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桜散る季節に

桜が散り始めた。
木の枝よりも、地面のほうが落ちた花びらで満開だ。

私は、この季節が少し苦手である。
数日前までの満開の頃は、桜を愛でる人々で木の下は溢れかえっていた。
桜の花に近づいて桜の写真を撮ったり、友達同士でポーズをとったり、
桜の木の下でお弁当を食べたり、
みんな顔を綻ばせて、とても楽しそうだった。
そう、街中の人々が浮かれていた。

けれども、葉桜になってきた今、桜の木を見上げる人はいなくなった。
みんな正気を取り戻したように、淡々と前を向いて歩いている。

この、かつて栄華を極め、賛美の的だったものが忘れられていく様、
まるで何事もなかったかのように回り始めた日常を見るのは、
どこかもの寂しいものだ。

だから、私はこの季節を苦手に感じてしまうのかもしれない。

満開に近づくにつれ、花見人は増えてくる。
桜の木々は、それは眩しいほどに光を浴びて
花でたわわになった枝を重そうにしている。
少々の雨でも咲き始めの桜はしっかりと枝から離れず、
鳥たちが蜜を吸いにきても、びくともしない。
満開を過ぎ、日が経つにつれ、
軽い風雨にも耐えられなくなり、
蜜を吸いにきた小さな鳥が枝にとまっただけで、
はらはらと花びらを落とすようになる。
私はその様を、とても美しいと思う。

まるで人間のようだ。
若い頃は、いい意味で何かを押し除けるような強さを持っている。
眩しく弾けるような若さで人を惹きつける。
自分自身も自信満々で、まるで老いなんて永遠に訪れないような錯覚に陥る。

けれど、老いは確実に誰にも訪れる。
巷ではアンチエイジングが流行し、競って老いに抗っているようだ。
ほとんどの人たちが老いを嫌い、敬遠している。
でも、私は思うのである。
この「老い」も人間の美しさなんじゃないか。
桜は、蕾も、咲き誇る桜も、鳥が散らす花びらも、
散って水面に浮かぶ花びらも、どれもそれぞれ美しい。

だから、満開を過ぎたからといって、知らん顔しないで。
それぞれの時に、それぞれ相応しい最高の形で演出しているのだから。

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