんな事になっているんでしょうかねぇ」といって、母の遺産相続の書類も作って欲しいと弁護士に頼んだ。

  調停室を出た後、弁護士は「依頼者は申立人控室に待機してください。弁護士は弁護士控室に居ます。僕に用事があったら来てください」と足早に弁護士控室に入った。申立人控室で私は、先ほど調停委員が頻繁に発言していた「いりゅう」を検索した。

ドアが開き、先ほどの初老の男性と女性が申立人控室に入ってきて、私の前に並んで座り話をつづけた。どうやら、彼女はアルコール依存症の夫がいて今日は初めての調停であるらしかった。成人した長男は父親を施設に入れた母親を咎めたこと。施設に入ったところでアルコール依存症は治らないこと。成人した長女がいること。成人した子供は母親の籍には入れないこと。二人は絶え間なく話をつづけた。

「旦那がなにをいうのか心配で」女性がそういうと、初老の男性は「調停っていうのは曲がりくねった道をまっすぐな道に直していく。それが調停です。そして弁護士はその道を設計し、構築し、造っていく建築家のようなものですよ」そういってはっはっはっと笑った。

ドアが開き、調停委員と思われる女性が「弁護士さんだけ来てください」といって、初老の男性は部屋から出て行った。

私はひとり残された女性に話しかけ、どこの法律事務所かと聞いた。スーパーの近くにさくら動物病院があり、その前にあるビルの2階に法律事務所がある。弁護士と会うのは今日が3回目で、フットワークの軽い弁護士だと彼女はいった。

そして、お互い初めての調停であること、裁判所には調停委員が想像以上に大勢いると話をした。

ドアが開き、調停委員が私の方を見て、来てくださいといった。私は椅子から立ち上がり、部屋の外に出た。私の前に弁護士がいて、うしろを向き私の方をちらりと見て調停委員の後をついて歩いた。

第1回調停の後半、調停委員から兄は遺産を二分の一に分け、妹は家が欲しいと言っていたから、父が住んでいた家は妹に譲るといった趣旨の話をした。私は家はいらないといった。

「ところで先生、引き出したお金だけを別にして考えますか、それとも遺産相続として、全てをまとめて考えますか」

「全てをまとめます」

そうこたえたあと、弁護士は兄と会って話がしたいと調停委員にいったため、私は再び申立人控室で待つことになった。先ほどの彼女は調停室に入ったのか、部屋には誰もいなかった。屋から窓の外を見た。裁判所の駐車場が見えるだけで特に何が見えるわけでもない。裁判所という檻の中でわたしはただぼんやりとしていた。

 

1週間ほどして法律事務所から電話連絡があった。「今お母さんの書類を作っているんですが、お母さんの遺産相続には20年前の交通事故の裁判資料がないと作成できません。お母さんの事故の書類はありますか。交通事故の書類です。お母さんの裁判の記録が見たいんです」

「私が探すのですか」

「はい。20年前の裁判資料を取り寄せてください」

「交通事故の裁判ってどこでするのですか?」

2,3秒の沈黙が流れた。

「あぁ、それ裁判じゃないと思います。裁判ていうのはねぇ、書類をかなり用意しなきゃいけないんです。被害者の家族は書かなければならないことが多いんです」

「私、印鑑をいっぱい押しました」

「それって単に自賠責の書類に印鑑を押しただけの事だと思うんです」

あの時、父は私の家に来た。

「多分……」

父の言葉を思い出した。

「裁判だったと思います…」

「分かりました。それでは調べて書類を持ってきてください。よろしくお願いします」

弁護士は自分で調べることはしないのかと思ったが、、私自身あの時の事を知りたいという思いがあった。

 弁護士から電話があった次の日、B市の地方裁判所へ行き、母が亡くなった翌年終了した交通事故の裁判記録の閲覧を申し出た。訴訟提起人に父の名前を書いた。

「民事ですね。コンピューターの記録を調べてきます。30分くらいかかるかもしれませんがよろしいでしょうか。こちらでお待ちください」

若い男性が申立人控室まで案内をしてくれた。

部屋にある片方の長椅子にはがたいのいいい男性が寂しげな様子でひとりソファーに座っていた。しばらくすると20歳代と思われる男性が部屋に入ってきて、彼の隣に座った。

「今から30分くらい待たないといけないんです。こちらが30分話して、終われば向こうが30分」

 柔和な微笑みで男性に話しかけた。襟には金色のバッジがキラキラと輝いていた。

「今はどんな野菜を作っているの?」

「レタスやブロッコリーを作っています」

「あぁブロッコリーは美味しいね。サラダにしてもいいし、パスタにしても美味しいし」

そう言って笑みを浮かべた。

「機械とか使って収穫するの?」

「キャベツとかを収穫する機械があって使っています」

「たまに畑のレンタルとかの話を聞くけれど、そういうのをしている家もあるの?」

「そういうのをしている家もあります」

両親から愛情たっぷりに育てられたと思われる物腰の柔らかな男性は包み込むような微笑みをみせ金色のバッジを輝かせながら、がたいのいい男性に絶え間なく声をかけていた。

30分程たって、先ほどの若い男性が戻り、結果を知らせてくれた。

「申し訳ありません。前後2年間まで調べたのですが、該当者がいませんでした。もしかすると僕が見落としたのかもしれませんが、訴訟提起人の住所の近くの家庭裁判所の可能性が高いと思います」

「家庭裁判所で交通事故の裁判をしているんですか」

「えぇ。家庭裁判所でも交通事故の裁判はしています」

 そう言って家庭裁判所の電話番号と住所を書いた紙を渡してくれた。

「もしそこでも無いようでしたら、また連絡をください。お力になれず申し訳ありません」

 丁寧な対応に感謝をし、裁判所を出た。

私は先日調停を行った家庭裁判所に行き、B市の裁判所と同じように尋ねてみた。

相手の名前と事件番号を尋ねられた。事件番号なんて知らない。

それではせめて相手の名前でも分かればいいのだが、といわれ私は裁判所を出た

 相手のなまえ。過去の新聞。図書館なら調べることができる。。

私は事件の翌日の地方新聞を閲覧を申し出た。

一面、二面と新聞を開いていく。心臓の音が聞こえてくる。

『ひき逃げ犯逮捕』 警察は運転していたB市の会社役員(五八)を、道路交通法違反(ひき逃げ・酒気帯び運転)容疑などの疑いで逮捕した。相手の名前が載ってあり、そのあと母の名前があった。重体。

 

テレビがついていた。画面に映る東京競馬場には世界から名ジョッキーが集結し、馬たちは芝生の上を悠々と歩き、枠入りのファンファーレが鳴るのを待っていた。

電話が鳴った。

兄からだった。「母が飲酒運転の車にひかれ、集中治療室に入っている」

私は片道40キロ先にある病院まで車を走らせた。

事故の一報を聞いたとき、誰かが私の代わりに母を殴ってくれたと思った。車を運転しながら私は様々なことを思い出していた。

私が中学生になったとき、兄は大学生となり家を離れた。それから私と母の二人暮らしが始まった。母親は宗教の集会でよく家を空け、鍵がかかったまま家に入れないときがよくあった。私が怒ると母親は言った。「いったい誰の為に宗教に入ったと思っている。お兄ちゃんひとりだけだったら宗教に入らなくてもいい。小さい時からおまえは素直な子供でなかった。おまえはわたしのいうことを全く聞かないから、おまえの為に宗教に入っているんだ。おまえの性格が悪いから宗教にはいってるんだ」

母は父の稼いだ給料を私の教育費と宗教に使った。なにものかわからない大きな重圧が私の上にあった。中学2年の半ば頃から私は全く勉強をしなくなった。なぜこんなことになったのか自分でも分からなかった。しようと思っても私は何もできなくなってしまった。提出物を出すこともなくなった。全く勉強をしなくても、今まで勉強をしてきた貯金があったため実力テストの順位はそれ程下がらなかった。定期テストが悪かった。内申書が酷く悪かった。中学の先生は母に、この高校なら一番になれるといって、私は全く勉強をせずにワンランク下げた兄と同じ高校へ成績上位で入学した。この高校は馬鹿ばかりだと思った。私は全く勉強をしなかった。成績は落ち続け、順位は最下位間際まで落ちた。

「この子は性格が悪いからこんな成績を取るんです」

母は先生にそういった。

学校から帰る車の中で運転をしながら母親はずっと喋った。

「本当のことを言ってやる。お兄ちゃんよりおまえの方が勉強はできた。お兄ちゃんは一生懸命勉強していたけどおまえは寝るばっかりして全く勉強をしなかった。お兄ちゃんは私に似て性格が良かった。おまえはお父さんによく似て性格が悪いから成績が下がるんだ。先生が一番になれるっていってこの高校に入ったのに」

「おまえみたいなやつを高校まで行かせてやって、そのうえ短大に行かせてやるんだ。短大に行かせなかったら人からケチだと思われてしまう」

私は就職を選んだ。勉強はやろうとしてもできなかったし、やりたいこともなかった。なによりも、低能ぞろいの学校へ行くのはもう十分だった。

「おまえは親不孝だ」

母親はそういった。

 

総合病院の中に入ると、父は廊下にある長椅子に腰かけていた。兄は父の傍に立っていた。兄は私の顔を見て、少し離れた、誰もいない暗い待合室まで歩いていき、話を始めた。

「父と母と二人で歩いているところに、茶色のボルボが母親をはねて走って行った。ひき逃げだった。目撃者がいて、犯人はすぐ捕まった。飲酒をしていた。上乗せ保険に入っていて、入院費やその他、保険からお金は下りてくる。保険会社の人は、家族はいない、って言ってたけど。さっき電話があって、事故を起こした者の姉です、って。弟が大変な事をして申し訳ありません、って謝ってきた。家族はいるんだよ。保険会社は事務的な話をしてすぐに帰った」

私は廊下にでて、父の座っている長椅子の隣に立った。

「危ない運転をするなぁ、そう思った時、家内はもう倒れとった。眩暈がしてわしも座り込んだ。事故を目撃した人が警察に電話をして、救急車を呼んでくれた。それから隆の勤めるホテルに電話をして来てもらった。わしも家内もちゃんと右側を歩いていたのに」

 日曜日で看護婦も医師も足りない。部屋もない。最初の救急病院で断られ、遠くの病院に運ばれた。

 医師から説明があった。首の七番目の神経がやられているから、左手と左足は不自由になる。完治はできない。

 父は動けなくなった母の傍にずっといた。完全看護だから、付き添いのベッドも食事も用意できないと言われ、保険会社の人が簡易ベッドを用意してくれた。

翌日の新聞で相手の人を知った。私は警察に電話をして相手のことを教えて欲しいといった。教えることはできないと言われた。被害者の家族だと言うと、なおさら教えることはできないといわれた。新聞記事が全てだった。

数週間後、母は集中治療室から一般病棟に移った。

「お正月が来るのに、何にもしてあげれんでごめんなぁ。この間、お父さんと雛人形を見に行って、雛人形の予約はしたから。立春を過ぎて大安の日に、お店の人が千恵の家に持って行ってくれることになってるから」

私は母の入院する病院へほとんど行かなかった。

三か月が経ち、人工肛門をつけた母はリハビリをするようになった。刺繍をして指を動かす練習。歩く練習。平行棒を両手で握りしめての移動。

「あんなに簡単に歩いていたのになぁ。少し歩くと汗がだらだら出るんや」

父は母を車椅子に乗せて、満開の花を観るために、歩いて二十分ほどのところにある桜の名所まで押して歩いた。風は木の枝や葉をはためかせていた。花やつぼみを眺めていた。

「風は気持ちええなぁ。もうこんなに暖かんなったんやなぁ」

夏になり、退院が決まった。

「本当はこの日に帰れるけど、一週間遅らせて帰ることにした。病院の花火大会があって、それが終わって帰ろうと思う」

退院後、喜んだのは最初だけだった。

1級身体障害者手帳。好奇の目。視線。同情。

母は愚痴ばかり言うようになった。

「私は身体障害者になった。手も足もまともに動かない。お父さんはちっとも手伝ってくれない。こんなに何にもしてくれない人だと思わなかった。私はお兄ちゃんを育てておまえみたいなやつ…おまえを育ててきちんと生活をしてきた。それなのにお父さんは、今までさんざん好き勝手をしてきたから罰が当たったんだ、っていうんだ。一生懸命倹約をして、お金を貯めて、だからこんな大きな家を建てることができた。今までお金を貯めるばっかりしていたのに、どんどんお金が出て行ってしまう」

実家は改築工事の準備をしていた。スロープを付け、フローリングの床に手すりをつける計画をしていた。

ある日何気なく電話をした。

「私また入院する事になった。急にお腹が痛くなって。病院に行くと、事故のこともあるから今までいた総合病院に入院する方がいいって言われて。今から来てくれない? もう今度入院したら家に帰れないかもしれないから。もうこの家で千恵に会うこともできないかもしれないから」

