見出し画像

健康状態が優れない間に、洞察力が磨かれる

33年間の喘息患者としての経験から、私は長い間「ほんとうに人生で価値があるものは何か」というのをずっと探していたように思います。

人生でいちばん大切なものは何か。

何の為に生きているのか。

人生にどう対処するか。

目の前に起こった出来事に対して、何を選んでも改善しない喘息に対して、一体どうして良いのか分からず、もがいて苦しんで、見て見ぬ振りをしたり、あまりに自分が情けなくて強がってみたり、健康な人として振る舞ったり、考えない様に別の熱中できることを作ってみたり。


周りから言われる心無い言葉にひたすら傷つき、小学生くらいには「大丈夫?」といわれるだけで怒りが込み上げてきたり。

10歳になったある日、突然「死んでるのと一緒だ、死んでしまいたい。」と思い、それまで1日20錠以上飲んでいた薬を全放棄し、呼吸器と点滴を自分で抜いたり。

好きな人と付き合ったり、学校に行けたり、やりたい楽器ができることが心の底から嬉しくて、中学高校はもう「私は健康だ」と勘違いしたり。

薬で症状を誤魔化しているうちに、いつしか「症状が出たら薬を飲んで、少し休んでいれば良い」という対処療法がしみつき、20代は平日は健康な人のふりをして、金曜の夜から月曜の朝までは病院という日々がだんだん増えたり。

30代に入り、自分を取り巻く環境が激変したことをきっかけに、全て絶妙なバランスで維持していたものが総崩れし、喘息に加え不眠症、乾癬(かんせん)※免疫性の皮膚病 を発症し、「何かが間違っている」と直感的に感じたり。


全ての経験が「成長のチャンス」で、生きている限り続くことを受け入れられた時、家族ができても、ほんとうの自分であることを諦めない覚悟ができたんだと思います。

洞察力は、苦しい経験からの恩恵。

私はそう思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?