ゴンドラの唄
悲しいニュースを見ました。
自分より若い方が亡くなると、そしてそれがテレビで印象に残る方であると、なにか胸が締め付けられるような思いがします。
詳しいことは分かりませんが、闘病中だったようです。直近の写真を見ると、かなり不自然に痩せておられます。大変だったのだろうな。苦しかったのだろうな。言葉もないです。
若くして事故や病気で亡くなる方がいて、海外では、たとえばガザ地区では子供も含めた多くの方が亡くなっている。
一方で、自分は生きている。
不安や不満はあるけれど、とりあえず生きている。これだけでも、とてつもない「幸運」なことではないのかと最近、思うのです。
自分は、生きているのではない。生かされている。様々な幸運に恵まれて、生かされている。芸人・明石家さんまさんの有名な言葉がありますね。「生きているだけで丸儲け」です。
人生の目的について、思い悩む人がいます。「人生に何の目的があるのだろうか?」 しかし、その問いかけに、意味はありません。
地球に何の目的があるの?太陽に何の目的があるの?と問いかけても、意味など、ありません。順番が逆なのです。最初に「存在」があるのです。「目的」は「存在」に先行しないのです。
目的があるから、地球や太陽や存在するわけではありません。同じように、「人生」も「目的」のために存在するわけではない。存在が先行するのです。順番が逆です。
人生に目的を問うのは、お門違いです。問うのは、われわれではなく、人生です。人生がわれわれに問うているのです。
黒澤明監督の名作に『生きる』という名作があります。
平凡に日々を過ごしていた公務員が、胃癌で余命いくばくもないことを知ります。自暴自棄にもなりますが、生きる意味を見出します。それは、住民の要望だった公園を完成させること。主人公は最後、完成した公園のブランコに揺られて、息を引き取ります。
雪の降る夜、ブランコに揺られて主人公が歌うのが名曲「ゴンドラの唄」です。歌詞が素晴らしい。
『生きる』という映画もそうでしたが、生きる意味を見いだすきっかけは、死を意識することかもしれません。
「立派に死ぬべきことを知らなければ、立派に生きることはできない」というのは、ストア哲学でしたかね。
「今日が人生最後の日だったらどうする?」と自分に問いかけるのを、毎日のルーチーンにしていた人物がいます。米アップルの創業者スティーブ・ジョブズでした。
生きることは、絶対です。われわれは「生かされて」いるのですから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?