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備えあれば憂いなし

昨夜の地震の揺れはとても大きかった。

私は毎晩10時前には就寝するので、
地震が起きた時間は、一番眠りの深い時だった。
だから、揺れ始めてしばらくしてから目が覚めて、
寝入っていたものだから、何が起こったかすぐに理解できなかった。
何か恐ろしいことが起こっているけど、これはなんだったっけ?
……あっ! これは地震だ。
そんな阿呆みたいな思考でしばらく揺られていた。

私は一人暮らしなので、こういう怖いことが起こった時
一緒にいてくれる誰かはいない。
同じ場所で、誰かと気持ちを共有することはできない。
それを嘆いたところで仕方がない。
だから少しでも不安を払拭するためには、備えるしかないのである。

「備えあれば憂いなし」とは良く言ったものである。
大きな揺れが収まったあと、シミュレーションをする。
この後、もしさらに大きな揺れが来た場合について。
着るものをすばやく頭に思い描く。
防災グッズとヘルメットはあそこにあるから、すぐに持って出られる。
避難所へのルートも頭の中で辿ってみる。
家から出られない場合は?
ペットボトルの水は十分ある。
備蓄用の食品も買っている。
簡易トイレの作り方も知っている。
長期は難しいが、当面は凌げるだろう。

備えができていれば、不安は減る。
「あとは野となれ山となれ」とか
「人事を尽くして天命を待つ」という心境になる。
要は諦めがつくのである。

考えても仕方がないことは、考えない。

ただ、この心境に至るには、適度な備えは必須である。
備えがなければ、達観の境地には至れない。

全く備えがないというのは、結局自分を不安に陥れるだけだし、
かといって、過度の備えは「この世への執着」のようで哀れでもある。
それに、キリがない。

精神衛生上一番良くないのは、
恐怖と不安の感情が綯い交ぜになってしまうことだ。
恐怖は、実際に起こっている事象について芽生える感情であるのに対し、
不安というのは、起こるかもしれないという不確実なことへの感情である。
不安は、智慧と備えで、ある程度排除することは可能となる。
あとは正しく恐怖するだけだ。

とは言っても、やっぱり地震は怖い。

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