私は行かなかった。

同じ病院にまた入院をした。顔の色が異様に白くなった。髪が抜けてきた。父は、今度は車で片道五十分かけて毎日通った。

「台風が来るから今日は行けないと思っていたら、大した事はなかった」父はそういって母親の手を左手で握りしめ、もう片方の右手でさすっていた。

私は病院へはほとんど行かなかった。

五月になった。病室に入ると、父は私の顔を見て、座っていた椅子から立ち上がり、母親が寝ていたベッドの背を上げてその場を離れていった。

「私はもうすぐ死ぬ。この間寝ていたら、おばあちゃんが出てきて、河の向こうで手を振った。私はもうすぐ死ぬから。結婚してすぐお父さんは船に乗って、家にはほとんど帰ってこなかった。片親育ち、と言われないように、子供を育てて、私は一人で生きてきた。苦労ばっかりしてきた。面白くない人生やった。私が喋っていたらお父さんは怒り出すんだ。普通に喋っているのに。あんな男と結婚なんてするんじゃなかった。毎日怒るばっかりだ。私が死んだって悲しむ人なんて誰もいないから」

「そんなことないやろう」

「そうだろうか」

帰り際に「またきてな」と、背上げしたベッドから私を見ていった。

それが母と交した最後の会話だった。

数日後、母は激しく痙攣をした。痙攣が治まると、今度は焦点の合わない目が奇妙に回りだした。そのあと母の意識は無くなった。

夢を見た。母が走っていた。眼を大きく開けて少し嬉しそうに。

お母さん、走れるようになったの? お母さん走れるの? 良かったね。

母はあいまいな笑みを浮かべていた。そして、私の耳元で何かを言った。いつもはトーンの高い声で話す母が、低い声でずっと何かを喋っている。私は怖くなり、首を大きく横に何度も振った。声が聞こえなくなった。

電話が鳴った。父からだった。お母さんが亡くなった。朝五時に看護婦が見回った時、呼吸も心臓も止まっていた。

私はカーテンを開け、ガラス窓から外を眺めた。夜明け前の暗い闇に細い雨が蕭々と降っていた。

 

「相手の人の名前が分かりました。裁判記録を見せてください」

 裁判所へ行き、昨日対応した人に依頼した。

「事件番号は分かりますか。事件番号が分からないと調べることはできません」

B市の裁判所は30分かけて調べてくれた。なぜここの裁判所は調べてくれないのか、と、思わず大きな声がでた。

少し離れたところで、私たちの会話を聞いていた男性が近づいたてきた。

「今から二人で調べますから、こちらでお待ちください」

 応接室のような部屋に通され、5分ほどして先ほどの男性が部屋に入ってきた。

「パソコンで探したのですが、該当者がいないんです。示談、調停、裁判、いろいろあります。多分保険会社が入っていると思いますが、とにかく出てこないんです。何の為に必要なのですか」

 私は現在遺産相続の調停中であり、亡父の家の所有権は十分の一が母の物になっているから母の遺産相続をしなければならなくなり、その書類を作るのに必要だと色彩法律事務所の弁護士からいわれた旨を告げた。

「なんで家の所有権の書き換えに、二十年前の事故の資料が必要なのか理解できないんだけど」そういって首を傾げた。「最近この辺りも法律事務所が急増してきたけれど、二十年前は弁護士も少なかったし、法律事務所もそんなになかったから、そういうことは法律事務所に問い合わせた方がいい」

そういわれ、私は裁判所をあとにした。

確かに二十年前の事故は母の遺産相続に必要ない。弁護士は調停委員から指摘された遺留分と生前贈与の区別がつかないため私を利用しているのは間違いない。

しかし、なぜ裁判所に裁判記録が無いのだろう。

 私は高学歴の男性と結婚した。母は自分が信心ばかりしているから私がいい人と結婚できたと喜んだ。

母が事故を起こした時、義理の父が見舞いに来て父にいった。

「弁護士会の会長と友達だから裁判をするときはいつでもいってください」

父はその言葉を信じて義理の父に数回頼んだ。学のない父を義理の父は相手にしなかった。母親が亡くなったあと父はもう一度義理の父に頼みに来た。義理の父は弁護士のところへ父を連れて行った。保険会社との契約が終了しているから無理だろう、市役所に相談窓口があるからそこに行くほうがいいと弁護士はいった。

それからしばらくして、父が家に来た。

「お父さんは裁判ができるようになった」

 法科大学院ができ新司法試験となり司法試験の合格率は40%を超えた。色彩法律事務所の弁護士はその40%に該当し、申立人控室にいた初老の男性は旧司法試験の3%の合格率に該当する。

3%の合格率のため弁護士数は少なく当然法律事務所も少ない。父は法律事務所へ何度も行っていた。

私は古くからある法律事務所へ電話をかけた。奥様と思われる女性が電話口に出て、柔らかい口調で調べてみますといってくれた。翌日、その法律事務所の弁護士から連絡があった。

「古い事件ですが薄っすらと記憶に残っています。なぜ今頃二十年前のことを?」

私は色彩法律事務所の弁護士から、母の裁判で貰った生前贈与の話を詳しく教えて欲しいと頼まれた旨を話した。

「そういう事はなかったのです。裁判所は通しませんでした。保険会社との交渉に臨んだだけです」

 雲ひとつない抜けるような青空が広がっている。墓石に水をかけ、花立に白菊を何本も供えた。そして線香に火をつけ、手を合わせた。

母親の最終死因は肺癌だった。夏に一度退院をしたとき、保険会社との関係は終了していた。

お金が欲しいわけではなかった。相手を殴ってやりたかった。相手の人生を滅茶苦茶にしてやりたかった。でもそこには大きな壁があって、警察があって、保険会社があって、近づくこともできなかった。

風が吹いた。白菊の緑の葉が、ほのかに揺れた。近くにある桜の木はざわざわと音を立てた。

とりあえず、連絡をしなければならない。私は法律事務所へ電話をし、10分ほど話をしたいと弁護士に伝えると、明日は比較的暇だから事務所まで来てほしいといってきた。

次の日、法律事務所へ行き、私は簡単に内容を伝えた。弁護士は詳しく話してほしいといいA4の用紙の中央に線を引き、母の事故の話を詳細にメモしていった。どの時点で弁護士が入ったのかと聞かれ、紹介された弁護士に断られた後、最後だとわたしは言った。弁護士はぎょっとして、もう一度自分の書き込みを見た。

「これは、お金は取れたんですか」

知らないと私はいった。

「ところでお母さんが亡くなった後、お母さんの通帳があったと思うが、そのお金はどうなったのですか。あなたは実印を押したと思うが」

私にはその頃の記憶は全く無いといった。

「いま、母さんの書類を作っていますから、出来たらまた連絡します。あのお金は生前贈与かどうか確認したかったのです」

 スマホが鳴り、電話を取ると「私や」という声が聞こえてきた。色彩法律事務所からだった。お母さんの遺産相続の書類ができたから来てくださいと日時をいってきた。

指定された時間に事務所へ行くと、前のお客さんの話が長引いて弁護士は外出したのでしばらく待って欲しいと事務員がいってきた。

20分ほどたち、お待たせしました、と弁護士が私の斜め向かいに座ると、すぐに事務員がお茶を持ってきた。隣に座るように弁護士から促され、事務員は私の前の席に座った。

「先日第一回の調停がありましたが、お兄さんとの調停もいい感じで進んできています」弁護士はかなりの早口で話を始めた。「裁判所で依頼されていた、お母さんの遺産相続ができました」伏し目がちに小さな声で、お経を唱えるように話している。書類は弁護士の手元にあり、一人読みをした。

それとは逆に、表面積の広い顔の中にある切れ長の眼は、私の顔を舐めまわすようにジロジロと見ていた。突如、彼女の目が大きくなり、声を出さずに口だけを大きく開けて笑った。事務員は眼鏡を取り出し眼鏡をかけ、隣にいる弁護士の方へ身体を寄せて、弁護士と共に母の書類を見始めた

「特別受益には「無」にチェックを入れています。お金はくれなかったという事で。あなたの貰ったお金は以前からあったお金をあなたにあげた、という事で交通事故の件ではお金はくれませんでした。お金は貰えなかったんです。最後は肺癌で亡くなったということで」事務員は弁護士の方へ体を寄せて、書類を見ながら少し笑った。

反対に弁護士は泣きそうな顔をしていた。古い法律事務所の弁護士から20年前の事件の話を聞いたのだろう。私の顔を見ることができないのは理解力の無さを不憫に感じたのか。それとも父の愚鈍さが可哀想で事務員を同席しないと涙がこぼれるからか。事務員は薄笑いを浮かべ書類を眺めていた。

第2回調停期日、申立人控室の長椅子に腰を下ろした。今日は部屋には誰もいない。しばらくすると弁護士が部屋に入ってきた。「特別受益200万に関してかかる主張を撤回する」と書かれた用紙を私にさし出し、これを今日渡しますといった。

調停委員が呼びに来て、調停室に入った。部屋に入り座るとすぐに「そういえば先生、あの生前贈与は先生が独自のルートを使って調べるといってましたが、あれはどうなりましたか」と調停委員が尋ねてきた。「遺留で構いません」といって弁護士は先ほどの書面を調停委員に渡した。とりとめのない話をしたあと、弁護士は申立人控室に入ってきて、窓の前で立ったまま話を始めた。

「僕、イイ感じで終了しようと思うんです。その為には何回かうちに来て貰わないといけないんです。話し合って、家でまた自分の頭で考えてそれで物事を決定したいと思うんです。調停委員には勝手に話さないようにしてください。調停でいきなり僕の聞いたことのない事を言われても、僕も困ります。その為には何回か来てもらわないといけないんです」それだけいうと、僕は前の部屋にいますからと、弁護士は部屋を出ていった。

独りになった部屋で前回ここで会った女性のことをぼんやりと考えた。私の道はどこへ向かおうとしているのか。何を求めようとしているのか。信頼が無くなったから、と断ったところで100万円の着手金は帰ってこない。着手金を払った時から、依頼者は首輪を掛けられ、鎖をつながれた弁護士の犬になる。無視をしたり、咆哮したり、遠吠えをしてもどうにもならない。

合格率40%の司法試験に合格して、二年間の研修を受け、すぐに独立した。そんな弁護士が適切な仕事などできるはずがないのだ。他の法律事務所なら、少なくとも、生前贈与と遺留分の区別くらいはついていただろう。

事務所での対応は事務員が同席をし、弁護士と事務員とが話をし、依頼者はただ返事をするだけ。依頼者とは裁判所の中だけで必要最小限の話をする。弁護士は弁護士控室にひとり籠って、音楽を聴いているのだろうかそれとも本を読んでいるのだろうか。

事務所内で事務員を同席するなら、裁判所内でも同席させればいい。私は調停委員の部屋に入らず、弁護士と事務員が二人で入れば良い。どうせなら、事務員を前面に出せばいい。そもそも私がここにいる理由とは何だろう。私は何のために弁護士を利用したのだろう。

調停委員が呼びに来た。弁護士控室を開け、来てください、といい、その後、申立人控室を開け、来てください、といった。私は弁護士の後に続き部屋に調停室に入った。

二人の調停委員に加えて裁判官と書記官が座っていた。「お兄さんの奥さんが家計簿につけていた雑費です。領収書はひとつもありません」と、調停委員から100万円を超える雑費一覧を渡された。1カ月に100万円以上使う人が、家計簿をつけていた、そう考えながら「このお金はすべて引いてください」と私が言うと、裁判官は「解りました」と返答した。あとは父が住んでいた家だけが残った。書記官が二人が要らないというのなら売却も検討したほうがいいといった。

「次の調停で終わりですね」

男性調停委員はそういい次の調停の日付を決めた

調停のあと、弁護士から弁護士控室に入るように促された。申立人控室にはない白いテーブルに向かい合って、ライトグリーンで縁取りされた一人用の白い椅子が2脚ずつ置かれてあった。私はそのうちの一つの椅子に座り、弁護士は私の前に座った。「お兄さんの引き出したお金に利息はつけなくていいですね」

「成功報酬は僕の通帳に先に入れてからあなたの通帳に振り込むようにします」

何日かして、弁護士から電話がかかってきた。「今、グーグルマップでお父さんの家を見ているんですが、この家は売ったらお金になりますよ」「家を売る気はない」というと弁護士から「このままだと調停は進みません。とりあえず、売却の際の概ねの価値を調べて欲しい。最近はインターネットで家を見ることができるので、どこの不動産屋でも大丈夫です」といわれ、私は不動産屋に赴き、売却の際の簡単な査定をしてもらった。

弁護士から指定のあった日時に法律事務へ行くと、長い髪を腰まで垂らした女性から、通路を挟んだ事務員の隣の席に座るように促され、ドアは大きく開け放されていた。

弁護士が現れ、「あなたのような人でもこの程度の金額ならかろうじて辛抱ができるという事で話は進みました」「お兄さんはお金を何に使ったか、正直に届けてくれました。お兄さんは正直な人なんです。お兄さんの奥さんは家計簿だってつけていたんです」そういって事務員の傍へ移動し、先日渡された雑費一覧の表を事務員に渡した。「あなたは他の弁護士に揉めていると言ったそうですね。揉めてないんです。お兄さんは正直な人だから揉めないんです。あなたが裁判の件を聞いた弁護士は僕に話してくれました。あなたは理解できなかったようですが、お父さんはお金を貰えなかったんですよ」そう言って、先日のA4用紙を振りかざし事務員に渡した。「お金を欲しがるところがあなたとお父さんはよく似ています」

