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ゴンドラの唄

悲しいニュースを見ました。

自分より若い方が亡くなると、そしてそれがテレビで印象に残る方であると、なにか胸が締め付けられるような思いがします。

舞台やドラマなどで活躍した俳優の井川瑠音さんが亡くなっていたことを、所属事務所が1日に発表しました。31歳でした。井川さんは、舞台やドラマなどで活躍。さらにバラエティー番組『水曜日のダウンタウン』にも出演し、話題になっていました。 (Yahoo News)

詳しいことは分かりませんが、闘病中だったようです。直近の写真を見ると、かなり不自然に痩せておられます。大変だったのだろうな。苦しかったのだろうな。言葉もないです。

若くして事故や病気で亡くなる方がいて、海外では、たとえばガザ地区では子供も含めた多くの方が亡くなっている。

一方で、自分は生きている。

不安や不満はあるけれど、とりあえず生きている。これだけでも、とてつもない「幸運」なことではないのかと最近、思うのです。

自分は、生きているのではない。生かされている。様々な幸運に恵まれて、生かされている。芸人・明石家さんまさんの有名な言葉がありますね。「生きているだけで丸儲け」です。  

人生の目的について、思い悩む人がいます。「人生に何の目的があるのだろうか?」 しかし、その問いかけに、意味はありません。

何の為にとか、何が故にとかいうことは、生きるということから、後に生じて来るもので、生きる、そのことは絶対なのだ。
   (安岡正篤)

地球に何の目的があるの?太陽に何の目的があるの?と問いかけても、意味など、ありません。順番が逆なのです。最初に「存在」があるのです。「目的」は「存在」に先行しないのです。

目的があるから、地球や太陽や存在するわけではありません。同じように、「人生」も「目的」のために存在するわけではない。存在が先行するのです。順番が逆です。

人生に目的を問うのは、お門違いです。問うのは、われわれではなく、人生です。人生がわれわれに問うているのです。

黒澤明監督の名作に『生きる』という名作があります。

平凡に日々を過ごしていた公務員が、胃癌で余命いくばくもないことを知ります。自暴自棄にもなりますが、生きる意味を見出します。それは、住民の要望だった公園を完成させること。主人公は最後、完成した公園のブランコに揺られて、息を引き取ります。

雪の降る夜、ブランコに揺られて主人公が歌うのが名曲「ゴンドラの唄」です。歌詞が素晴らしい。

いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを

『生きる』という映画もそうでしたが、生きる意味を見いだすきっかけは、死を意識することかもしれません。

「立派に死ぬべきことを知らなければ、立派に生きることはできない」というのは、ストア哲学でしたかね。

「今日が人生最後の日だったらどうする?」と自分に問いかけるのを、毎日のルーチーンにしていた人物がいます。米アップルの創業者スティーブ・ジョブズでした。

“If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?” And whenever the answer has been “No” for too many days in a row, I know I need to change something.

「今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることをするだろうか?」 と自問する。そして、その答えが何日も続けて「ノー」だったなら、何かを変える必要があるんだ。
 (スティーブ・ジョブズ)

生きることは、絶対です。われわれは「生かされて」いるのですから。

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