うさ

文章下手の50代専業主婦が心の赴くままに書いてみた

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文章下手の50代専業主婦が心の赴くままに書いてみた

最近の記事

串カツ田中を田中君が予約して

思い出し笑いです。 「田中君が田中を予約した」と娘から聞いたのは4月です。 転勤で来た人の歓迎会の場所です。 4月に聞いた時も大笑いしました。 今日、夕食を食べている時、ふと思い出し、1人で笑いました。 私は自分が大笑いした話しは、何年経っても笑えます。 中学生の時休み時間に廊下で、お腹が痛くなるほど大笑いしていたら、通りかかった先生から、「箸が転んでもおかしい年頃ですからね」と言われた事を覚えています。 今でも私の心は、あの時と変わらないのかも知れません。 身体が

    • 少し振り返って

      自分を変えたいと思って書き始めたのが、2023年2月20日。 3年毎日書くと決めました。 子どもの頃から50代後半になるまで、何かをやり遂げた、という達成感を持った事はありませんでしたから、3年間毎日と決めました。 冥土の土産にするのです。 3年の折り返しは、まだ少し先ですが、少しだけ振り返ってみます。 文章を何も思い付かない日、眠くてたまらない日、悲しい事があった日、 家族と喧嘩した日、体調が優れない日。 生きていたら、誰しも毎日色々な事があります。 私にも、色々

      • 長所が書けない

        自分の短所は沢山あって、書いて下さいと言われれば、スラスラ書けます。 自己肯定感はとても低いです。 出来の良い姉と比べられて育ったからかも知れませんが、親にしたら、事実を 言っただけでしょう。 比べられた、と思う自分が捻くれ者かも知れません。 他人に誉められても素直に喜べません。 口では「ありがとうございます」と言いますが、内心では「リップサービスだな」と思っています。 捻くれ者です。 私は自分の長所が書けません。 それでも、何かの書類に長所を書く欄があれば書くで

        • アメリカ車とイタリア車

          私は結婚前は運転していましたが、結婚して他県に来てからは、運転しなくなりました。 知らない土地での運転が怖かったのです。 そんな私ですが、車は好きで、独身の頃は車の雑誌を買ったりしていました。 今日、夫の運転で外出した帰り、珍しいアメリカ車が6台くらい連なって走っていました。 車は、フォードや、シボレーのようでした。 その車を見て、昔ビデオで見た映画「アメリカン・グラフィティ」を思い出しました。 どの車もピカピカに手入れをされていて、運転している人も周りから注目されて

        串カツ田中を田中君が予約して

          邪魔する人

          私は1人の静かな部屋でしか文章が書けません。 書く場所は、台所のテーブルです。 ここが1番落ち着きます。 ですが、今書いている場所は違います。 夫の部屋の机です。 邪魔されたのです。 金曜日なので、夫は夕食後に1人で出掛けて、先ほど帰って来ました。 そして、私が書いている台所のテーブルでお茶漬けを食べ始めました。 気が散るので、場所を移動したのです。 最近、夫もnoteに投稿を始めました。 私は、夫が文章を書いている時は邪魔をしないようにしています。 夫には、こちら

          邪魔する人

          初夏の夕暮れ

          今日、福岡の日の入りは19時17分でした。 日が長くなってくると、なんだか嬉しくなります。 夕食作りをサボって、散歩に行きたくなります。 子どもの頃を思い出します。 夕食を食べた後、父と散歩に行っていた事を。 アイスキャンディーを買ってもらった事や、公園で鉄棒をした事。 あの頃は、自分が大人になる事など考えた事もなくて。 50代の自分なんて想像した事もなくて。 日が長くなったら、楽しい事があると決まっていて。 父が他界して40年は経ちますので、思い出す事はほとんどあ

          初夏の夕暮れ

          ツシマヤマネコ「ひかり」

          夕刊の新聞記事で、4月22日に放獣されたツシマヤマネコの「ひかり」が 5月18日に亡くなった事を知りました。 全身の力が抜けていきました。 夕食を作る気力も無くなりました。 ネットで読んだ死因は、急性胃拡張が原因で嘔吐し、窒息したと考えられる、 との事でした。 「ひかり」が4月に放獣された新聞記事を読んでから、時々「ひかり」を、 ふと思い出す事がありました。 「今、どうしているかなぁ」 放獣された時の記事は、何度も何度も読み返しました。 「ひかり」が居た事は、私の

          ツシマヤマネコ「ひかり」

          どうして私はこんな日に、美しい事を書きたいと思うのか

          夕方、鏡に映った私の顔は、瞳は輝いて、口角も上がって、あんな事があったにしては、悪くない表情です。 あんな事。 有給休暇を取って家にいる娘から、日中嫌な事を言われ続けたのです。 夫はいつも、自分から娘に言いにくい事を私に言わせる卑怯者です。 その伝言を伝えたせいで、娘から一日中ガミガミ言われ続けました。 それを私は黙って聞いているだけです。 娘は、父親が帰宅しても私に文句を言い続けます。 父親に反抗しているのを見た事がありません。 心をズタズタにされたのに、今私は美し

