野平宗弘

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ヴァンハン大学の本誓(ほんぜい)

(ヴァンハン大学発行『思想』1968年2&3号より。野平宗弘訳) 1.本誓の意義 この本誓は、ヴァンハン大学の本願である。文化構築事業はそれぞれ一定の指針の上にうち建てられる。その指針こそが、知的活動における行動基準のための論拠となる意識の指針である。意識の指針は、思想構築事業の個々それぞれの体制における行動の基礎を象徴する精神を規定する。ヴァンハン大学の意識の指針は、自らの活動範囲における本誓の体現である。その<本誓>は、個人それぞれの生活全般におけるすべての隷属、すべて

    • 反ニーチェの失敗そのものの失敗

      今日は、1970年8月25日、ニーチェも、今日、70年前(1900年)の8月24日夜25日未明、深夜2時に死んだ。この文章は、ニーチェが死んだ後に書かれた。このことは、死のあらゆる意義を、生きていたものの、そして生きていた者の死に抵抗するために生きている者の死のあらゆる意義を物語っている。『孤独なニーチェDer Einsame Nietzsche』の中で(p.549-550)、ニーチェの妹は、ニーチェの最後の日のことを語っている。ニーチェがまもなく目を閉じ永遠にこの世を去る時

      • 三人の僧侶、その人生の浮き沈み ティック・ナット・ハン、ティック・チー・クアン、ティック・クアン・ド

        訳者注:以下の記事は、ひとつの立場から書かれていて、別の事実や別の見方があるかもしれないことにも留意していただきたい。ただ、ナット・ハン以外の南ベトナムで活躍した代表的な僧侶の紹介のため、そして、このような見方もあるという参考のため、この記事を訳出した。文末には、ナット・ハンに関わった人物からの反論コメントも訳出した。事情や人間関係などに複雑なところがありそうだ。 三人の僧侶、その人生の浮き沈み ティック・ナット・ハン、ティック・チー・クアン、ティック・クアン・ド チャン

        • ベトナム思想の道とハイデガーの全面的失敗                 ハイデガーのSEIN UND ZEIT(1927)とZEIT UND SEIN(1962)の批評

          ベトナム思想の道とハイデガーの全面的失敗 ハイデガーのSEIN UND ZEIT(1927)とZEIT UND SEIN(1962)の批評 ファム・コン・ティエン 世命〔世界運命〕の深淵に直面して、また収配言語の暴動に直面にして恐れをなすかのように、観念思想が萎縮せざるをえない、学校哲学の射程から外れた、辛辣で過酷な、或る厳酷さ、或る厳密さというものがあるのだが、それは<時間>と<性体>の暗い中心部にある敗北思想の厳酷さであって、<性体>と<時間>が持っている

        ヴァンハン大学の本誓(ほんぜい)

        • 反ニーチェの失敗そのものの失敗

        • 三人の僧侶、その人生の浮き沈み ティック・ナット・ハン、ティック・チー・クアン、ティック・クアン・ド

        • ベトナム思想の道とハイデガーの全面的失敗                 ハイデガーのSEIN UND ZEIT(1927)とZEIT UND SEIN(1962)の批評

          ファム・コン・ティエン「深淵と仏教」

           『華厳経』入法界品三十九で、弥勒菩薩は善財にこう告げている。「菩提心は深淵のようだ。なぜなら、すべての悪法を崩壊させることができるからだ」。経典のこの奇異な文は、私を根元から揺さぶり、私を不可思議な<深淵>へと突き落とし、私は風の先端を進んでいるかのような寒気を覚え、数千の太陽が空へと上がるかのように様々な妙義が渦巻くのをうろたえながら直観して、のけぞり返り、そして何千年も前から自分の前を進んできていた自分の姿を私は見る。『華厳経』の深淵を見た時から、私は一連の書籍を放り出

          ファム・コン・ティエン「深淵と仏教」