「先日裁判所から届いた第二回調書を読み上げます。あなたの調書は僕が書いてあげていますが、お兄さんは自分で書くことができないので、裁判所の人が調書を書いてくれたものだと思われます」と、第2回調書を読み上げた。「不動産屋には行きましたか」「土地の値段は固定資産税のとおりで家屋は10年以上たっているので0円になる。売却となると解体費用が150万円かる。それがマイナスとなる」。そのあと弁護士は、私の実家の正確な住所をいい事務員にグーグルマップで見るようにいった。お父さんの土地家屋は売却で構いませんね」と事務員に尋ね、事務員は笑いながら大きく頷いた。「土地家屋は売却します。まだ時間がありますから、売却の正式な書類を用意して事務所まで持ってきてください」そのような話をして終わった。部屋出る時、「鍵がかかっています。鍵ぐらい自分で開けてください」と弁護士は私にいった。長い髪を垂らした事務員は私の顔を見ながら声をたてて笑っていた。

 

家に帰り、契約書を確認した。

『解任、辞任または継続不能により中途で終了したときは、処理の程度に応じて清算をおこなうこととし、処理の程度について、弁護士報酬の全部もしくは一部の返還または支払いをおこなうものとする』

『処理の程度』現金の部分は決まっている。残りは家だけだった。調停は次で終了予定。『弁護士報酬の全部もしくは一部の返還または支払いをおこなう』着手金を捨てたとしても、最後の報酬金を支払わなければならない。

パワーハラスメントをされたといっても証拠が全く無い。

法律事務所の電話履歴を開いた。『この発信者を着信拒否』指でポンと押した。

 

父親不在の家庭で、私たちは母親から父の悪口を聞かされて育った。父が家に帰ると聞こえてくるのは荒々しく争う声。父と母は喧嘩ばかりしていた。私はいつも兄の傍にいた。社交的な兄とは違い、私は喋らない子供だった。

お兄ちゃんは私に似て明るいけど、お前はお父さんにそっくりで陰気な子や。お前みたいな子を自閉症って言うんやろな。

生を切望しながら死にゆく人がいる。死を望みながら生きている者がいる。私の命をあげるのに。

私はおまえに期待をし過ぎた。なんでこんな事になったの。元の素直なお前に戻ってくれ。もう私は死にたい。死んでしまいたい。

死にたいのならさっさと死ねばいい、と心の中で呟いていた。

埋立地が住宅地として分譲されるらしい。応募しよう。あそこで新しい生活をやり直そう。

競争率6倍の抽選に当たって家を建てた。

私と兄とは二人で何か話をしていた。隣の部屋では、父と母とがいつものように言い争っていた。しばらくすると母が私たちの部屋へ入ってきた。

 この家の名義を、お父さんと私とで二分の一ずつにしようって言ったのに、お父さんは十分の九と十分の一に分けたんだ。稼ぎからいったらそれ位が妥当だ。私が欲しいって言ったから十分の一を私の名義にしたって言うんだ。

 私と兄とはゲラゲラと笑い転げた。

 そんな分け方あるの?

 普通は旦那さんの名義か二分の一ずつになるんやけど。私は二分の一にしようって言ったのに。

 何日か後、母が話しかけた。

 お父さんとお母さんとが離婚したら、お前はどっちにつく?

 どっちにもつかない。

 じゃあどうするの?

 旅に出る。

 旅に出て一人でやっていけるわけないだろう。まったく、お前はいつも夢みたいな事ばかりいっているんだから。お父さんから子供二人を置いて、おまえひとりが出ていけって言われたんだ。子供があんたについていくわけないだろう。子供は二人とも私と一緒にいるわ、って言ってやった。

 

父に対して恨み辛みを口にしながら母は死んだ。独り残された父の人生は続いていく。父が使わずに遺したお金をどうやって使うのか。私たちは母から絶えず父の悪口を聞いて育った。母の口から父への不満を毎日聞いていた兄は、その矛盾や虚言に気付かなかった。私はいつも母に抗っていたが、兄にはそれがなかった。兄は母の意趣返しをし、義姉はあぶく銭に狂喜乱舞した。もうそれは、父のお金ではなく、長男の妻の所有物になった。そして父が亡くなったあと、今度は弁護士が雄叫びを上げて金を取り、そのうえ土地家屋まで売り払って金にしてよこせという。そして今度は弁護士と事務員が狂喜乱舞するのだ。

しかし、弁護士は兄の勤め先を知っていた。なぜ知っていたのだろうか。

 

第3回調停期日、ドアのガラス越しに人影があった。ドアが開いた。弁護士が入ってきて、魔物でも見るような顔で私をじっと見つめながら歩いてきた。

私はにっこりと笑い、こぼれんばかりの愛嬌を振りまいた。

「おっはようございまぁーす」

「先週ずっと電話をしていたのですが」

そんなはずはない。着信拒否はすぐ気づいたはずだ。

「携帯電話が壊れていました」

「じゃぁどこへ連絡をしたらいいんですか」

「直りました」

「直りましたぁ?」

 弁護士の顔は般若の面に変化した。

「最初に、携帯電話に連絡してください、と言われていたのに、携帯電話に連絡できないのなら、どこに連絡すればいいのか、と思って」

 そう言って私の隣に座った。

あなたは私に一度も電話をしていない。電話連絡はいつも事務員がしていた。

「何かあったのかと思って心配していましたよ」

 何かあって心配、というのは県弁護士会の懲戒請求を心配していたのだろうか。懲戒請求したかったのだが、あいにく証拠が無いものでね。それとも、私がいなくなった場合の、弁護士自身の立場と報酬の心配をしていたのか。

弁護士は虚空を見つめながら、唇をもごもごとして何やらしきりに呟いていたが、やがて私の方を見ていった。

「書類は持ってきてくれましたか」

「貰っていません」

「貰っていません?」

弁護士は大きく口を開け、呆然として再び虚空を眺めたあと、部屋から外にでていき慣れた口調で誰かと電話をしたあと再び部屋に入ってきた

私は口を開いた。

「土地と建物を相続放棄しようと思います」

「それはできません。相続放棄というのは、全てを放棄することです。一部だけを放棄することはできません」

「土地と建物だけを放棄することはできないのですか」

「できません」

「僕と話がしたいのなら、一分か二分にしてください」

「土地と建物の金額をゼロにします」

「それならできます」

「そうします」

「調停も今日が最後ですね」

「そうとも限りませんが」

「今日で最後にします」

 弁護士は返事をしなかった。

しばらくして、先生、来てください、と調停委員に呼び出され、調停室に入った。今日はいつもの大きなテーブルを挟むことなく、教室の先生のように調停員が前にいて、細長い机の前にある椅子に私たちは腰かけた。

「お兄さんがお父さんの家を相続すると言いました。それで必要経費を除いて...調停委員は明確な数値を次々と言った。 弁護士はノートに金額の書込みを続けた。私は調停委員の言葉をただ黙って聞いていた。

「理解できますか」

弁護士が私の方を向いた。

「私、そんなにお金は欲しくありません」

「え」

 調停員は呆気にとられたような顔をした。

「最初は腹が立っていたけど、時間が経ったらもうそんなに思わなくなって、それで土地と建物を」

「ちょっと待ってください!」

 弁護士が大声をあげて私の言葉を遮った。

「ちょっと向こうで話しましょう。向こうに行って構いませんか」

「ええ構いませんよ」

「さっきちょっと話をしていたのですが、さぁ向こうで話しましょう」

 弁護士は調停委員に笑顔を振りまき、私に部屋を出るよう促した。

 弁護士は足早に申立人控室に入って行き、立ったまま喋り出した。

「調停委員には勝手に喋るなと言ったでしょう。理解できなかったんですか」

「もう決めました。お金はいりません」

弁護士は兄の使い込んだ一覧の表を見た。

 それは、先日私にドアを開いたまま、お兄さんは正直な人なんです、揉めてないんです、と私に罵声をあげ事務員に渡した紙だった。

「あなたがそれでいいというのならそうしましょう」

そういうと、弁護士はすぐ部屋を出た。

調停委員のいる部屋へ入り、弁護士は数字を提示した。

「それならば妹さんは、きりのいいとこで4500万円ということではどうでしょうか」

調停委員は笑みを浮かべて別の数字を提示した。構わない、と私は応えた。

裁判官の決定が必要なのですが、裁判官は11時から12時まで刑事裁判があるので12時まで1時間ほど待って貰いたいのですがよろしいでしょうか」

調停委員が伝えた。時計は10時40分を指していた。

「僕は忘れ物をしたから、一度帰ります」 

ええ構いませんよ、と調停委員が応えた

部屋を出て、弁護士は廊下を足早に進んだ。

「僕は帰りますが、あなたは申立人控室で待っていてください」

それだけいうと弁護士は階段を降り見えなくなった。

申立人控室に入る。今日は誰もいない。窓から外を眺めた。樹木で覆われた向こうには公園がある。公園では嬉々として遊び戯れる親子がいるだろう、未来を語る学生たちもいるだろう、愛にときめく恋人たちもいるだろう、散歩をする老人もいるだろう、そしてここには、離婚、事故、破産、様々な形の不幸が存在している。おそらく裁判所とは希望などという言葉は捨て、人生を諦観するところなのだ。

法律事務所のドアを開けたときから依頼者は不幸という蜜を運んでくる。そもそも弁護士は依頼者の為には仕事はしない。合格率40%の司法試験を突破した弁護士は権力を手に入れ、生きるに値しない不幸な人間から莫大な金額を取る。これは当然の道理ではないのか。

ゴール間際になって、くるりと向きを変え、反対方向に走ってみたくなった。すべての事柄に嫌気がさし、くだらなく思え、何かをぶち壊したくなった。

父がまだ元気で家にいた時の年の瀬、私にいった。

「お母さんは苦労ばかりして死んだけど、わしはいい人生だった。仕事をして、いいお金をもらって、家を建てて、こっちに帰ってきてからは自治会の仕事をして、神社の役員になって、わしはいい人生だった。正月は夜中から袴を着て、神社の参拝客にお酒を振るわないといけない。お前はもう帰れ。お前には、お前の家族がいるし、子供もいる。家に帰ってすることをしろ。」

 母が亡くなるまで、父は絶えず母の手を撫でていた。父が亡くなる数日前、父はずっと自分の掌を眺めていた。手を顔の前に持ってきて、広げた掌を、骨と皮とが目立った痩せこけた皺だらけの掌を、じっと見つめていた。私は撫でることもせず、それを黙って見ているだけだった。

 私に兄を批判する権利はない。働き続け、お金を蓄えるだけの父を私は嫌悪していた。それは兄も同じで、そんな父を侮蔑していたからこそ、散財に興じたのだろう。父にとってお金は意味をなさない物だった。

母が亡くなった夜、耳元で母の声を聞いた。私はその声を振り切った。疚しさがそうさせた。

ドアが開き、調停委員が部屋に入ってきた。

「お兄さんと握手をしてもらいたいのですが」

「したくありません」

「でも、全員してもらっているんです」

「会いたくありません」

 調停委員は一度部屋から出て行き、前の弁護士控室のドアを開け、そして閉めた。

「先生はまだ戻られていないんですか」

「そうみたいです」

「握手をしてもらいたいのですが。握手をしない人は本当にひとりもいないんです」

「嫌です」

「でも全員してもらっているんです」

「私はしません」

調停委員は落胆した様子で部屋を出た。

しばらくしてドアが開き、弁護士が上機嫌で入ってきた。

「まだ呼びに来ていませんね」

そう言って弁護士は壁に掛けてある時計をチラッと見た。11時49分。

「僕はあなたの決断を評価してあげますよ。お兄さんとこの先ずっと付き合うんだったら、この方がいいですよ」

 この人間は冷静な頭脳も持ち合わせていなければ、温かい心もない。弁護士は言葉を続けた。

「かなりの金額の相続税を払わないといけないので、税理士の元へ行ってください。税理士です」

 私は黙ってスマートフォンを眺めていた。

「僕は前の弁護士控室にいますから、何か用事があれば来てください」

私の頭の上でそう声がしたあと、足音とドアの開閉音が聞こえた。

 

弁護士から連絡があり、私は再び色彩法律事務所を訪れた。

腰まで髪を垂らした目の大きい事務員にドアを開けてもらい事務所内に入った。シューズボックスの下の段に置いてあるスリッパを自分で取り、上の段に紙で大きく「靴」と書いてある場所に靴を入れた。事務員は私の行動を黙って見たあと、前回と同じ部屋に案内され、ドアの近くに座るよういわれた。

