ふとした声に、

朝7時。
昨日の夜にセットした目覚ましが流れる。
初期設定のままのメロディーであるそれは、カスタマイズされた主人のアラームとは少し違うものだった。自分専用となったそのメロディーを反射的に右手で止めると、カーテンの隙間から漏れた光の前に目を細めた。

“眉間寄せてたら皺になるよ“
ふと、姉の声が聞こえる。
危ない危ない。私は人差し指で眉間を軽く擦り、鏡で皺になっていないかを確認した。30歳を迎える今年。もうとっくの前にお肌年齢は折り返し地点。何を食べてもニキビが出ない時代はとうの昔に終わっていた。6つ上の姉は口癖のように、眉間の皺の注意喚起を私に投げかけていた。

布団を上げ、部屋のカーテンを開ける。窓を開けて、部屋のドアも開けて風の通り道を作る。引越しの時にもらったデッキでラジオを流す。地元特有の訛りが入ったラジオDJは今日もハイテンションで話を進めていく。そんなラジオをBGMに朝の身支度を済ませていく。タンスから慣れた服装をチョイスする。

“その服の色、似合ってるね“
ふと、親友の声が聞こえる。
お、そうかい?ならこれにしようか。ラベンダー色のカッターシャツは古着屋で購入した一点ものだ。誰かと同じじゃつまらなくなってきた最近は、古着屋巡りを楽しむようになっていた。いつも黒ばかり着ていた私の変化に気付いて声をかけてくれた親友とは、つい先日コーヒーを飲みにいった。最近も着たが、ここは親友の言葉を信じて今日もこの服で出かけよう。

着替えて階段を降りる。階段を降りるとすぐ真正面に脱衣所があり、洗面台もある。寝るときに持って上がるフェイスタオルを、口が開いたままの洗濯機にシュートする。見事な放物線を描きながら洗濯機の中にタオルが入る。ガコンと鈍い音がなる。洗濯機に水が入ってない時の乾いた音を確認すると同時に、私のタイムスケジュールに風呂洗いの項目が追加された。主人の実家に同居して4年。家事の分担性などはなく、気付いたものがそれぞれの気分で「する」「しない」を決める。その結果お風呂が洗われていない時は、その日の夜はシャワーで済ませる時もある。それくらい、何かに強制されるのも「しないといけない」という感情に束縛されるのもひどく嫌う。

「こうでないといけない」「こうあるべきだ」なんてのは、その人の独りよがりな感性だ。そう思うならすればいい。だけどそれは他人に強制するべきものではない。本当はお風呂に浸かりたい。でも疲れていて洗いたくないのであれば、正直にそれを伝えてお願いをして、してもらえたなら「ありがとう」を伝えればいいだけの話だ。そういう思考に至れないものはこの家では、ただただしんどくなるだろう。同居し始めて最初の1年間。私はこの価値観のズレにひどく悩んだ。

“ーしてあげるって表現俺は嫌い“
ふと、主人の声が聞こえた。
彼と出会った当初、なんでもズバズバ発言する彼のことが大嫌いだった。同じバイト仲間の中でも一番付き合いたくないタイプだった彼は、常に誰にも依存することなく「自分らしく」生きていた。それゆえに敵も多かったが、彼にだけ真剣な相談ができるという就活を控えていた大学生も多かった。そんな彼は、自分がしたいと思うことだけをすればいい。やりたくもないのに、やってることに人は「やってあげた」という表現を使うし、大抵それは下心があるから、相手に依存して感謝の言葉を求め過ぎてしまう。そんなの仕事でもプライベートでも八方美人のすることだよと言われた。まさしく、そうだ。と今では理解できる。そんな言葉が、同居で悩んで暗闇の中に閉じ込めていた私の感情の部屋に一筋の光を通してくれた。

それを理解した上で、私はお風呂掃除が嫌いじゃなかった。どちらかというと掃除機、整理整頓は苦手分野だ。自分の中で1日の生活で、家事のポイントをつけている。そのポイントが5ポイントに到達しなかったら、貢献できない自分として自分のことをみなして、自分自身がそれを許さない。逆を言えば5ポイント以上稼いでいるときは、その後家で堂々と何もしないという選択肢を取ることができる様になった。人に備わっている返報性の原理に100%乗っかって、私がお風呂洗いをしたとなるとみんなも他のことで自分のできることで貢献してくれるようになった。自分が納得した上で家事と向き合えた結果、世間では褒められるくらいに同居生活を難なく過ごせている。

リビングに入り、前の職場を卒業するときにもらったグラスを戸棚から出しアクアクララで水を注ぐ。冷えた水が喉を一気に潤す。5月も終わりを迎えようとしていた朝。太陽がギラギラと存在をアピールしている。太陽の光で包まれた部屋からは、布団を干した日の夜に布団で寝る時に香るような独特な香りが放たれていた。洗濯物を干した後、お決まりというほど鍵が開けっぱなしのリビングの窓を鍵の確認もせずに開ける。予想通りスムーズに動く扉とは対照的に年季の入った網戸は外れそうなくらい鈍い動きをする。虫が入らないように網戸を閉め切ると、冷凍庫からパンを取り出してトースターに入れる。

“冷凍パンでも5分も焼いたら丸焦げになるよ“
ふと、実家の母も声がする。
私は慌ててつまみを戻し、ホットコーヒーのためのお湯を沸かす。
隙間時間をうまく使えるようになったのは、同居してからだ。沢山の“やることリスト“をこなした上で自分の時間にたどり着く瞬間が一番“達成感“を感じられるからだった。私以外の家族が仕事に向かっていき、家の中が静かになる。私は1人、チンという音とともに“嫁いできた人“ではなく“たった1人の自分“に戻る。程よい色に焼けたトーストの上にマーガリンを滑らせ、ホットコーヒーと横に並べて胸元で手を合わせる。

『いただきます』

“今日もよく頑張ったね“
ふと、もう1人の自分の声がする。

ふとした時に聞こえる言葉は、自分にとって都合のいいものばかりではない。叱咤された酷い言葉だってふとした時に聞こえてくる。けれど、私の人生の中で消し去れない記憶として残っている言葉は、必要なシチュエーションが来たときに、ふと姿を表すのだ。

ふとした声に耳を傾ける。
それは私にとって、長い人生の迷路の中で苦しまないようにと人生の先輩たちが教えてくれるヒントであり、アドバイスなのだ。そんな声が聞こえても、我が道を行く時もあるが、今はその声たちに感謝して従ってみるのも、いいものだと楽しんでいる最中だ。

ふとした時に、聞こえてくる声は
あなたに一体何を伝えたいのだろう?
そんなことを考えながら、私はパンを齧った。

Image time 2022.05.31
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