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一日一日が「人生」となる

数日前に、新しい仕事の話をいただいて、
引き受けるかどうかずっと悩んでいる。

様々なメリット・デメリットを天秤にかけて、
最善の答えはどれだろうと思案している。
悩んでいるということは、その業務自体は嫌いなものではない。
ただ、得体の知れない何か引っ掛かりのようなものも感じる。

最善の答えを導き出すには、どうすればいいか。
やはり自分にとって、絶対に譲れないものを考えるべきであろう。

絶対に譲れないもの。
これを犠牲にしてしまったら、とても後悔することになるもの。
選択を誤った自分自身を責めてしまうことになりかねないもの。

この視点で、今の私にとっての譲れないものを考えてみる。
時間、家族、お金、やりがい……。
見る角度によっていろいろなものが見えてきて、正直迷ってしまう。
迷うということは、基準がはっきりしていないということだ。
基準が明確でなければ、正しい決断を下すことは不可能である。

では、決断するための基準とは何か。
基準は、人生という大きなものさしで測るべきだ。
それは重々承知ではあるけれど、
人生というとなんだか壮大すぎて上手く測ることができない。
ものごとを大きく捉えることはとても大事だけど、
細部を見ることによって、意外と本質が見えるかもしれない。
「木を見て森を見ず」ならぬ「森を見て木を見ず」である。

そこで私は、
「一日」という小さな単位で捉えてみることにした。

私にとって、一日のうちでいちばん大切なものはなにか。
それは、朝の散歩の時間である。
4年続けていて、今やライフワークと言っても過言ではない。

朝の散歩だけは絶対に犠牲にしたくない!!
そう、強く思った。

あ、答えが出た。
仕事を引き受けても、これまで通り朝散歩の時間が確保できるか否か。
これだけを基準にして、引き受けるかどうかを決めることにした。

絶対に譲れないという基準がはっきりしていれば、
意外とシンプルにものごとを決定することができる。
選んだ道が間違っていたとしても、
どうして私はこれを選んだのかと振り返った時、
そうだ、これが譲れなかったからだ、と納得できるから後悔もない。
ただその基準を決めるには、マクロとミクロ両方の視点が必要だったのだ。

そして、大切なものはそんなに多くは要らない。
「これだけは譲れない」
それさえはっきりしていれば、あとのことはだいたい辛抱できるだろう。

なんだか目の前がパッと明るくなったような、とても爽快な気分である。

一日でいちばん大事なこと。
それはつまり、人生でいちばん大事なことと同義である。

なぜなら、一日一日の積み重ね、それこそが人生なのだから。


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