 ドアは大きく開かれたままだった。彼女は通路を挟んだ私の斜め前の席に戻り、私の顔を見ながら、弁護士とは異なる50歳代の男性と話を始めた。

「領収書はもってきてません。もってきてませんが。領収書も、領収書も渡さなきゃねっていって家に置いたままだったような。ちょっと見てくるわ」

「昼は帰らんでよかったね」

弁護士が部屋に入った。ドアは閉めなかった。

先ほどの事務員がお茶を運んできた。

弁護士の座っている隣に立ち、弁護士のお茶を先に出し、そのあと私のお茶を出した。

「ドアは開けときましょうか」

事務員は弁護士に尋ねた。

「はい」

「そうですか。開けときましょうか」

事務員はそういって弁護士と簡単な会話をしたあと、私の顔を見てドアを外側のパーテーションに叩きつけ、ドアを開けたままにした。

50歳を過ぎた無職の一元の依頼者は、もとより事務員よりも下の位置にいた。お金を抜き取った利用価値のない依頼者は事務員にとって、踏み潰しても支障のないもみ殻のようなものだった。塵のような人間が塵のように死んでいき、大金だけを残した。父の死で最も利益を得た人間は弁護士であり、法律事務所だった。塵がお金を持つのが悪いのだ。塵は塵として生きるのが相応しい。
依頼者の不幸話は法律事務所職員にとっては愉快な話であり、それを聞いて依頼者の面前で呵呵大笑することで自己の優位性を示すのだ。人間は人を見下すことで安堵する。

混沌とした暗い海に美しいルアーを落として、愚かで大きな魚がそれに食いついた。しかし、私はまだ死んではいない。

私はボイスレコーダーを隣の席に置いた。

「何考えてるんだろう。飲み物頼んでね。そのあと、アッハハハ」
「こうやって食べる、こうやって食べると栄養が取れていいと」
「アッハハ、大丈夫?」
「大丈夫です」
「リンゴ美味しかった」
「アハハ、家はリンゴ農園だからね」
「だからリンゴを見る目もあるのね」
「りんごの値段の付け方が全然わかんない。大きいのはまぁ高いんだけど、ちっこいのはわかんない」
弁護士は事務員の側へ行き、呼びかけるように私と会話を始めた。

事務員の会話は盛り上がって、大きな笑い声が部屋中に響き渡った。


(二)

 

父の死から3年が過ぎた。

弁護士会へ提出した懲戒請求は棄却されていた。ボイスレコーダーをコピーしたUSBメモリーは返却され、反訳して書面として提出するよう弁護士会から依頼された。しかし、書面として提出した反訳は「証拠がない」と棄却された。

弁護士を訴えたい、と何件かの法律事務所へメールや電話をした。「話を聞くことはできません」「現在多忙で新規案件を受け付けていません」という返事が返ってきた。同じ県の弁護士会だから受け付けてくれないのだろうと隣県の法律事務所へ問い合わせたが同じこたえが返ってきた。

話を聞いてくれた弁護士は何人かいた。「あなたはなぜドアを閉めてくださいと言わなかったのですか」。反訳書を見て「いったいどの言葉がパワーハラスメントになるのですか。具体的に教えてください」。そして最後に「何かお助けできることがあればと考えていましたが、何もできなかったようです」といって相談料だけを請求してきた。

そのため仕方なく自分で訴状を書き、弁護士に見てもらうことにした。「話を聞くだけなら」と相談に応じてくれた弁護士がいた。

弁護士会会長の経験もある初老の弁護士だった。

「いったい何があったのですか」

「依頼した弁護士は生前贈与と遺留分の区別がつかなかったんです。最初は生前贈与として請求していた金額が、これは遺留分に該当すると調停委員から指摘されました」

そう私が話すと、弁護士は怒った口調で私を見ていった

「あなた遺留分て何か知っていますか。お父さんは遺言書でも残していたのですか」

「母が先に亡くなっていて、母が亡くなったあと父からもらったお金だったんです」

弁護士は呆気にとられたような顔をして

「それは遺留分だ。間違いなく遺留分だ。調停委員のいうとおり遺留分だ」

そういいながら、パソコンに入力した。

「そのあと、不当利得返還請求権に利息はつかないと、また調停委員から指摘を受けました」

弁護士は私が開いた不当利得返還請求の頁をのぞき込み「微調整をしたんだね」といってパソコンに入力した。

「それで、なぜここの法律事務所へいったの」

私はプリントアウトした2枚のウェブページを弁護士に見せた。

「これが色彩法律事務所のウェブページです」

弁護士費用が「~の場合」の後%とだけ記載されている色彩法律事務所のウェブページのコピーを前に出した。

弁護士はコピーを手に取り「これはちょっと違うと思うな。これは違うような気がするな。家を建てるにしても、2階の場合と2階の部分とではちょっと違うような気がするな」

私は次に色彩法律事務所と同じ地域にある別の法律事務所のウェブページをコピーしたものを見せた。「これが別の法律事務所の弁護士費用です」

弁護士は私が差し出した別の法律事務所のコピーを手に取った。

弁護士費用は「~の場合」のあと%+何万円となっていた。

「この法律事務所は分かりやすい。これは分かりやすい」

そして再び、色彩法律事務所のコピーを手に取った。

「色彩法律事務所はちょっと違うと思うな」

「この二つを比較して、色彩法律事務所が安いと思ったんです」

「あぁ、これは安く感じる。確かに安く感じる。それで今は色彩法律事務所のホームページはどうなっているの」

「今もこのままです」

「あなたのように芳しい香りにつられて行く人が後を絶たない。ハッハッハッ。これは確かに安く感じるな」

そういって再びパソコンに入力した。

「そのうえ、注力分野、遺産相続となっていたんです」

私は「注力分野 遺産相続、交通事故、男女問題」と記載されている色彩法律事務所のウェブページのコピーを前に出した。

弁護士はパソコンの前からそのコピーを見た。

「遺産相続は故人の全財産が対象になるから大きな金額が動くことになる。交通事故は保険会社を相手にするからこれも大きな金額が動く。ハッハッハッ。まぁこういうのは一般的なものだからな。ハッハッハッ」

「同じ地域にもう一軒法律事務所があるんです。第1回調停でその弁護士と依頼者と同じ部屋になりました。色彩法律事務所の弁護士は、弁護士は弁護士控室。依頼者は申立人控室といって、申立人控室にはいませんでした。しかしその法律事務所の弁護士はずっと申立人控室にいて依頼者の話を聞いてあげていたんです」

「だいたいどの弁護士も依頼者のそばで話を聞くけどな。話をしていたら、今まで知らなかったことが見えてくるから。なぜその法律事務所へ行かなかった?」

「その法律事務所にもホームページがありましたが、弁護士費用が記載されていなかったんです。ホームページに弁護士の経歴と写真がありました。経験年数や過去の事件結果等から、ベテランの弁護士だから費用は高いと思ったんです。さっきの弁護士も、どこかの所長をしたあと独立開業をして、経験年数は20年近くあったんです。だから金額が高いと。逆に色彩法律事務所は司法試験に合格したあと即独立した弁護士で、経験年数は10年もなかった。だから故意に安くしていると思ったんです。同じ金額なら誰だってベテランの弁護士に依頼します。それに私の若い頃は司法試験の合格率は3%でした。そのイメージがあって司法試験に合格している弁護士だからという思いがありました」

「確かに私の時代は3%だった」

そう言ったあと、弁護士はまたパソコンに入力した。

「契約する時点で契約書には「場合」が「部分」になっていることに気づきました。弁護士は日弁連の旧報酬基準どおりと言っていました。その時には既に頼まれた多くの書類を弁護士に提出していました。だから、もうここでいいだろうと思ったんです」

弁護士は何も言わずパソコンに入力した。

「契約書と同時に、今からすぐに相手に手紙を出すからと兄に出す手紙のコピーをもらいました」

弁護士は手紙を読み怪訝な顔をしたあとパソコンに入力した。

「お兄さんの勤め先はどこ?」

「ファーストホテルの支配人をしています」

入力をしたあと、弁護士は契約書を手に取った。

「お父さんの亡くなった日はいつ?」

私が日付を言うと

「早いな」といってパソコンに入力した。

「父か亡くなった3日後、兄は通帳が凍結してお金が引き出せないと私に言いました」兄から遺産相続を急ぎたい旨の話をしたこと、そのあと法律事務所に行った話をした。

「あなた、この着手金100万円はどうやって決めたの?」

「弁護士から、日弁連の旧報酬基準が書かれている用紙を見せてもらいました。私は予め調べていました。確かにどこの法律事務所もこの報酬基準どおりでした。弁護士から説明があり、そこには『遺産分割における「経済的利益」とは、依頼者が相続する遺産の時価相当額です。』と記載されていました。依頼者が相続する遺産の時価相当額は遺産総額のことで私の場合は遺産総額は約1億円だから、1億円を基準に計算をして、着手金は100万円を超えて、報酬金も1000万円を超えました。
弁護士はもう一人の弁護士と相談するから、と一旦席を離れました。戻ってきて、もう一人の弁護士と相談した結果、着手金は100万円。報酬金は800万円にするといいました。
その時、私は兄の行為に腹を立てていて、お金が欲しいわけではなかったんです。だから、どこの法律事務所もこういう金額になるのだろうと思いました」

弁護士は私の言葉を黙って聞き、パソコンの入力をつづけていた。

「経済的利益っていうのはなんですか」
私は弁護士に尋ねた。

「経済的利益っていうのは弁護士を利用したことで得たお金です。弁護士が頑張った金額、それが経済的利益です」
弁護士は私の顔を見た。

「これが父の生前に父の通帳から兄が引き出した一覧表です。税理士が作ってくれました」

弁護士は表を手に取った。

「この引き出した部分だけを話し合おうとはしなかったの?」

「調停委員が引き出した部分だけを話し合おうとしたけれど、弁護士は遺産相続として全てをまとめて考えるといいました」

「ふうん」

弁護士はパソコンに入力したあと、もう一度表をみた。

「それで、この部分はどうして不当利益返還請求の対象にならなかったの?」

「その部分は義理の姉の職場の近くから引き出されています。義理のお姉さんが出てくると厄介なことになると弁護士が言って。その時すでに、弁護士は兄から手紙の返事を電話で話していて、お兄さんはお父さんの通帳からの引出を正直に認めたのだから、この部分を請求するのは止めましょうと弁護士が決めて、私は弁護士のいうとおりにしました」

「ふうん」

弁護士はパソコンに入力した。

「兄は父の通帳からの出金をすぐに認めました。そして1000万円と家をやると言いました」

「あなたは何故それを承諾しなかったの?」

「契約書にみなし報酬は800万円となっていました。それで弁護士に800万を渡さないといけないのかと尋ねると、金額によって変わるが、800万円を基準に計算をすることになると言われてそれでは私の取り分は少なくなると言ったんです。そしたら弁護士が調停をしましょうと言いました」

「兄とは揉めていませんでした。第2回調停で金額が決まりました。あとは父の住んでいた家をどうするか、という問題になりました。兄は私に譲ると言いましたが、私は要らないと言いました。第2回調停の最後に裁判官と書記官が出てきて書記官が、ふたりが要らないというのなら売却も検討する必要がありますね、といったんです。そしたら、調停の数日後に弁護士から電話があって、このままだと調停は進まないから、不動産屋に行って土地家屋を売却する大まかな費用を調べて欲しいといってきたんです」

「この弁護士は土地家屋売却が好きなんですか」

弁護士は怪訝な顔で私にきいた。

「知りません。私は調べて事務所へ行きました。すると事務員は事務員と隣接する部屋に私を通して、ここに座るようにと言われました。事務員と通路を挟んで隣の、ドアのすぐそばの椅子でした。ドアは大きく開けられていました」

「それで事務員は何人いた?」

「女性が4人と弁護士より年上の50歳くらいの男性がひとり。全部で5人です」

「この法律事務所は女性弁護士が1人と男性弁護士が1人。弁護士は2人だと思うけど。弁護士2人に事務員5人は多いね。女性4人の中に弁護士はいなかった?」

「私は女性弁護士の顔を知りません」

「弁護士2人に事務員5人は多すぎる。弁護士の奥さんはいなかった?40歳くらいの人」

「奥さんはあの人だろうと思う人はいたけど、その人はこの日はいませんでした。奥さんを入れると事務員は6人ですね」

弁護士はぽかんと口を開け、私の顔をじっとみつめた。

「それで事務員と共に土地家屋売却を迫ったんです。土地家屋売却は決定事項だから売却の為の正式な書類を用意してください。弁護士は事務員の隣で私に言いました」

「売却先はもう決まっていたの?」

「知りません。それで、私は着信拒否をしました。第3回調停期日。弁護士は用紙を持ってきましたか、と私に尋ねました。それで私は、土地家屋は売却しないのでこの部分を放棄して金額を0にすると言いました」

「弁護士が用紙を持ってきましたか、という言葉を録音している?」

「していません。弁護士は裁判所では何もしゃべりませんから」

「弁護士は話すのが嫌いな人ですか」

「わかりません。とにかく裁判所では、弁護士は弁護士控室に入ったままで、何も話さないんです。あとになってわかったことがありました。弁護士はロータリークラブの会合で兄が勤めるファーストホテルを毎週利用していたんです。兄と弁護士は面識があったと思います」
「それと、弁護士は市の空家等対策推進協議会委員のメンバーでした。そのメンバーには宅地建物取引業協会の不動産業の人もいました。私が懲戒請求をしたあと、弁護士はその委員会を辞めました」
市役所のホームページからプリントアウトした用紙を見せた。

