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なんとなく居心地がいい店

家の近所に、お気に入りの居酒屋がある。

友達と行くこともあるし、ひとりで立ち寄ることもある。

私はお酒が嫌いではないが、月に1、2回嗜む程度だ。
家にお酒は常備していないので、
飲みたくなった時は、その居酒屋へ行くようにしている。

私がその居酒屋を気に入っている理由はいくつかあるが、
その一つに、店員と客の距離があまり近すぎないことがある。
オープン型のキッチンなので、
しゃべろうと思えばしゃべれないわけじゃないけれど、
そこの人たちは、常に寡黙に料理に集中している。
かと言って、無愛想なわけでもない。

この距離感が、なんとも心地よいのである。

月に一度は顔を見せる私のことを覚えていないはずがない。
けれども、暖簾をくぐっても
「毎度!」と言われることは絶対にないし、
おしぼりを渡される時も「はい、どうぞ」だけだ。
ただ、お通しが他の客と少しだけ違うのである。
他の人には気づかれないように、ちょっといいものをそっと出してくれる。
目配せなんかも、ない。
そして、それに気づいてこっそりとお礼を言おうと思っても、
すでに下を向いて料理に没頭している。

私は、基本的に人見知りである。
だから、店の中全体が友達同士になっているようなところは
いささか気後れしてしまう。
楽しみに行ったはずの場所で、どっと疲れてしまう。

だから私は、良い意味で放っておいてくれるあの店に、
自然と足が向いてしまうのだな。

人はそれぞれ独自の波動を持ち、波長を作り出している。
その波長を出したり受け取ったりしながら他人と交流している。
波長は目には見えないけれど、
元々備わっている第六感のようなもので
似たような波長の人を見つけることができるようになっている。

つくづくこの世界っておもしろいと思う。
決して目には見えない価値観や考え方をなんとなく汲み取って、
人々はコミュニティを形成している。
うっかり波長があまり合わないところに足を踏み入れてしまうと、
居心地の悪さと得体の知れない疲れが生じてしまって、
そこからは足が遠のいてしまう。
これが自然の摂理なのだと思う。

けれども、現代人は日々の暮らしが忙しすぎて
この、居心地のいい波長を感じ取る第六感が鈍ってしまっている人が
なんと多いことか。
また、本当の自分となりたい自分の乖離が大きすぎて、
本来いるべきではない場所に、無理して身を置いてしまったりもする。
そうなると何が起こるか。
衝突、悪い摩擦、諍い、などである。

だから、争いを避け、心穏やかに生きていくための術は、
なんとなく心地いい、なんとなく楽しい、などの
「なんとなく」を置き去りにせず、大事にすることだ。
この「なんとなく」こそ、
本来人間が持っている第六感なんではなかろうか。

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