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幸福感も一種の欲である

昨夜、仕事の取引先の専務から電話があった。
専務から直接仕事の依頼を受けたことは一度もなく、
専務は実務をしていないため、仕事の依頼でないことは明らかであった。

なんだろう???
通話ボタンをスライドさせる前に、私は素早く逡巡する。
もしかしたら私はとてつもないミスをしてしまっていて
会社に大きな損失を出してしまったとか?
はたまた仕事が減ってしまって、契約終了の通知をされるとか?
まさかまさか、会社をたたむとか?
ほんの2、3コールの間に、私は考え得る可能性を思いつく限り頭に描いた。

「実は、お願いがあって……」
柔らかな声で、しかし専務は唐突に切り出した。
お願い???
どうやら想像したような悪い話ではなさそうだ。
私は少しほっとしながら、話の続きを聞いた。

それは、社員になってほしいという依頼であった。
聞くと、来年に1人定年退職を迎える社員がいて、
その後釜の人材を探しているらしかった。

まさに晴天の霹靂だった。
想像もしていなかった内容に、私はかなり狼狽えた。
少し考えさせて欲しいと伝え、電話を切った。

私のセミリタイア生活はまる3年を迎え、
毎日をとても穏やかに送っている。
この自由を満喫する生活をとても気に入ってもいる。
けれども、たまに退屈でたまらなくなる時があるのも事実だ。
冬の間はとても忙しかったけれど、ひと段落ついた今、
毎日に何だか多少の物足りなさを感じていて、
求人広告に目を通すことが最近の日課になっていたのは、ここだけの話。

そんなところに、この電話である。
専務は私のことをとても信頼しているから、と言った。
今までの仕事ぶりや人間性を評価してくれたということだった。
私は素直にとてもありがたいと思った。
何だか信頼してくれたことが嬉しくて嬉しくて、
昨夜はあまりよく寝付けなかった。

人は何に幸福を感じるのか。

お金、時間、人間関係、健康……。
見る角度を変えれば、さまざまな幸福感が見えてくる。
ただ、今私が思うのは
「誰かの役に立てること」または「認められること」、
これも大きな幸福感の一種だということである。
ただし、この幸福感は承認欲という「欲」でもある。
結局人は欲という煩悩を捨て切れないということなのか……。

個人的幸福を取るか、社会的幸福を取るか。
本当に悩むところだ。
まぁ、悩む悩むと言いながら、
もう自分の中で答えは出ているような気もするのだけど。


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