弁護士はその用紙を手に取り、訝しげに私の顔をみた。

「3回の調停で終了しました。調停委員が裁判官はこのあと刑事裁判があるから1時間ほど待って欲しいと言いました。弁護士は忘れ物をしたから帰りますといって裁判所から出て行きました。弁護士がいなくなって1時間くらいして調停委員が部屋に入ってきて相手との握手を求めましたが私は拒否しました。調停委員は弁護士控室を覗いたりして何度も部屋に来ましたが固辞しました。弁護士は調停委員が指定した時間の2分前くらいに裁判所に戻りました」

「それであなた、今お兄さんとの関係はどうなっている?」

「絶縁です。弁護士を利用するということはこういうことなんだと思いました」

「あなたは4500万円取得しましたが満足していますか」

「満足しています。二分の一に分けるのは間違っていると思ったんです」

「それで最後の日ボイスレコーダーを持って行ったんですね。その反訳書をみせてくれる?」

私は弁護士に反訳書を渡した。弁護士はその反訳書を読み、大声をあげた。

「気分が悪くなった。変わった法律事務所もあるものだ」

「この領収書は半角数字と万円を組み合わせてワードで作成されたものです。そして下線の長さも不均衡です。その領収書が郵送されたんです。事務員は領収書の持ち帰りをしていたんです」

「領収書を持ち帰ったのは弁護士の奥さんだったんじゃないか。気分が悪くなった。依頼者を何だと思っているんだ。それであなたは懲戒請求をしたんだね。懲戒請求を見せてくれる?」

私は懲戒請求の結果の書類を見せた。

「ホームページの弁護士費用の部分は「個別料金につきましては直接弁護士にご確認いただくことをお勧めします」と記載があるとの理由で棄却されました」

「この弁護士は銀行の取引履歴明細票の見方を知らなかったの?」

弁護士は懲戒請求の結果を見たあと顔をあげた。

「知らなかったんです。それで裁判官に相談に行って、そしたら裁判官はちょうど夏休み中で。裁判官は夏休みが1カ月あるそうです。それで仕方がないから事務方に教えてもらったといってました」

弁護士はあんぐりと口を開け言葉を失っていた。

「あんたも悪いんだ。なんでこんな弁護士にお金を払わなきゃならない。あなたなんですか。着手金も返しなさい、と言ってやったらよかったんだ。みなし報酬なんていうのは関係ないんだ」

「証拠がなかったんです。私はこの法律事務所の実態を公表したかった。こんな法律事務所があるのだと。ボイスレコーダーで録音したかった。私は証拠が欲しかった」

「それであなたはどうしたい」

「民事告訴をしたいんです」

「そんなのはない。刑事告訴と民事訴訟があるだけだ。さぁ刑事はどうかな」

「刑事をする気はありません。民事がしたいんです。何人かの弁護士に相談しましたが、懲戒請求が棄却されているのなら無理だといわれました。だから自分で訴状を書きました。訴状を修正して欲しいんです」

「民事はした方がいい。裁判所は弁護士の職場だから、こういう事があったと職場に報告する為にも民事はした方がいい。ボイスレコーダーをUSBメモリーにコピーして書面と同時に提出するように。損害賠償は200万すればいい。パワーハラスメントっていうのは安くなるから20万くらいになるかもしれないけど。それでもした方がいい。私は訴状を見ることはできない。訴状の至らない部分は書記官が修正してくれる。私ができるのはここまでです。同じ県弁護士会として私の名前は出さないで欲しい。しかし、変わった弁護士もいるもんだ」

私は法律事務所の外に出た。

弁護士が代理人弁護士となって他の弁護士を訴える、それは引き受けなくて当然なのだ。懲戒請求は他の弁護士によって棄却されており、たとえ勝ったところで、弁護士の立場は悪くなる。

空をみあげた。青い空にふんわりした雲が波打つように並んでいた。

 

控訴状

第1. はじめに

原判決は控訴人の法的な知識の誤り,及び法的な証明不足から生じた,明らかに事実を誤認したもの,ないし事実の評価を誤ったものであり,しかも原判決のこの事実誤認ないし評価の誤りは本件被告の不法行為の有無についての判断全体に重要な影響を及ぼしている。また,被告陳述書については,原告陳述書を読んだ後に案出したものといえその信憑性も極めて低い。以下,これらの点について証明及び詳述する。

なお,控訴人(第1審本訴原告)については以下,原告と表し,被控訴人(第1審本訴被告)を以下,被告とする。

1. 原判決の事実誤認と事実の評価の誤り

(1) 「「少しお金を振り込む」旨の提案があったことから隆への不信感を抱くようになり」は事実の誤りであり,原告が隆への不信感を抱くようになったのは,「少しお金を振り込む」旨の提案があったことではない。無料法律相談の内容から認識できるように,グループホームに亡父が入居している間にいつの間にか隆が亡父の家に勝手に住んでいた。隆と亡父は別居しており,亡父は以前からグループホームへの入居を拒否し続けていたにもかかわらず,亡父が事故により総合病院に入院中,グループホームの手続きを隆が行い,「亡父の通帳が凍結されてグループホームの費用が支払えなくなってしまった」との発言から,亡父の預貯金からグループホームの引き落しをしていたことが判明し,不信感を抱いたのが事実である。「少しお金を振り込む」旨の金銭取得に関する相談ではなかったため,被告は原告に対し,名刺を渡していなかったと認識できる。

(2)  「被告から,今後隆が遺産分割協議書への押印を求める可能性があること,隆が,訴外銀行の預貯金を際限なく引き出したり,隆の為に使っていたりした場合は問題であり,」の「被告から」は誤りであり,この部分は原告の相談内容である。隆は既に遺産分割協議書への押印を求めており,隆が亡父の預貯金を引き出し,隆の為に使っていたとしたら,人間としていかがなものか,と原告は被告に相談したのである。被告の助言はその後の「訴外銀行以外の預貯金の調査や亡き父名義の不動産の調査を早急に行うとよい」の部分である。原告は,銀行取引履歴明細票と亡き父名義の不動産である名寄帳を被告に提出し,被告の助言どおり,訴外銀行以外の預貯金を調べた結果を被告に報告した。「それ以外の調査をしないこと」とあるのは,原告が既に調査をしていたからである。

(3)  「亡き父死亡時の残金が800万円を超えていたが,」及び「原告はインターネットを利用して,,,本件事務所ホームページで記載されていた民事事件における「着手金と報酬の目安」における報酬算定方法で計算した報酬額(1億円×6%=600万円)が閲覧した他の事務所のホームページより記載の内容で算定した報酬額より207万円安かったことから,本件事務所を訪れることとした」とある。しかし,これらの事実認定には重大な誤りが認められる。

「亡父死亡時の残金は65,000,000円」。それに加えて相手方の亡父入院後の不正出金額は25,000,000円。これらを全て加算し,土地家屋の金額を含めると亡父の遺産総額は約1億円と想定した。漠然と,原告の経済的利益は約5000万円と考え,経済的利益は3000万円~3億円の場合に該当すると考え,

色彩法律事務所のホームページ

着手金 3000万円~3億円の場合   3%

報酬金 3000万円~3億円の場合   6%

他の法律事務所のホームページ

着手金 3000万円~3億円の場合   3%+69万円

報酬金 3000万円~3億円の場合   6%+138万

の,他の弁護士のホームページに表示されていた着手金の3%+69万円と報酬金の6%+138万のプラスの部分を加算し「69万円+138万円=207万円」,一見して色彩法律事務所の方が207万円安いと考え誤認したことから本件被告が所属する色彩法律事務所を訪れるに至ったのが事実である。

(4) 原判決「同死亡後である日に同預金が解約されて同残金が払戻されていることを知り」との事実認定の誤りに関して。

原告が被告法律事務所に持参したのは取引履歴明細票と名寄帳である。この時点では同預金の解約及び残金払戻しの有無を原告は知らなかった。同日,被告から「この話は進めていきます。お兄さんが預金を解約して残高が払戻されているか知りたいので,銀行に行って預金移行の際の内容と預金解約日が分かる書類を貰ってきて欲しい」と依頼され,原告は後日銀行でその用紙を貰った時に初めて,同預金が解約されたことを知り,その用紙を被告事務所へ届けた。その用紙は「いろいろ,書面,ね,頂いてるじゃないですか。これはもうこちらで処分してくださいという内容のことで」のひとつであり,現在に至るまで被告から返還されていない。

(5) 「隆又はその妻の預金の引出に対する対処や亡父の遺産分割につき,被告へ依頼したい旨を伝えた。」とあるが,この事実認定にも大きな誤りがある。

隆の不正出金を知り,原告はどうしていいのか分からず,藁をもすがる思いで被告法律事務所を訪れた。偶然にも昨日無料相談を受けた弁護士と同じであったため,話しやすさがあった。被告の方から「この話は進めていきますから,相談料は要りません。銀行・市役所へ行って書類を貰ってうちの事務所へ持ってきてください」と,被告の方から,依頼を引き受ける旨を伝えたのが事実である。その為,委任契約前であるにもかかわらず,「法律相談料」の領収書は存在しない。

 

第2. 消費者契約法4条1項1号に該当するものである。

1. ホームページにおける「着手金と報酬のめやす」の強調表示に関して

(1)  平成29年7月,被告法律事務所ホームページには「着手金と報酬金の目安」として以下の表示があった(甲2)。

「経済的利益の額             報酬金

300万円以下の場合           16%

300万円を超え3000万円以下の場合  10%

3000万円を超え3億円以下の場合     6%

3億円を超える場合             4%」

消費者契約法の適用上,原告が「消費者」(2条1項)に,弁護士である被告が「事業者」(同条2項)に,両者間の本件委任契約が「消費者契約」(同条3項)に,それぞれ該当する

消費者契約法は,消費者と事業者との間の情報の質及び量並びに交渉力の格差に鑑み,消費者の利益の擁護を図ること等を目的として(1条), 事業者が消費者契約の締結について「勧誘をするに際し」,重要事項について「事実と異なることを告げるなど消費者の意思形成に不当な影響を与える一定の行為をした」ことにより,消費者が誤認するなどして消費者契約の申込みまたは承諾の意思表示をした場合には当該消費者はこれを取り消すことができることと定めている(消費者契約法4条1~3項)。

(2)  最高裁判所は不当な勧誘行為を基礎づける「勧誘をするに際し」の要件について,次のとおり判断をしている。

①  「「勧誘」について法に定義規定は置かれていないところ,例えば,事業者が,その記載内容全体から判断して消費者が当該事業者の商品等の内容や取引条件その他これらの取引に関する事項を具体的に認識し得るような新聞広告により不特定多数の消費者に向けて働きかけを行うときは,当該働きかけが個別の消費者の意思形成に直接影響を与えることもあり得るから,事業者等が不特定多数の消費者に向けて働きかけを行う場合を上記各規定にいう「勧誘」に当たらないとしてその適用対象から一律に除外することは,上記の法の趣旨目的に照らし相当とはいい難い。

②  したがって,事業者等による働きかけが不特定多数の消費者に向けられたものであったとしても,そのことから直ちにその働きかけが法12条1項及び2項にいう「勧誘」に当たらないという事はできないと言うべきである。」(平成28年(受)第1050号クロレラチラシ配布差止等請求事件 最高裁平成29年1月24日判決)

したがって,被告事務所のホームページにおける「着手金と報酬のめやす」の表示は「顧客を誘引するための手段として」の表示であり,消費者契約法4条1項における「勧誘をするに際し」の要件を満たすものであるといえる。

2. 「重要事項について」

「重要事項」とは,「物品,権利,役務その他の当該消費者契約の目的となるものの対価その他の取引条件であって,消費者の当該消費者契約を締結するか否かについての判断に通常影響を及ぼすべきもの」(消費者契約法4条5項2号)との定めがある。原告は,弁護士を探すにおいて重要事項である「対価」が,他の法律事務所に表示されていた「対価」と比較し,被告事務所のホームページ「弁護士費用」の強調表示にあたる「着手金と報酬のめやす」は「~の場合」と記載されており,他の法律事務所にあるプラスの部分(69万円+138万円=207万円)が無かったため,表示内容全体から一般消費者である原告は一見して,その部分が比較的安価であるという印象を受け,認識したため,被告法律事務所を訪れたのである。ホームページにおける弁護士費用は「消費者の当該消費者契約を締結するか否かについての判断に通常影響を及ぼすべきもの」に該当する。

3. 「事実と異なることを告げること」

消費者契約法において,事業者が事実と異なることを告げた場合,告知の内容が客観的な事実と異なっていれば足り,事業者の認識や故意は要らないとされる。なお,「告げる」とは「口頭に限る」という趣旨ではないとされている。

