満天
東京には空がない。
そういう詩がありました。気になって、調べたところ、高村光太郎の詩集『智恵子抄』の「あどけない話」という詩でした。
妻を偲んで、没後に高村光太郎が出した詩集が『智恵子抄』です。
智恵子は、福島県で酒造業を営む資産家の娘として生まれます。
東京に進学し、無名の芸術家であった高村光太郎と恋に落ちます。同棲を始めますが、今も昔も、芸術家として食べていくのは容易ではありません。2人の生活は、困窮を極めたと言います。
さらに、不幸が追い打ちをかけます。
裕福だった智恵子の実家が破産します。もとより、身体が強いわけではなかった智恵子は、心労がたたり、統合失調症を発症します。睡眠薬による自殺未遂などもありました。
晩年は悪化する病との戦いでした。最後は精神病院でお亡くなりになります。52歳でした。
東京には空が無い。
その気持ち、田舎者にはよく分かります。
東京に居場所を見つけられず、逃げるように郷里の宮崎に戻って心の平安を得たわたしには、強く心に訴えかけるところがあります。
もちろん、東京に空がないわけではありません。
しかし、建物が密集して、空は遮られてしまいます。そして、首都高がいけない。便利ではあるけれど、あれで空がふさがってしまう。空は見えないし、日陰だし、ずいぶんと閉口したものでした。
「満天」という言葉があります。
「空いっぱい」「空一面」といった意味です。東京には「満天」がありません。世界中の一流品が揃う東京は「満点」の街ですが、「満天」はありません。満天のない満点の街が、東京です。駄洒落で申し訳ない。
散歩をして、ベンチに座って「満天」を見るのが、楽しみです。
白い雲が、ぷかりぷかりと浮いています。じっと見つめると、ゆっくり風に流されている。大きく深呼吸をして水を飲み、また歩き出す。東京には空がないけれど、田舎には空がある。満天がある。
空しかない、と言われば返す言葉もないですけども、360度のパノラマで空を見る。流れる雲を見る。満天の星を見る。こうしたことが、田舎暮らしの最高の贅沢のひとつなのは、確かです。
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