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想像と理解とゆるすこと②

19年前、母が統合失調症と診断された。

診断される数ヶ月前から幻聴などの症状が出現していたらしい。
「らしい」というのは、「子育てで大変だろうから。」という父の配慮で私には何一つ母の状況が共有されておらず、弟からの事後報告で知ったからだ。
弟の話を聞きながら、私は嘆くでも怒るでもなく静かに「これでやっと自由だ。」と考えていた。


母には「グレー」がなかった。「良い・悪い」「白・黒」しか存在しなかった。
遠い昔、近所の人に「人間には灰色っていうものがあるのよ。」と苦言を呈された、と母はたいそう憤慨していた。
このエピソードは、母が他人からたしなめられるほどの傲慢さを口に出しており、そしてそれを省みることをしない人だった、ということを如実に現している。

常に自分が正しく、自分の思い通りに他者をコントロールしないと気が済まない。
私は何をするにも母の許可が必要で、だけど私のやりたいことは何一つ許されず、やりたいことや欲しい物を主張しても第一声は必ず「ダメ。」であり、その理由を問うても「あなたのため」が唯一の理由であり、検討の余地もなく妥協点を話し合うこともせず、私の抵抗(母に言わせると『反抗』)はことごとく「親の言うことをきけないあんたが悪い。」という結論になった。
そこからはお得意の「お母さんは子どものために離婚もせずにこんな尽くしてるのに、どうしてあなたはわからないの。」という呪術タイムが始まる。

本当は結婚なんかせずに仕事を続けたかった、だけど社会が女がずっと一人で生きていくことを許さなかった、だから結婚して子どもを産んで夫にも子どもにもこんなに尽くしてるのに誰も自分の事をわかってくれない。

母の訴えは徹頭徹尾変わらなかった。病を患う直前まで変わらなかった。その変わらなさと「グレー」の無さが病を呼び寄せたのではと私は見立てている。

そして、「社会が許さなかった」と訴え続けた母の苦しさも、48歳の私なら想像も理解もできる。
確かに父は温かみのある夫ではなかったし、母は知的能力が高く「社会が許せば」生涯独身でバリバリ働き続ける選択肢もあっただろう。

しかしそれでも私は母を許すことはできないし、できない自分を「悪い」とも思っていない。
ままならない人生を選択したのは母自身であり、ままならない人生を引き受けるのも母自身の課題であり、決して私達子どもに背負わせるものではないからだ。

統合失調症を患ってから、母から一切の表情がなくなった。茶飲み話が好きで、しょっちゅう友人知人と電話していた母が、社会との繋がりを絶ち始めた。

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