契約書(甲4)には

第8条

「経済的利益の額             報酬金

300万円以下の部分           16%

300万円を超え3000万円以下の部分  10%

3000万円を超え3億円以下の部分     6%

3億円を超える部分             4%」

となっており,実際には,加算方式であることを原告は契約書においての取引段階で初めて知らされた。「日弁連の旧報酬基準があり,どこの法律事務所も同じになっています。ここに印鑑を押してください」と促され,原告は「どこの法律事務所も同じ」という認識で印鑑を押し,「本日すぐに相手方に手紙を出します」と言われ,「明日には相手方に手紙が着く」と思い,困惑して軽率にも着手金を振り込んだ。

ホームページ上における「着手金と報酬金の目安」の「~の場合」の表示は言うまでもなく,一般消費者が法律事務所を選択するにあたっての重要な判断基準になるため,消費者契約の目的となるものの内容(重要事項)について「事実を告げるもの」といえる。実際は「~の場合」ではなく,加算方式の「~の部分」であったのであるから,被告ホームページにおける「着手金と報酬金のめやす」は「重要事項について事実と異なることを告げること」に該当する。

消費者契約法の目的で,消費者の利益保護について,事業者と消費者の間では情報や交渉力に格差があるということを前提として,ホームページ上の不実告知は,事業者が一定の重要な事項について虚偽の情報を提供してしまうことで,消費者がその事実を誤認して契約締結をした場合に取消権を認めるものであるからして,事業者が虚偽の事実を告げることは消費者の判断を誤らせることになると定められている。そのため,被告法律事務所ホームページの「着手金と報酬金のめやす」の強調表示部分は,事実とは異なる不適切な情報提供行為として消費者契約法4条1項1号の取消事由となる。

 

第3. 民法95条錯誤無効

1. 「着手金・報酬金をどのように決めたのか記憶していない」のは不可解。

数多くの訴訟・調停を提起し,その都度,着手金とみなし報酬金を定めている被告が,「着手金をどのように決めたのか記憶していない」「800万円には計算方法はない」と述べている。さらに,経済的利益の額が算定できない場合とは「お子さんとの面会交流を求めていて面会交流が成功してできるようになったとか」と,頓珍漢な返答をしている。被告の主張によると,着手金及び報酬金の金額について合理的な説明は無かったことが認識できる。

2. 本来であれば,報酬は契約書に基づき計算し,請求すれば足りていた

「被告は,本件委任契約終了後,原告に対し,少なくとも800万円の報酬を請求するのが自然であるが,被告が原告に対して請求したのは着手金を含めても422万円(税別)に過ぎず」とある。この文章は,紛議調停答弁書「なお,本来であれば,報酬は契約書に基づき計算し,請求すれば足りるが,本件ではさらに,報酬を算出した後に,申立人にその額・算出根拠を説明し,承諾を得ている。」と相似している。「本来であれば」,少なくとも,第3回調停期日より前までは,被告は原告に対し,「契約書に基づき」別の金額を請求する予定であったと認識できるものである。

3. 被告法律事務所の報酬基準は日弁連の旧報酬基準どおりではない。

日弁連の旧報酬基準に基づくと,遺産相続による経済的利益とは獲得した金額のことであり,4500万円が原告の経済的利益の額になる。但し,分割の対象となる財産の範囲及び相続分について争いの無い部分については,その相続分の時価相当額の3分の1の額が経済的利益の額とされている。事案が複雑でなく,事件処理に著しい長期間を要しないと見込まれる場合は,調停の場合,さらに,着手金・報酬金それぞれの標準額の3分の2の金額となると定められている。「第1回調停において,隆が上記不正出金を認め,また,亡き父死亡時の預金につき,基本的には2分の1ずつ分割する意向を示したことは認められるものの」との事実認定及び評価は正しい。原告と隆との間には特に争いは無く,調停は3回で成立となったことから,4500万円は争いの無い部分と考えられ,その相続分の時価相当額の3分の1,すなわち4500万円の3分の1である1500万円。更に,調停は3回で成立の為,1500万円の3分の2である1000万円が原告の経済的利益の額という事になる。そうなると,旧報酬基準に基づけば,着手金は64万9000円,報酬金は129万8000円,合計194万7000円となり,原告が被告に支払った,着手金108万円と報酬金455万7600円の合計額563万7600円は日弁連の旧報酬基準より369万600円も高額となるものであったと認識できる。

4.  一般人の原告は,ホームページにおける「着手金と報酬金のめやす」の表示全体を閲覧し,「~の場合」という表示をみて,他の法律事務所よりも弁護士費用が安いと理解し,誤った認識のもと被告法律事務所を訪れた。しかし,原告の認識とは異なり,実際は「~の部分」という加算方式であった。ホームページにおける「着手金と報酬金のめやす」は重要な「法律行為の内容」である。一般人が誤信するような誘導がおこなわれ,原告は相手方の誤った表示により「動機の錯誤」が惹起され,被告法律事務所を訪れるに至ったという誤った決定をしたものであり,原告が動機を黙示的に表示していたといえ,被告は原告の「動機の錯誤」を利用したといえる。「~の部分」という加算方式であったのならば,経験の浅い弁護士ばかりの被告法律事務所へ足を運ぶことはなかった。

さらには原告は被告から依頼され,戸籍謄本,預金解約日と解約の際の書類,亡父の入院以前の普通預金の取引履歴明細票等を被告法律事務所へ届けた。既に多くの書類を被告法律事務所に提出していたうえ,契約書の算定方法は,原告が予め調べていた日弁連の,当時の旧報酬等基準規程に記載されていた表の算定方法と同じであったため「どこの法律事務所も同じ」と誤認し,誤った動機が形成され,契約を締結したところ,原告の認識とは異なり,実際は前述のとおり,日弁連の旧報酬基準よりも著しく高額となるものであった。他の法律事務所よりも安価であるという認識のもと,被告事務所へ赴いた原告としては,日弁連の旧報酬基準どおりではなく,より高額な弁護士費用であるならば当然,上記意思表示をしなかった。

原告と被告との間に情報・交渉力の構造的な格差があり,弁護士である被告は原告の無知,不安,軽率に乗じた錯誤を利用したものであるといえ,原告の誤った動機は被告に黙示的に表示されたといえる。上記の点は,契約するに至っての重要な「法律行為の内容」の基礎に関する法律行為の要素の錯誤であるといえるから,民法95条に規定する錯誤無効に該当する。

第4. 詐欺取消(被告の行為は故意があった)

1.  原告は県弁護士会に懲戒請求を提出し,その理由の一つとして被告ホームページにおける「着手金と報酬のめやす」の不当表示を指摘した。被告はその返答として答弁書「弁護士費用についての記載については,ホームページ等の表現と契約書の表現が若干異なっている部分があることは認める。しかし,懲戒請求者(以下「請求者」という。)との契約においては,契約書記載のとおり説明をしている。」と主張した。そして平成30年12月,「弁護士費用の算定方法に関し,ホームページ等に掲載されている情報と対象弁護士らと懲戒請求者の間で締結された委任契約書の内容には差異が認められるものの,ホームページ等には,ただし,事件の内容により変わる場合がありますので,具体的な費用については,個別に検討して,法律相談の際などにお伝えします,と記載されている」との理由により,懲戒請求は棄却された。ホームページの記載は弁護士会によって認められ,令和2年3月,日弁連の懲戒請求でも被告の主張が認められ,原告の懲戒請求は再度棄却された。さらに,そのホームページにおける「着手金と報酬のめやす」は,第1審判決においても同様の理由で認められた被告は少なくとも令和2年1月までは,ホームページの弁護士費用の算定方法を修正することはなかった。

2.  原告は令和1年9月頃,消費者庁の「景品表示法違反被疑情報提供フォーム」から色彩法律事務所を不当表示で通報した。景品表示法違反被疑情報提供フォームから情報裏付けとしてファイルを送付する仕組みとなっているが,インターネット上のファイル送付が上手くいかなかったため,翌日に消費者庁に契約書のコピーと契約時の手紙を郵送した。

それからおよそ6か月後の令和2年3月頃,被告法律事務所のホームページにおける「着手金と報酬のめやす」は契約書のとおり,経済的利益の額の「~の場合」の表示が「~の部分」に,修正されていた。       

3.  アマゾンジャパンが措置命令の取り消しを求め提訴した事件(平成30年(行ウ)第30号 措置命令取消請求事件)の判決文には被告である消費者庁の主張として以下の文章が記載されてある。「景品表示法5条2号は,実際のものよりも取引の相手方に著しく有利であると一般消費者に誤認される表示であって,不当に顧客を誘引し,一般消費者による自主的かつ合理的な選択を阻害するおそれがある表示を不当表示として禁止している。同号にいう「一般消費者」とは,一般レベルの常識のみを有している消費者のことをいい,同号にいう「誤認」とは,実際のものと一般消費者が当該表示から受ける印象又は認識との間に差が生ずることをいう。また,同号にいう「誤認される」とは,社会常識,用語等の一般的意味等を基準に判断して,実際のものと一般消費者が当該表示から受ける印象又は認識との間に差が生ずる可能性が高いと認められれば足り,現実に多数の消費者が誤認したこと,当該表示に基づいて商品若しくは役務を実際に購入した者が存在したこと,又は表示を行う事業者に故意又は過失があることは,いずれも不要であり,当該事業者の主観的意図も何ら影響しない。そして,一般消費者に誤認される表示であれば,基本的に,「不当に顧客を誘引し,一般消費者による自主的かつ合理的な選択を阻害するおそれがある表示」に該当すると解すべきである。

また,「著しく」とは,誇張又は誇大の程度が社会一般に許容されている程度を超えていることを意味し,誇張又は誇大の程度が社会一般に許容されている程度を超えるものであるか否かは,当該表示を誤認して顧客が誘引されるかどうかで判断され,当該表示を誤認して顧客が誘引されるかどうかは,商品の性質,一般消費者の知識水準,取引の実態,表示の方法,表示の対象となる内容等により判断され,その誤認がなければ顧客が誘引されることは通常ないであろうと認められる程度に達するものは,著しく有利であると一般消費者に誤認される表示に当たると解すべきである。」

4.  さらに,消費者庁の価格表示ガイドラインには「不当表示」に該当するおそれのある表示として「実際の価格より安い価格を商品の販売価格として表示する場合」とある。景品表示法においては,一般的に「チラシで,実際の販売価格より安い価格が販売価格として表示されれば,これによって顧客が誘引されるのであり,その後に,他の異なる表示物でそれを打ち消したとしても,チラシの表示の不当性がなくなるものではない」とされている(景品表示法第5版93頁)。弁護士会で認められた被告のホームページにおける「着手金と報酬のめやす」は消費者庁では認められず,注意喚起を受けた結果,被告はやむなく令和2年3月頃「着手金と報酬のめやす」の修正をしたものと考えるのが自然である。さらには,第1審判決において,被告ホームページにおける「着手金と報酬のめやす」の「~の場合」の表示が認められても,消費者庁はそれを「不当表示である」と判断し,認めなかったため,現在においても,被告ホームページの「着手金と報酬金のめやす」は契約書と同じ「~の部分」の表示が続いていると判断できる。

「顧客を誘引するための手段として」,実際は加算方式の「~の部分」であることを知りながら,事実を隠蔽し,故意に「~の場合」という虚偽の事実を表示した欺罔行為を被告は認めたのである。法的弱者である一般人が被告法律事務所ホームページの虚偽表示により動機の錯誤に陥って被告法律事務所に赴くことを利用したものといえる。

さらには,法律の知識のない原告は日弁連の旧報酬基準と同じ算定方法での説明を受け,どこの法律事務所も同じであるとの被告の説明を信じたからこそ契約をしたのである。前述のとおり,日弁連の旧報酬基準17条と算定方法は同じだが、遺産相続による経済的利益の算定方法は全く異なるものであった(14条十三)。法律を知らない一般人である原告と法律専門職である被告との間には情報・交渉力の構造的な格差があることを被告は利用し,陳述書「当職の事務所の報酬基準が日弁連の旧報酬基準どおりであるとの説明はしていません」との主張を裏付けるように,委任契約書2頁✓報酬金「経済的利益の額の算定は,色彩法律事務所の報酬基準によるが」と記載され,実際は,日弁連の旧報酬基準と比較して高額な弁護士報酬になるような自己に有利な契約を交わし,更には契約を取り交わしたと同時に「今からすぐに相手方に手紙を投函します」と原告を動揺させ,覆すことを困難にし,被告が意図した契約を締結させたものであると言える。上記の事実は,被告の詐欺によるものであり,民法96条1項詐欺を理由に被告との本件契約の取消を求める。

第5. 不法行為

1. 原判決の事実誤認と事実の評価の誤り(陳述書に関して)

原判決21頁14行ウ「被告は,本件調停委員又は家裁裁判官に対し,上記イの内容を同日の期日調書に記載することを求めるとともに,今後,隆の預貯金の差し押さえが必要となる可能性を考慮して,亡父死亡後に解約した預金を入金した隆名義の預金通帳の写しの提出を求めた。」とあるが,この事実認定には重大な誤りが認められる。

(1) 民事調停規則「期日調書の実質的記載事項」第十二条 期日調書には,手続の要領を記載し,特に,次に掲げる事項を明確にしなければならない。三 証拠調べの概要」と定められている。被告が,本件調停委員又は家裁裁判官に対し,原判決の内容を同日の期日調書に記載することを求めなくとも,本件調停委員は「証拠調べの概要」として,亡父の通帳から不正出金を認めた内容証明を期日調書に記載しなければならない義務があった。よって,被告が「本件調停委員又は裁判官に対し,上記イの内容を同日の期日調書に記載することを求め」る必要はなかったのである。そのため,被告は上記進言をしていないのが事実である。

 

ドアが継続的に開放されていた証明

位置関係,原告,被告と事務員の方の位置関係等は大枠は合ってる」と説明している。それを踏まえて,明瞭とは言い難い録音において,足音とドアの音に注意して耳を傾けると以下の事実が判明する。

 

1:30      女性が男性に領収書の話をしている。

1:41~1:46 足音(スリッパ?)

