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コンプレックスは愛の元

 人間誰しも、こんな事を思った事はないだろうか。

「あの人のあの能力が欲しい、あの人になりたい、何で自分はこんな人間何だ」

そう思うことは、至って普通でありそう思わない人間の方が珍しい。人は生まれてから死ぬまでずっと思い続けている。

しかしどこかの大人が「コンプレックスは幼少の時に受け入れた。いつまでもそこにこだわっているのは、子供の証拠だ」という意見を耳にした。

こんな事を言う奴程、コンプレックスに対して敏感なのである。何故なら、自分の欠点を受け入れたフリをし、受け入れられない者に対して子供だと罵る。非常に醜い言動である。

人は、自分の欠点を受け入れようとするがそんな事自分じゃどうにもならない。どうしようと考えてたって、どうにもならない。

そういう時は、逆転の発想が大事なんだ。仮に自分はコミュニケーション能力が低いとする。「それを活かせないと、社会では付いていけない」そう思うだろう。

しかし考えてみて欲しい。世の中は広く、仕事で溢れている。全部が全部コミュニケーション能力が先立つわけではない。

自分の得意な分野、苦手な分野人それぞれたくさんある。それを一つ一つ見極めるという意味で、自分の欠点を知っている人は、自分の優れた才能も知っている。という事は、自分に合った仕事も見つかるというわけだ。

欠点があるなら、それを他の人間と比べるのではなく自分の得意の分野で闘えばいい。そう気持ちをシフトすると、体も心も楽になり人生が楽しくなるだろう。

しかし勘違いしてはいけない。好きな事と得意な事は違うということだ。いくらそれに対して愛があっても、実力が追いつかなければ捨てられる。そこには運も混ざってくる。生まれた環境や遺伝によって、自分の人生が左右される事もある。それにより気持ちも不安定であろう。

そんな時は、無理に悩まない方がいい。早く寝ることが大切だ。起きたらそんな気持ちどっかにすっ飛んでる。仮に実力が共わなくとも、そこから経験を積めばいい。人間は人間が出来ている人間に対して、優しく接してくれる。助言をもらう事でまた一歩踏み出せるかもしれない。

人生は長い。一回つまづいたぐらいで気に止むことはない。それは誰しも経験することだからだ。コンプレックスを気にする人、たくさんいるだろう。その欠点が、あるからこそ自分は頑張れる。その欠点を見て、登り詰めた先に大きな祝福が待っている。それは普通の人では経験できない。欠点がある人にしか分からない、最高の拍手喝采があなたの原動力としてこれからも機能する。

 このご時世。最近の若者はコンプレックスを気にし、整形をする人が増えていると聞く。整形は自分の容姿を変え、人生を変え、気持ちを変える物である。確かにその方法もいいと思うが「自分をより見てもらいたい」そう思う人には、是非諦めずに行動してほしい。

動いている時、人は助けてくれる。動いている時、人は変化する。動いている時、人は新たな自分を知れる。今の世代には伝わりづらいであろう。

しかし、今の世代に欠けている熱血根性。それは年々消えていっているが、自分を育てるという意味では大切だ。人にそれを押し付けるのは、いけない事だが自分を成長させるという意味ですごく大切だ。

自分自身、今の世代の枠組みであることにすごく憤慨である。学校でも周りの人間は、自らの行動をせず人に対しての罵詈雑言ばかりである。それは自分よりも相手の方が才能がある、いわば嫉妬心から生んだ罵詈雑言だ。

嫉妬を持つということは、最初に戻るが結局は自分の中のコンプレックスというものを抑えようとするも、収まらず人にあたっているだけだ。

自分の価値は自分で判断できない。相手が自分に文句を言うということは自分に嫉妬している。そう考えることが大切だ。逆の立場でも、文句ばかり言っていても自分は成長しない。自分は何のためなら頑張れるのか、それを考えることが大切だ。それは整形でも人助けでも何でもいい。

人と人との関係は、見えない物々交換である。相手に対して良いした行いをして、向こうは喜ぶ。相手が喜んだ顔を見てこちらも喜ぶ。そこには欠点やコンプレックスなど、何の混じり気もない素直で純粋な愛なのである。

結局何が言いたいか。人は愛というものを持っている。それを分け合う間は、邪心や嫌悪感を持つことがない。生きるということは愛が必要。それを死ぬまで持ち続け、それを絶やさぬよう我が子に受け継いでいくのだ。

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