ろぴお

毒親育ちの対人援助職。主に生活困窮者の就労支援に関わるカウンセリングやキャリアコンサル…

ろぴお

毒親育ちの対人援助職。主に生活困窮者の就労支援に関わるカウンセリングやキャリアコンサルタントを行っています。超箱入り娘が親になって七転八倒・八面六臂・荒唐無稽な20年の物語。

最近の記事

  • 固定された記事

想像と理解とゆるすこと①

「向こう(夫)の実家でみてもらいなさい。」 20年前のある日、「里帰り出産をしたい。」と母に連絡したら母から返ってきた返事がこれだった。 20年前は現在のように産休育休制度も整っておらず、「産休育休?そんなの取ったらもう昇進できないよ?」という転勤族の夫と 頼れる友人知人もいない土地での初めての出産・育児への不安が大きかった私は、 実家での里帰り出産を希望していた。 「なんで?なんでそんなこと言うの?」「娘が初めての出産をするのにどうして?」「お母さんにとっても初孫なの

    • オープンダイアローグを語りきる

      今、ものすごい勢いでこの記事を書いている。 というのも、昨年私がまだ真っ白い霧の中に揺蕩っている時期に参加した 『オンラインオープンダイアローグ』で出会った仲間から、 今度は自分でオンラインオープンダイアローグを始めるというお知らせをいただいたからだ。(Home | karikakoi (jimdosite.com)) https://t.co/YBrN14MlYc このお知らせに触発され、私は今、「書くなら今しかねぇ!」という気持ちでこの記事を書いている。 私がこうい

      • 想像と理解とゆるすこと⑪

        父とサシでスシを食べた。 父と二人きりで食事をするのはいつぶりだろう。 記憶を辿っても辿っても思い出せる場面がない。 もしかして初めてなのか。 いや、母を介護施設に入居させた年に、施設からの帰り道、蕎麦屋に寄ったか…。 でもあの時は妹もいた気がする…。 どちらにしても『父と二人きりで食事をする』行為は私にとってはハードルの高い行為だった。 以前のnoteにも書いたが、若い頃の父は瞬間湯沸し器ですぐに手が出る父親だったので、幼い私にとっては『怖い』以外の何ものでもなく、

        • 自分の事だけ考えたい

          2023年夏、大学の同窓生に25年振りに再会した。 そして学生時には一度も旅行したことがなかった間柄なのに、何がなんだか分からないうちに2023年11月、15年振りの海外旅行、しかも初バンコク、しかもツアーではなく「ホテル+往復飛行機チケットのみ」という、完全に「子育てが一段落して空の巣症候群に陥ったアタオカおばさん達」がやりそうな、破れかぶれの旅をした。 でも、この旅行で私は発見してしまった。 「自分の事だけを考えていれば良い自由」というものに。 夫のことも、こどもの

        • 固定された記事

        想像と理解とゆるすこと①

          想像と理解とゆるすこと⑩

          半年ぶりに母の面会に行った。 今月初旬、母の友人からクリスマスカードが届いた。 私宛ではない、母の名前が記入された封筒に入っているであろう、クリスマスカード。 誰にも気付かれずに捨ててしまうこともできたのに、私はクリスマスギリギリまで迷いに迷っていた。 そして一昨日、重い重い腰を上げてそのクリスマスカードを届けに行った。 母は居室でベッドに横になっていた。見ているのか見ていないのかわからないテレビが「もうすぐクリスマスですね!」とうるさかった。 「◯◯だよ、わかる?」

          想像と理解とゆるすこと⑩

          想像と理解とゆるすこと⑨

          あんなにも熱心にnoteを書いていたのに、最近放置気味。 継続は力なりとはよくいったものだ。耳が痛い。 書くことがないわけではない。書くことは沢山ある。だが書く体力がない。 仕事を理由にしてる、ってのもあります、はい。 継続しない理由はいろいろあるけれど、自分の中での「語り切った」感が大きい。 2か月前、夫の父が亡くなった。 夫の母は2年前に亡くなっているので、私は「義理の両親」という存在を失った。 人ってやっぱり死ぬんだな、死ぬと現実としてやっぱり存在しなくなるんだな

          想像と理解とゆるすこと⑨

          想像と理解とゆるすこと⑧

          「ママは可愛げがない。」 当時高校生だった子どもから言われた言葉だ。 当時の私の「全てを一人で抱え込みすぎてる」状態を「可愛げがない。」と評したのだろうと私は理解している。 衝撃を受けたが不思議と腹は立たず、「この子はすごい。」とすら思った。 親の一番痛いところを良くキレる鋭く長いナイフで確実に仕留める言葉。 そんな言葉を言えるだけ成長したんだな、と感慨深かった。 ただ、「そんなもんはキミを育てるために真っ先に捨てたよ。」とは思った。言わなかったけど。 夫がいつだか「や

          想像と理解とゆるすこと⑧

          想像と理解とゆるすこと⑦

          2022年12月。私は休職に入った。 父と妹に休職した旨を連絡し、介護施設からの第一連絡先を父に変更した。 その後は自分のケアに専念し、ひたすら寝た。 読書も大好きなBTSの動画視聴も音楽も何一つ楽しむ体力もなく、ひたすら寝た。 そして少しずつ少しずつ受信ができるようになり、身の回りを整えられるようになり、散歩に行けるようになり、友人と会えるようになり、四六時中夫と家にいることに耐えられなくなり、3ヵ月後に復職した。 今も介護施設からの第一連絡先は父のまま、母はあれから一度