1:51~1:53 別の硬い足音(被告の足音)

1:59~2:06 硬い足音

2:06      被告「おはようございます」

2:07      椅子を引く音

被告の足音は止まることもなく,ドアの開閉音が無い

被告が来た時,ドアは既に開放されていた。事務員は前回と同様の行為をなしており,ドアの開放は継続的に行われていたことを示すものである。

1:30の女性事務員が男性に領収書の話をしていたのは,ドアを開放して

原告のすぐ傍で原告の顔を見ながらの会話であり,同様の行為は繰り返しなされていたものと認識できる。

図のとおり,事務所入口は事務員の近くにある為,被告である弁護士の席は事務所の奥にあると推認される。弁護士は図左下のキャビネット側から入ってきたため,ドアに触れることが無かった。そのため,ドアの音は無かったと認識できる。

2:11 被告の椅子を引く音の後,軽くドアの音が聞こえる。女性Aもしく

は女性Bがお茶の用意をするため移動した際,外側に開放されていたド

アに触れた為ドアの音がしたものである。

5:03 女性事務員が被告に対し何か話した。「女性B:あ、いいですか。開けときましょうか。」。『西谷千恵:■』では断じてない。事務員と原告の声は音量が違う為,反訳者が聞き違えた,とは考えられない。

5:08 カチンという磁器(ガラス)音のあと,

5:10 足音と5:12ドアの音が聞こえる。パーテーションではなくドアのある部屋にいた。ドアは被告の左後ろ側につけられており,女性A側に開かれていた。女性はお盆だけを持ち身軽になり,女性A側へ出て行ったため,ドアに触れ,5:12にドアの音がした。ドアが閉まっていたのなら,女性Aは一旦足を止め,ドアを「開く音」と,女性が部屋の外に出て,向きを変えてドアを「閉める音」と,2回聞こえるのが通常であるが,足音は止まることなく,「キィ,ダダン」と聞こえる。女性は歩いていて,既に開いているドアのドアノブより上の部分に触れたまま,ドアを外側のパーテーションに叩きつけた形になった為「ダダン」と音がしたものと推認する。

5:03以前,女性が入ってきた時,女性は茶碗を2個乗せて両手でお盆を持っていた為,女性A側からは既に開かれていたドアが邪魔であり,女性はキャビネット側から部屋に入った。その為,部屋に入るときはドアの音が無い。ゆっくりと歩いてきたため,足音は聞こえない。

9:20 ドアの音+足音「何支店でしたっけ」被告は女性A側から来た。

     ドアの音のあと,足音が止まることない。ドアの開閉はなかった。被告は開いているドアに触れただけであった。

9:30 ドアの音(被告が原告に話しかけている時,職員がドアに触れた)

9:48 足音だけ。ドアの音はなし。被告はキャビネット側へ行った。

11:16~11:20 足音

11:27 ドアの音 被告は通路を歩いてドアに触れた

11:40~11:50 弁護士の足音と椅子を引く音。ドアの音はなし

被告はキャビネット側からきたため,ドアに触れなかった。

13:32 ドアの音(他の職員がドアに触れた)

15:15 椅子を引く音「すみません誤字だけ...」

15:16 ドアの音 ← 椅子からドアは近かった。

被告は女性A側へ出て行った

15:46 足音

16:03 足音だけ。ドアの音はなし 

16:09 弁護士の声。甲24号証6頁下5行によると,「そして,こちら

がサインです。」とある。既に書類にサインをしていたのは原告である。被告は原告がサインをした書類を,この時,事務員に渡したため,被告が事務員に対して発言したと判断できる。この時の被告の発言を「反訳者の聴取可能部分」と判断するのなら,「すいません」とは聞こえない。後に続く「ははは」の笑い声は明らかに「聴取可能部分」といえるが,反訳書には記載がない。

16:50 「弁護士:大丈夫ですか。うんうん...」

足音及び椅子を引く音,共に聞こえない。

17:46~49足音

17:50椅子を引く音ドアの音はなし 被告はキャビネット側から来た

 

「事務員の方の位置関係は,大枠は合っている」と述べているように,原告の席から事務員全員を見ることができ,それは事務員全員が原告を見ることができたことを意味する。

16:50に足音及び椅子の音は共に聞こえなかったことから,被告は15:16~17:46まで事務員の雑談に加わり,事務員の傍から原告に話しかけていたことが認められる。16:03の足音は被告が事務員及びキャビネットの周辺を移動した音であったと認識できる。

被告が最初に椅子に座る2:07までドアの開閉音が無かったことから,事務員は前回同様,故意に,原告を事務員と隣接する部屋に入れ,事務員は故意にドアを開放したことが認識できる。そのため,1:30に女性が発言した領収書の話は,原告に聞かせるため故意に発言したものであると言える。原告の顔を見ながらの事務員の会話は,習慣化されていたことが認識できる。ドアは継続的に開放されていたのである。「パーテーションとドアの上部が開いていて,外にいる事務員さんの声が中に聞こえた」のではない。被告は事務員と隣接した部屋で,ドアを開放して原告に対応した行為を,裁判所に対して隠す必要があったといえる。

他の部屋に来客がいたとしたら,被告は原告の情報を第三者に聴かせる意図があったと認識できるものであるし,来客がいなかったとしても,被告は,悪意ある目的のために上記行動をなしたと認識できる。

10:34反訳書女性A:「何考えてるんかな。飲み物頼んで,その後ね,ふふふっ...ふははは」に繋がっている。事務員は原告が初めて法律事務所を訪れたとき,原告の「お茶をお願いします」との発言を思い出し,原告と被告との会話を聴き,笑ったのである。事務員の私語及び笑いは,依頼者である原告の感情を一切考慮していない悪質なものであるにもかかわらず,傍でいた被告はそれらを許容した。

差異があるにせよ,反訳書及び甲11号証は,事務員全員が原告の顔を見ながらの発言であり,原告は強い圧迫を受けていたことが認識できる。このような態様で,原告は精神的苦痛を受け,畏怖し,言いたいことを言う事が出来ず,さらに,原告に法律の知識は無く,法律の誤解から,承諾書に押印したものである。被告の行動は社会通念上相当と認められない非常識な態様であり,明らかに不法行為といえる。そして民法第96条1項強迫に該当し無効となる。そのため,本件承諾書の署名押印の事実は本件委任契約の消費者契約法4条1項,錯誤無効または詐欺取消の可否に影響しない。さらに,原告への最後の嫌がらせとしてワードで作成した領収書を郵送したといえる。

3. 事務所内での話合いに関して

上記の事実から,少なくとも前回事務所訪問時の事務所内の態様は甲11号証と同様であり,故意に事務員と隣接した部屋に原告を通し,故意にドアを開放したうえでの話合いであったことが認識できる。これらを前提にして,「原告は,同月16日,本件事務所を訪問し,本件スペースで被告と面談し,被告に上記査定額を話すなどし,被告は,原告に対し,本件調停事件の第2回期日調書を読み聞かせるなどした。」との事実認定は正しい。被告は面識のある不動産業者がいたにもかかわらず,自身で調べることはせず,原告に調べさせ,事務員全員の前で原告に土地家屋売却の費用を発表させ,売却の費用は半値になることを把握したうえで被告は原告に対し何らかの助言をした。少なくとも,この日,被告は原告に精神的圧迫を加えたうえで,事務員と共に原告の利益に反する助言をしたのである。

ドアを開放して,事務員と雑談しながら,原告と対応をし,上記事実認定に加え,「相手方が被相続人の貯金の引き出を認めた事及び書面を提出した等について,「正直」という表現を使用した可能性はある」との記載があるが,本来,原告は隆の不正出金が許せず,被告事務所に赴いたにもかかわらず,被告はドアを開放し,事務員と共に,隆の行為を「正直」という表現を使用し,原告に対し発言したのである。

大きな悩みを抱え,被告との話合いの為に法律事務所を訪れた原告に対して,ドアを開放して,被告が原告に対してなした発言を聞いたうえで,すべての事務員は原告の顔を見ながら,大いに笑い,会話を楽しんだのは顕在した現象である。他方,原告が受けた心身のショックは大きなものがあり,それ以降,原告は着信拒否をした。原告において,これらの言動を受けたことにより,後々,非常に強い精神的苦痛が続いている。依頼者である原告の心理の機微を慮ることなく,原告が土地家屋売却を嫌厭する心理に乗じ,遺産相続調停に支障が生じることを認識したうえで,弁護士という被告の優越的な立場を利用した行為であるといわざるを得ない。被告及び事務員が上記のような言動をすれば,原告の心を深く傷つけ,精神的苦痛を与え,意に沿わない解決になってしまうことが予見できたのに,故意に上記のような言動をなしたことは,被告の非人間性,悪質性は明らかであり,不法行為を構成するものである。

4. 生前贈与と主張撤回書面に関して

「原告は,本件調停委員に対し,同贈与記載の金員は,亡母が20年前に交通事故で死亡したことにつき,亡父が裁判をして金銭の支払いを受け,この一部を原告及び被告に交付したものであるとの趣旨の話をしたことから,本件調停委員は,被告に対し,上記の各贈与記載の金員は,亡父が,原告及び被告に対し,亡母の相続時の原告又は隆の遺留分に相当する金員を交付したものではないかとの趣旨を告げて検討を求めた。」とある。しかし,これらについても相当の事実誤認及び評価の誤りが認められる。

本件調停委員は,第1回調停以前に被告が予め提出していた「進行に関する照会回答書」に記載されていた「相続関係図」から,配偶者が死亡していることを知り,原判決贈与記載の金員は,亡母の相続時の原告又は隆の遺留分に相当する金員を交付したものではないかとの考えにより,第1回調停期日において被告に説明を求めたのが事実である。さらに,弁護士が依頼者の利益を考えるならば,提出せずともよいものである,証明するものが何もなく,却って,贈与税の支払い義務のあるような金員を,生前贈与「特別受益」として提出したため,本件調停委員は疑念が生じたといえる。9時30分開始の第1回調停期日,調停委員との最初の話合い30分の大半を被告の生前贈与の主張に費やした。被告の説明が長く続いたため,原告は,本件調停委員に対し,同贈与記載の金員は,亡母が20年前に交通事故で死亡したことにつき,亡父が裁判をして金銭の支払いを受け,この一部を原告及び被告に交付したものであるとの趣旨の話をした。その結果,本件調停委員は,生前贈与として提出したものは遺留分に該当すると,改めて被告に指摘したのが事実である。その後も,被告は,遺留分を認めず,生前贈与の主張に固執し,執拗に原告に調べさせたが,最終的に遺留分であると認め,主張撤回書面を提出したのが事実である。

原判決贈与記載の金員は調停申立以前に,被告から「弁護士には正直に話して欲しい。生前お父さんから貰った金銭はあるのか」と尋ねられ,原告が「母が亡くなった後,父から金銭を貰った」と返答したものである。被告は「正々堂々と戦う為,正直に,生前贈与として提出する」というものであった。

それは言うまでもなく,知識のない弁護士の判断ミスであった。被告は自身の浅薄な知識が露呈したため,原告に対して「気に入らない」「この依頼者のせいで」という考えが生じ,「腹いせに嫌がらせをしてやろう」と非常識な態度に至ったのは理解に難くない。

5. 被告と隆は面識があったと思われる。

ドアを開放して対応をした別の理由として,被告は隆の利益を考えての行動であったともいえる。隆はファーストホテルの支配人をしていた。被告はロータリークラブの会員であり,「〈例会日〉毎週火曜日」との記載から,被告は毎週ファーストホテルを利用していたことが認められる。そうなると,隆と被告は面識があったと考えるのが自然である。

弁護士である被告が,依頼者である原告の利益ではなく,相手方の利益を第一に考えて行動したこと自体常識的に考えるとあり得ないことではある。しかし,前述の事実から考えても,被告の言動について「良識」とはかけ離れており,弁護士である被告の常軌を逸した非常識さ,理不尽さによって,意図的に依頼者を傷つけたことは,依頼者との関係のあり方として,専門職責任の核心的部分として,依頼者である原告の利益を第一に考えて提案し,行動したとは考えられないものであり,原告が,「被告が隆の利益の為になした行為」と考えるのは当然である。ワードの領収書を原告に郵送したのは,被告もしくは事務員が,原告から取得予定もしくは取得した金額を隆に報告する為に,家に持ち帰ったと原告が考えても不自然ではない。

