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想像と理解とゆるすこと③

「親になればあんたもお母さんの苦労がわかる。」
これも母からの呪いの一つだ。

悪いが私はひとつもわからない。理解はできるがわからない。
わかったところであなたが私にしたことは、決して正当化できるものではない。

こどもが幼稚園に上がる前(16年前)と小学校6年生(8年前)の時。この二つが私の呪いからの解脱ターニングポイントだ。
どちらも脳裏に浮かぶのはこどもの泣き顔。もう思い出したくはない。誰か海馬からこの記憶だけ抜き取ってほしい。
でも未だに、頻度は減ったが事あるごとに思い出されるし、そのたびに胸が押しつぶされ後悔と懺悔と自己嫌悪が渦巻き涙がこぼれる。
タイムマシンで過去に戻れるなら、絶対にこの二つの時点に戻ってこどもに謝りたい。「ひどいことたくさん言って泣かせてごめんね。」と。

16年前の私はこどもが泣く顔を見て「この子は私だ。」と感じ、8年前の私は「こんな顔をさせたかったわけじゃない。」と感じた。今回は16年前の話。

私にとっての宝物。何にも代えがたい大切な大切な宝物。大切だからこそ私みたいに育っちゃいけない。私がされて嫌だったことはしたくない。だけど方法がわからない。
「だめ。」「ママの言うことを聞いていればいいの!」に代わる言葉が私の中に存在しない。なぜならそれに代わる言葉を与えられなかったから。
グレーの無かった母の言葉を浴びていた私もまた、グレーがなかった。

このままじゃ私と同じ子が育っちゃう、でもどうしたらいいの、誰か教えて、「ダメ」の代わりになる言葉ってなに?
そもそも「良い悪い」「ダメ」以外の選択肢が存在するの?
どうしよう、わからない、このままじゃいけないことはわかってる、でもそれ以外がわからない。

夫に不安を訴えたが、返ってきた答えは「それはお前の問題だから自分で何とかしてほしい。」だった。グレーがなかった私はその言葉を「突き放された」と受け取った。

大学進学時に心理学部を検討した私にとって、図書館で『毒親』という本を見つけることは容易く、そして『カウンセリング』というものへの心的ハードルも低かった。
毒親関連の本を読み漁り、大学附属カウンセリングルームに通い、自分の育ちを振り返り、母への怒りをカウンセラーに泣きながら吐露する。その怒りは時折、母ではなく夫や日本社会の構造に向かい、行き先不明の混沌としたしかし抗いがたい巨大なものとなり、自分もそれに飲み込まれもみくちゃにされ、疲労困憊で帰宅する。それでも次から次へと怒りが湧き出てまたカウンセリングに行く。

自分が毒親育ちだと認めるのにそれほど時間はかからなかったが、そこから先が長かった。
「私の親は毒親だ、だから私がこのようになったのは仕方がないことだ。」と己を認めるだけでは「変わる」ことにはならなかった。
少しずつ、そう多分少しずつ呪いは解けていたのだが、あまりにも呪いが多すぎ&複雑すぎて私は変わらなかった。
その先、が私には必要だということを思い知らされるのは、それからもっと後の話。

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