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デパートの天使たち

 郊外のデパートへ散歩がてら出掛けると、明らかに家族連れとか買い物目的ではないデパートで昼寝している人たちがいる。彼らはまるでオブジェのようにそれぞれの気に入りの場所で穏やかに休息を取っていて、寒くもなく暑くもない万能な場所で静かに佇んでいる。

 昔見た映画で図書館で眠る天使たちのようだ。
 
 駄菓子屋の店員さんは、髪の色がとても綺麗なピンクでお昼寝組と対照的だ。みんな歳を取る。その悲しみを小さい頃から見聞きして来たけれど、自分が段々とその方向へ向き始めて見えるようになるものもあるし、そこに一筋の光を感じる時もある。

 痛みを無視するのでは無く少しづつ受け入れると身体に影響は出るし、後悔からの涙も少なからず流れる。若い時はその涙を負け犬のように思えたけれど、その反応を観察する。老齢の母はここ20年くらいの細やかな出来事はほぼさっぱり抜けていて、私は驚愕するのだけれど、娘が飛び降り自殺したりその旦那が首を吊ったりといった一連の流れが影響しているのだろう。私もありていに言えば壊れてしまったままだ。

 妹は私のスマホを炎天下の道路に置いて、と言って悪魔がいるの。と繰り返し言っていた。悪魔が地震を起こすの。と。私は悪魔はいないから、地震も起きません。と半笑いで返したけれど、彼女の目は道路から湯気が出ている中、本当にとても真っ黒だった。

 死を取り込んだ人の瞳は、何も映せなくなるのだと今では分かる。そして自分の瞳もそのようになっていないか見るのが怖くて鏡が苦手だ。

 産後鬱だったのだろうけど、悪魔、という単語は私の中で深々と埋められてどうしようもない後悔を撒き散らす。遺された子供にどう伝わるかも考えるとパンクしてしまった私は、1年間くらい逃げてしまった。

 そして、また母と共に始まった子育てに四苦八苦だけれど、今は共に妹の事で泣いたりする母を抱き締める。姪も抱き締める。

 痛みを受け入れて、流れる涙をデパートで漂流する天使になったつもりで眺める。
 
 私と同じ痛みで泣く母を慰めていたいから、今日はデパートの天使役。明日は母がデパートの天使をしているかも知れない。ある意味においては私自身として引き受けるより互いの救済に役立つのだ。
 見えているようで見えていない違う役職の人々は互いの責務を果たしやすいと思う。

 天使はデパートにも図書館にもごちゃごちゃとした実家のリビングにもいるのだ。

 


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