6. 原告の着信拒否のあと,被告及び事務員は同様の行為を繰り返した。

(1)  突然の,被告の非常識な言動によって原告は混乱し,着信拒否をした。何が起因となったのか原告にはわからなかった。「電話をかけたけれどもつながらなかったという記憶はあります。…つながらなかったので,おかしいなというふうには思ったと思います。」との説明があるが,少なくとも第3回調調停期日まで被告と原告の間には話合いはなかったことが認識できる。それにもかかわらず,原告の着信拒否後の被告及び事務員は前回と同様の行為を繰り返し及んだことにこそ本件不法行為の本質があると考えなければならない。

(1) 着信拒否をしたうえで原告は考えた。弁護士会に訴えるにしても証拠がない。第2回調停終了時点で,現金の金額は決定していて,亡き父の土地だけが問題として残っていた。「亡父母の遺産分割においては,不動産の分割も行う必要があり,その分割方法については以後も調整を要したことが認められ,これが定まらない限り,原告が得られる利益が確定していたとは言えない。」(原判決26頁19行)との評価は正しい。契約書には次の記載があった。「経済的利益の額の算定は,本件事務所の算定基準によるが,算定できない場合には,経済的利益の額は金800万円とする。」(原判決4頁3行)。まさに「算定できない場合」であった。相手は弁護士であり,支払いを拒否すれば,原告に対して裁判を提起するであろう。原告からすればなす術もなく,「どうしようもない状態」となったのである。原告が選んだ結論は,亡き父の家は売らない。隆とは金輪際関わらない。というものであった。そして,被告法律事務所の実態を公にする意思を固めた。

(2) 第3回調停期日においても,被告の高圧的な態度は続き,被告への信頼が破壊していた原告は,ボイスレコーダーを持参し被告法律事務所を訪れた。

原告に電話をかけたのは事務員である。被告が原告に対し直接電話をかけることはあり得ない。事務員は1回以上原告に電話をかけた。依頼者と電話がつながらなかったら,通常なら酷く困惑して当然であるが,事務員は原告来訪の際,継続的にドアを開放してしたため,この日も平然と,前回同様ドアを開放し,原告の顔を見ながら「領収書を家に置いたままだったような」と会話をし,他の会話等の行為に及び,ワードで領収書を作成し,郵送したものである。事務員は,「わざわざ電話をしたのに,この依頼者,ふざけやがって」と,原告に対して立腹していたことが認識できる。

被告にしてみれば,「不都合な書類を返還したくない」「経済的利益の説明に反論させたくない」との意向により,前回同様,原告を傷つける必要性を考え,ドアを開放しての行為であったいえ,前回同様,原告との個別の対話を拒否したものと認識できる。自己の利益追求のためならば,悩み苦しんでいる依頼者を傷つけ憚らない被告の悪質性は,損害賠償金の算定にあたっては深く考慮に入れなければならない。

(3)  原告の着信拒否にも動じず,ドア開放を繰り返しての被告及び事務員の行為及び上記の事由から,被告と原告の間には会話は無かったことが認識できる。そして,それは,「原告は,隆の取り分を増やすために,上記①②の不動産の価値をゼロにしたいと申し出た。被告は, 原告に対し,同申出通りとなった場合,原告が取得する代償金が減ることとなることを説明の上,原告の意思を確認したが,原告は「それでも良い。こちらの代償金が多いと,この手続きによる隆の取り分がほとんどなくなる」などと隆の現金または預貯金での取り分が少ないことを慮る発言をした為,被告も上記申出に沿った代償金の取得を求めることとした。」との助言を被告が原告に対してなしたとは考えられず,また,原告が被告に対して上記発言をなしたとも考えられない。そして,上記発言では,「原告の代償金はどれだけ少なくなってもいいから,隆の取り分を多くしたい」との意味に解する。さらに言えば,「過大な弁護士費用を払う為,原告の代償金はどれだけ少なくなってもいいから,隆の取り分を多くしたい」との意味にも解すことができる。そのため,原判決23頁の上記事実認定及び評価には重大な誤りがあることが認められる。仮に原告が上記の発言をなしたものであったら,ドアを開放しての被告及び事務員の行為によって強い精神的苦痛を受け,原告が言わざるを得ない状況に陥った結果であると認識できる。

「通常,相続開始前に被相続人名義の口座から不正に引き出した金銭を自発的に返済することは考え難く,当該不当利得は,返還を実現することが困難なものであったと評価できます。」と,被告は主張しているにもかかわらず,亡父の入院開始前の不正出金を隆に請求せず,裁判を提起することもせず,証明するものが何もない金員を,特別受益として提出し,第2回調停終了以降,事務員と隣接する部屋に原告を座らせ,ドアを開放しての前述の被告の行動から考えても,被告自身の取り分はある程度確定されている為,原告を深く傷つけ,隆の取り分を増やそう,との考えに至ったのは理解に難しくなく,原告が,「被告は隆の利益の為に仕事をしている」と,捉えたのは極めて当然である。

(4)  「調停委員が,請求者に対して,相手方との握手を求めたとの主張であるが,そのような事実は把握していない」懲戒請求答弁書と,被告は握手に関知していないことを認めている。被告は原告と隆の今後の関係には微塵も興味を示さず,何ら行動をしなかったことを認めているのである。

「第1回期日において,隆が上記不正出金を認め,また,亡父死亡時の預金につき,基本的には2分の1ずつ分割する意向を示したことは認められるものの」との評価は正しい。原告は隆の不正出金を知り困惑し,被告法律事務所に赴いたが,本来,原告と隆の間に争いはなかった。仮に,不正出金を発見したことを原告が隆に打ち明け,土地と家屋を隆の取得とし,絶縁と引き換えに,3900万円強の金額を原告が取得するのなら,弁護士の存在は必要なかったのである。もしくは,亡き父死亡時の残金の半分の額を原告が直接隆に請求したうえで,隆と絶縁をしても良かったのである。

 個別の対話を拒否し,原告の正当な利益も考えず,原告と隆との今後の関係も全く考えないのであれば,弁護士の必要性はなかったのである。

被告は原告から渡された銀行取引履歴明細票から,亡父の通帳残額及び隆の不正出金額を知り,被告自身の過大な利益を考え,法律を知らない原告の無知,不安,困惑等に乗じ,本件契約を締結させ,同時に隆に出す手紙を原告に渡した。この手紙と「経済的利益」の間には因果関係があった。原告と隆の双方の今後の関係性を考えれば,被告は示談を選んでいたと推認する。しかし,被告は原告と隆との争いを好み,被告自身の利益以外には興味を示さず,調停を選択したといえる。

7. 経済的利益の基礎は被告と隆との電話での対話によって定められた。

亡き父が入院して以降の預金の取引履歴明細票の開示請求をした。なおこの時点で,隆から亡父の分配につき,具体的な金額の提案はなかった。」「被告は本件委任契約締結後,原告に対し,隆に対し,連絡文書を送付することを告げたうえで,....同日付「ご連絡」と題する文書を隆に送付した。」との事実認定は正しい。「隆は被告に電話で連絡し,亡き父の遺産分割について,原告に対し1000万円を交付することを考えている事,及び,亡父の不動産についても,原告が希望するならばこれを取得すればよいと考えていることを告げた。」とあるが,この事実認定にも大きな誤りが認められる。上記のような発言であれば,「原告が希望するならば亡父の不動産を取得すればいいが,そうでないのなら隆が取得する,との意味に解することができる。しかし,隆は「亡父の不動産は要らない。原告に譲る」と断言したのである。「原告及び隆のいずれもその取得を希望せず」(原判決21頁23行)とあるとおり,3回目の調停を要したのが事実である。

被告は,自己の利益を可能な限り多くしよう,との意向により,ドアを開放し,原告に精神的圧迫を加えた状態で,亡父の不動産を代償金算定の基礎から除外したものといえる。

本件遺産相続の「経済的利益」とは手紙の返答として,被告が隆と電話で話し合った金額を基礎とし,それ以上の金額はすべて経済的利益として算定された。被告にとって,調停開始前の隆との電話でのやりとりは不可欠であったと認識できる。旧報酬基準の遺産分割における「経済的利益」とは,本控訴理由書8頁第3.3のとおりであり,本件における「経済的利益」の算定方法は旧報酬基準どおりではなく,「色彩法律事務所の報酬基準による」もので,弁護士報酬は著しく高額なものであった。

第6. 総括

法律を詳しく勉強した弁護士の被告が,法律を知らない一般人を狙い,一見して安価に誤認するような事実に反する「着手金と報酬のめやす」の算定方法を故意にホームページに表示し勧誘した。法律の盲点を利用して,「事件の内容により変わる場合がありますので,具体的な費用については個別に検討して,法律相談の際などにお伝えします」と,付記を表示した。契約書の算定方法は,旧報酬基準と同じであった。契約書には「本件事務所の報酬基準によるが」と記載され,「算定できない場合には,経済的利益の額は金800万円とする」と記載されていた。原告は既に,あらゆる書類を被告事務所に届けていた。どこの法律事務所も同じだからと錯誤し,契約書に押印した。同時に隆に出す手紙を渡された。それは,大きな悩みを抱えている依頼者の軽率・無経験・無知・不安に乗じて,被告自身の過大な利益を獲得することだけを目的としたものであった。弁護士解任を考えたとき,原告は既に「どうしようもない状態」になっていた。

原告の経済的利益は第2回までの調停内容よりも低い利益になったため,被告はこの事件が問題となるのを避けたい,との意向が働き,「本件ではさらに,報酬を算出した後に,申立人にその額・算出根拠を説明し,承諾を得ている。」と,算定方法を変更したといえる。原告から懲戒請求をされ,紛議調停申立をされ,被告は怒りを抑えられず,「なお,本来であれば,報酬は契約書に基づき計算し,請求すれば足りるが,」と本音を述べたものといえる。「本来であれば」報酬は契約書に基づき計算し請求すれば足りていたのである。「報酬は本来よりも少なくしてやったのに」と腹立ちまぎれの記載であったと考えられる。契約書第2条「経済的利益の額の算定は,色彩法律事務所の報酬基準によるが,算定できない場合には,経済的利益の額は金800万円とする」は,みなし成功報酬特約であったからこそ,ドアを開放しての前述の行為を平然となしたものであると認識できる。

原告の従属状態,抑圧状態,無知に乗じ,被告はドアを開放して原告との必要最小限の言葉を交わし,承諾書に押印させた。弁護士報酬は旧報酬基準と比較して極めて高い報酬の算定方法であった。依頼者である原告の権利を侵害し,原告と隆との関係を破壊し,被告は過大な利益を獲得した。

上記の被告の一連の行為は,依頼者の利益を第一に考えて提案し,紛争を解決するために活動したとは到底考えられず,自己の利益だけを追求し,依頼者を侮辱する行為であったといえ,弁護士プロフェッションとして許されるべきことではない不法行為であり,民法709条に基づき損害賠償請求を求めるものである。

 

結果は全てに於いて棄却された。

私の陳述書から8日あと、裁判所の提出期限の7日後に提出された弁護士の陳述書にはこう書かれてあった。
『当職の事務所で原告に会ったとき、原告は「兄から父の遺産のお金を少しやる」と言われたことに立腹していた。父の遺産は「少し」ではないはずだと考え、原告は銀行で亡父の取引履歴明細票を取得した。しかし、既に兄の口座に全て入金されていることを知り、原告は裁判所での調停を望んだ。
当職が相手方の意向を知る為、相手方に手紙を書き、相手方と電話で話をした。相手方は「妹に1000万円をやる」と言ったが、原告はその金額に納得しなかった。その為、当職は原告の金額を多くするために相手方の家を抵当に入れることを提案した。その結果、やむなく相手方は二分の一にすると
いってきた。すると、原告は「これでは兄の金額がほとんどなくなる」と
土地家屋を0円にすると言った為、この金額になった。
本来なら、契約どおり800万円の報酬が妥当である。しかしながら、当職は計算をして報酬金額を決定したのである』
この弁護士の陳述書がすべて認められ、兄の不正出金は完全に無視された。

調停委員の証人尋問は守秘義務があるから無理と、裁判官から拒否された。

そして、裁判所は録音など聞かなかった。私はこの法律事務所の実態を公表しようとボイスレコーダーを持参し隣の椅子に置いて録音した。しかし、証明をどんなにしようと録音を聞かない裁判所にとっては意味のないものだった。無知な一般人にとって裁判所とは希望などという言葉は捨て、人生を諦観するところなのだ。合格率4割の司法試験に合格し、弁護士は裁判所という華やかなステージに立つ。それは弁護士にとってのステージであり、依頼者は弁護士を引き立てるための観客であり、大道具であり、脇役の喜劇役者でしかない。

私は一筋の蜘蛛の糸を掴んで上へとのぼろうとした。この一部始終を上から見ていた弁護士は、面白そうな顔をして周辺にいる事務員を呼び出し、蜘蛛の糸を掴んでいるものをみて指を差して事務員とともに大笑いした。やがて依頼者が池の底へ石のように沈んでしまうと嬉しそうな顔をしながら、またぶらぶら散歩に行った。

 裁判所は昼の合図を伝えた。





#創作大賞2023 #オールカテゴリ部門

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