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超コミュ障が同志社大文学研究会で人生(ちょっと)変わった話

同志社新入生向けに、サークル選びの参考にしていただければ幸いである。

もう卒業するので白状してしまうが、筆者は本学が第一志望ではなかった。
4回生になった今でも覚えているが、入学して最初の2年間は何やら死ぬことしか考えてなかった。あまり悪く言うと大学の体面にも関わるので、本当は言いたくないのだが、
通うのが苦痛でしかなかった。あたかも牢屋に入った気分だった。
目の前の何もかもがモノクロにみえた。
あの赤煉瓦の建物が何より嫌いだった。
入学したのが2020年でコロナ禍真っ只中だったわけだが、コロナがなくとも同じだっただろう。JR京都駅の8番乗り場で毎日のように自殺を考えた。
(まあ、1回生の春学期はキャンパス閉鎖で1度も登校していないのだが)
このころの記憶は、ほとんど残っていない。セミの抜け殻の如く無気力状態で家とキャンパスを往復するだけだった。

それでも何かしなきゃと思い、2回生に上がる3月に文学研究会に参加。さすがにサークルに入っていないのはまずいと思ったのだ。選んだ理由は単純で、「コミュ障で超めんどくさがりで人付き合い無理だけど、ここなら楽そうだし何とかなるかな」というものだ。あとは、個人的に何か小説を書いてみたいと思っていたのもあるが。
入会したら実際そうだった。必ず出席しなければならない行事みたいなものもなければ、作品を執筆する義務もない。一応在籍していたが、たまに会員の書いた作品を校正したり、気が向いたら読書会に参加したり、学園祭の手伝いに行ったりする程度で、実は3回生まではほとんど活動していない(おそらく当時のメンバーも自分のことを覚えていないだろう)。

だが、そこに当会の最大の特徴がある。
『オンラインなので、決まった活動時間は無し』
何か拘束されることもないし、自分みたいにほぼ幽霊状態でも咎められることもない。もちろん、積極的に作品を書いたり、運営に参加する会員もいる。
なんなら文学に興味がなくてもいい。我が会長は入会前、ほとんど本を読まない人間だったそうだ。かくいう私も、文学の知識などほとんど持ち合わせていなかった。「文学」のはずなのに、会員の雑談の半分くらいは文学に関係ない話だったりする。
同志社には文化系だけで90近くサークルがあるが、その中でも突き抜けて自由なサークルだと自負している。いい意味で緩い。

そのせいか、この会には本当に様々な方がいる。
少しかいつまんだだけでも、
中国史も化学も何にでも博学で常にコアな議論をしている会員や、
めっちゃおしゃべりで誰とも仲良く話している会員もいれば
反対に自分みたいな重度コミュ障もいる
アニメ好きな会員もいるし、留学生も、映画好きも、
様々な属性の方が同じサークルにいる。ある意味奇跡ではないだろうか。
とにかく「何でもあり」を体現したような雰囲気である。

先述のように鬱々とした大学生活だったが、良かったことを挙げるとするなら1つだけある。
前の記事に書いたが、筆者はふとした理由で日記を兼ねた小説を書いていた。地元神戸が舞台だった。
4回生に上がって就職が決まったあと、何かやり残したことをしようと思い、イベントや編集作業を手伝うようになった(つまりそれまではサークルにほぼ参加していなかった)。ヘッダーは、23年11月の学園祭での教室出展の様子。
同時に、「ずっと書いていた日記を作品化しよう」と思った。

文研では、誰でも好きなように作品を書き、会報誌に発表することができる。筆者はいままで作品を発表していなかったのだが、4回生になってようやく何か掲載してみることにしたのだ。やはり、周囲の会員が創作に積極的だったのが影響したのだろうか。

その中で「自分が本当にやりたかったのってこういうことだったな」ということに気づいた。もともと地元好きな人間だったのだ。鬱々とした日々に光が差した気がした。
その後、ついに作品を自費出版することにした。印刷所にデータを入稿し、先日24年2月中旬に届いた。機会があればサークルにも配ろうと思う。
それでふと気づいた。「あれ? 夢叶ってるやん」

筆者は小学生のころ、「本を書くのとか興味あるけど、そんなものは自分みたいな人間ができることではないよね」と思っていた。
しかし実際は、やりたいことをやるのに躊躇する必要ないと気づいたのだった。

もし今、「自分はどのサークルに入ってもやっていけない気がする」などと不安を抱かれているのであれば、是非文学研究会をお勧めする。筆者もかつてその一人だった。
そこには必ず、貴殿に合った居場所があるはずである。


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