          想像と理解とゆるすこと⑦

          働きづらさとは

          私は首都圏で働きづらさをかかえる人への就労支援を行うNPO法人に所属している。 働きながらキャリアコンサルタントの資格を取得したものの、大抵のキャリコン職は「実務経験3年以上」が必要で、それまで事務職の経験しかなかった私はどこも門前払い。「実務経験無し可」の求人を出していたのが今の法人だったのだが、あいにく希望の職種はその年度は募集しておらず、1年待っての応募、そして採用だった。 今年で5年目。 1年目は端的に言えば「私の知らない世界」だった。目の前に現れる人は、超超箱入り

          働きづらさとは

          想像と理解とゆるすこと⑥

          20歳になった子どもが、友人から誕生日プレゼントをもらっている。 ラジオが好きだからとマルチラジオスピーカーをいただいたたり、一年間の思い出を動画に編集してもらったり。「今日と明日は夕飯いらないよ~。」と、日々様々な友人と食事や遊びに出掛けていく。楽しそうだ。 嬉しい。子どもが色んな人から愛されてることが、その日々を楽しんでいることが、私ができなかった経験をしていることが、色んな世界を見て感じてまた世界を広げていくその姿が、嬉しい。 母は、私が楽しそうにしていると顔をしか

          想像と理解とゆるすこと⑥

          想像と理解とゆるすこと⑤

          「前は完璧なお母さんって感じだったけど、相談職に転職してから良い意味で変わったよね。」 先日、20歳になった子どもからの手紙にあった言葉。子どもによく言われる言葉。「ママは変わった。」。 ああ、この子もそう感じてるんだな、感じてくれてたんだな、あなたを二度と傷つけまいと、二度とあんな顔をさせまいと固く決心したあの日がそうだったんだよ、ごめんね、あんな顔をさせて。ごめんね、呪いをかけて。 嬉しさとありがたさと申し訳なさが交錯して、自分でも呆れるほど涙が出る。 8年前、子ども

          想像と理解とゆるすこと⑤

          今日は泣く日

          子どもが20歳の誕生日を迎えた。 さっき中学の同級生と遊びに出掛けた。たまたま誕生日に遊びの予定が入っただけだから夕飯には帰るね、と言い残して。 子どもに「せっかくの20歳の誕生日をお友達やパートナーと一緒にお祝いしなくてよいの?」と聞いたら、「え?誕生日は家族とお祝いするんでしょ?」とびっくりされてしまった。 良い子だな、と思った。 涙が出るくらい温かくて、素直に愛を愛としてそのまんま受け止める素直な大きな、懐の深い、良い子だなと思った。 こんな私に育てられたのに。

          今日は泣く日

          想像と理解とゆるすこと④

          BTSの「Not Today」、ヒグチアイの「縁」。この2曲をリピートしながらチャリで通勤する。2021年の私はずっとそうやって生きていた。 この2曲にどれだけ励まされ救われたかについては、長くなるのでまた別の記事にしようと思うが、それだけ支えてもらったからこそこの曲を聞くとあの頃の光景が蘇って涙なくしては聞く事ができないので、昨年からしばらく聞いていなかったが、先日子どもが「縁」を口ずさんでいて、いつの間に覚えたのかとびっくりしたのと同時にやっぱり苦しくなった。 202

          想像と理解とゆるすこと④

          閑話休題

          48年生きてきて、未だに自分の扱いに苦労している。いや、中年という年代に入ったからこそ、「今までできていたことができない事態がぼちぼち出現してくる」自分の扱いに苦労するようになったのかもしれない。別の種類の苦労。 自分の思考を外在化し形にするためには多大なエネルギーを必要とするな、とnoteを書き始めて痛感している。 子どもが幼い時はそれでもエネルギーが有り余っていて、外在化しても今ほど「疲れる…。」とはならなかった。 だからここ数年は、大抵の思考は脳内で自己完結していた

          閑話休題

          想像と理解とゆるすこと③

          「親になればあんたもお母さんの苦労がわかる。」 これも母からの呪いの一つだ。 悪いが私はひとつもわからない。理解はできるがわからない。 わかったところであなたが私にしたことは、決して正当化できるものではない。 こどもが幼稚園に上がる前(16年前)と小学校6年生(8年前)の時。この二つが私の呪いからの解脱ターニングポイントだ。 どちらも脳裏に浮かぶのはこどもの泣き顔。もう思い出したくはない。誰か海馬からこの記憶だけ抜き取ってほしい。 でも未だに、頻度は減ったが事あるごとに思

          想像と理解とゆるすこと③

          想像と理解とゆるすこと②

          19年前、母が統合失調症と診断された。 診断される数ヶ月前から幻聴などの症状が出現していたらしい。 「らしい」というのは、「子育てで大変だろうから。」という父の配慮で私には何一つ母の状況が共有されておらず、弟からの事後報告で知ったからだ。 弟の話を聞きながら、私は嘆くでも怒るでもなく静かに「これでやっと自由だ。」と考えていた。 母には「グレー」がなかった。「良い・悪い」「白・黒」しか存在しなかった。 遠い昔、近所の人に「人間には灰色っていうものがあるのよ。」と苦言を呈され

          想像と理解とゆるすこと②