          どうして私はこんな日に、美しい事を書きたいと思うのか

          花が付かない紫陽花

          庭に植えている紫陽花に、だんだんと花が付かなくなりました。 ネットで色々調べて、出来る事はやってみました。 それでも昨年は、とうとう1輪しか花が付きませんでしたので、今年はもう 葉だけの紫陽花になるかと思っていました。 昨日見ると、大きく茂った葉の中に、小さな花の蕾が1つだけありました。 近所の公園や、空き家の、誰も手入れをしない紫陽花にも沢山の蕾が付いて、それを羨ましく見ています。 ペットは飼い主に似る、と言います。 植物も育てる人と心が通う、と聞いた事があります。

          花が付かない紫陽花

          とても静かな夜

          いつもなら、遠くから聞こえてくるバイクの騒音が今日は聞こえて来ません。 救急車の音もよく聞こえて来るのですが、それもありません。 こんな夜もある事に、今日気が付きました。 明日は月曜なので、バイクの音が聞こえて来ない理由は何となく分かります。 この辺りは高齢者が多いので救急車の音がするのは慣れています。 明日月曜に関係の無い、救急車の音も聞こえません。 静か過ぎて不思議な感じです。 何の音も聞こえません。 深い海の底にいるような感覚です。 今、遠くで救急車の音がしま

          とても静かな夜

          バラの季節

          近所に見事なバラが咲くお宅があって、薄いピンクの花は今が盛りです。 散り落ちた花びらも美しく積って、その一角だけ絵画のようです。 東京に出張に行っている娘がバラの写真を送ってくれました。 東京ガーデンテラス紀尾井町のバラの写真です。 今日の東京は素晴らしい青空で、輝く太陽の下で、バラも一層美しく撮れていました。 その中のオレンジ色のバラの写真を、スマホの壁紙にしました。 今、私はバラの香りを纏っています。 普段香水は付けませんが、バラの季節だけは夜、ダマスクローズの

          バラの季節

          荷物を預かっていただいて

          今日は気持ちの良い気候で、外からは鳥のさえずりしか聞こえなくて、開けた窓から入る風は優しくカーテンを揺らして、視線の先には猫が気持ち良さそうに自分のベッドで寝ている。 そして私の心は、とてもとても穏やかです。 え?、昨晩また心配事が1つ増えたのに、心が穏やかなんておかしい。 私、生きてるつもりだけど、まさかここは天国ですか? 私のものでは無いけれど、私が持つ事になった荷物はとても重いです。 昨日の夜眠っている時に、誰かが預かってくれたようです。 あんなに重たい荷物は私

          荷物を預かっていただいて

          長崎

          私は長崎市内で生まれ育ち、結婚で福岡に来ました。 福岡は九州最大の都市ですから、長崎が懐かしいと思う事も少なかったです。 近いのに、帰省もあまりしません。 それが最近Instagramで長崎の美しい写真を目にする事が多く、とても懐かしくなりました。 歳をとったせいもあるかもしれません。 坂道、海、稲佐山からの夜景、眼鏡橋、路面電車、中華街、カステラ、 トルコライス、猫。 友人に長崎出身だと話したら、ご主人の会社で人気の転勤先だと聞き、嬉しくなった事を思い出します。

          左利き

          私は里帰り出産をしましたので、娘が生まれてからひと月程、実家に居ました。 母から、おもちゃを持たせる時は右手に持たせないと、左利きになる、と何度も言われ、そのようにしていました。 右手におもちゃを持たせたのに、左手に持ち変えていた時は「右手で持とうね」と声を掛けて右手に持たせました。 娘は左利きに育ちました。 余計な事をし過ぎたのではないか、と思います。 赤ちゃんの時に両手に自由に持たせていたら、もしかしたら右利きになっていたかも知れません。 左利きに育ちましたが

          左利き

          ふと思った事

          今日歩いている時、昨日書いた文章の事を考えていました。 娘が私を呼ぶ時は「お母さん」、父親を「パパ」と呼ぶと言う内容です。 その事でふと思った事があります。 「お母さん」と「パパ」はペアの言葉では無い、と頭に浮かんだのです。 だから夫とあまり仲良く無いのだろうか、と。 娘が「お母さん」「お父さん」か、「ママ」「パパ」と呼んでいたら、少しは今よりは仲良くしていたのだろうか、と。 そんな些細な事が関係しているはずは無い、と笑われるかもしれません。 何事も些細な事が積み上

          ふと思った事

          お母さんとパパ

          娘が私を呼ぶ時は「お母さん」。 父親を呼ぶ時は「パパ」です。 見た目的には、私は「ママ」で、夫は「お父さん」の方がしっくりくるのですが。 いつ頃からパパと呼んでいたか覚えていませんが、私はそんな呼び方をしませんので、幼稚園で覚えて来たのかも知れません。 幼稚園に行く前は私の事を「かーか」と呼んでいました。 父親を何と呼んでいたか記憶にありません・・・。 娘が初めて話した言葉は「コーキ」(飛行機)でした。 私は飛行機が好きなので、娘の前で空を見て飛行機を連発していたので

          お母さんとパパ