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ゲームの遺伝子 解析記録 vol.13 風ノ旅ビト

いつも「ゲームゲノム」をご視聴いただきありがとうございます。「人生という旅~風ノ旅ビト~」の制作を担当したディレクターの堀江凱生と申します。シーズン1の「自問自答~This War of Mine~」に続いての登板になりました。
 
さて、今回の「ゲームゲノム」、いかがでしたでしょうか? 番組を通して『風ノ旅ビト』という作品のすばらしさはもちろんのこと、「ゲーム」という言葉・存在の捉え方が少しでも変わっていれば———そして、ふだんはあまり考えない「人生」を俯瞰ふかんして考えるきっかけになっていれば幸いです。本作をプレイ済みの方には、クリエイターであるジェノバ・チェンさんの言葉やニューヨーク近代美術館のエピソードなどを通して、プレイしたときとはまた違う何かを感じるきっかけになっていればうれしいです。
 
今回は「アート」という観点からも本作やゲームというエンターテインメントそのものを見つめてみました。この記事では、なぜ「ゲームゲノム」で本作を取り上げることになったのか。そして、なぜアートという概念に思いをせ、なぜ“人生という旅”というゲノムに至ったのか。その経緯や番組制作の裏話を、番組尺には収まりきらなかったクリエイターやゲストたちの言葉とともに、記していきたいと思います。

『風ノ旅ビト』(原題:『Journey』)は、赤い布をまとう「旅ビト」を操作し、広大な砂漠を歩き、滑り降り、時に地下の迷宮や極寒の雪山などを心の赴くままに進んでいくアドベンチャーゲームです。ゲーム慣れした人であればクリアにかかるのは2時間ほど。非常に短く、とてもシンプルなゲームです。
 
そんな本作の一番の特徴は、会話やナレーションなど、「言葉」が一切存在しないこと。説明を排し、ゲームプレイそのものを通して旅を描いた本作の人気は絶大で、発売年のゲームアワードを数多く獲得。あまたのゲームを遊んできたゲストの清塚信也さん、結さんのお二人が力強い印象を残した作品として挙げているほか、MCである三浦大知さんは、自身の創作活動にもインスピレーションを受けたといいます。
 
私自身、本作が与えてくれた感動を記憶に残していた1人です。思い返せば10年ほど前、大学生だったころ…。本作が発売された当時は『ファイナルファインタジー零式』や『地球防衛軍2』、『ロストプラネット2』など、ド派手なアクションにハマっていたころと重なります。そんななか、どうしてこれほどシンプルなゲームに心を動かされたのだろうか?その理由を知りたいと考え、企画を考え始めました。

旅路ト出会イ

『風ノ旅ビト』をプレイして、大きく心を動かされたポイントが2つありました。1つは、このゲームの始まりから終わりまでの“軌跡の美しさ”です。

冒頭、遠くにそびえ立つ山とタイトルロゴを目にするシーンでは、説明はなくとも「あそこに向かえば良いのか」と思わせる力があります。そして何か神秘的なもの、自分より大きな存在──それこそ仏や神のようなもの──を感じました。はるか彼方かなたにあるけれども強い引力を持ち、それゆえ自分=旅ビトがちっぽけな存在にも思えます。そうして“引き寄せられるように”本作のゲーム体験は始まります。広大な砂漠を進んでいく旅路。その一歩一歩が自然に導かれるようであり、自らが踏み出した感覚もある特別な瞬間です。
 
一方、中盤に訪れる地下の迷宮では、当然ですが天井によって山は見えなくなります。謎の石像が襲ってくるなど、ただでさえ不安と緊張が襲い来るステージですが、目標としていた山という存在が不可視になることで、より“心細さ”というプレイ体験が際立ちます。

そして、はるか彼方に見えていた山は、終盤の雪山のステージに至ると目の前に現れます。とは言っても近いからこそ、「見上げる」形となり、“目標”としていた存在が急に“試練”として立ちふさがります。頂上までは、吹雪や襲い来る石像にはばまれる非常に険しい道。プレイしていても雪に足を取られ、ついには山そのものが見えなくなります。
 
しかし、その先に待つ“天空の世界”へたどり着く場面は、それまでの苦難が報われるような、非常に開放的で、まるで全能になったかのような感覚を覚えるほど。この旅の「軌跡の美しさ」はこれまでにないプレイ体験であり、わずか2時間ほどの感動を色あせない記憶にしてくれたのです。

もうひとつ、印象に残っていたのが、本作において描かれる「出会い」です。
 
本作には旅路を歩む途中、同じ時間に旅をしている誰か(他のプレイヤー)に出会える、というオンライン要素があります。しかし、そのこともゲーム内において一切説明されません。そして、ふと目の前に現れた旅ビトとは、言葉を交わすこともできず、唯一可能なのはジェスチャーともつかぬボディランゲージのような「光と音」でのコミュニケーションのみ。しかしこれ、伝わるときは伝わるんです。何度も光ったり、大きく光を出して合図したりしているのを見ると、「楽しんでいるんだな、合図してくれているんだな」といった相手の感情が伝わってくるのです。特に、行き先が分からず迷ったときに相手が光で導いてくれたときなどは「純粋な優しさ」に触れたような気持ちになり、心が温まります。

ゲストである結さんはこの体験を、こう表現してくださいました(番組に入りきらなかったのですが、とてもすてきな感覚だなと思ったのです)。

一人旅をしているとき、ふと入った小料理屋さんで隣に座ったおばあちゃんがすごく親切にしてくれたような。何かこう、自分の頼んだ料理を分け与え合うときと似ていますよね。

日常生活でも、偶然出会った人と心が通うような交流があったり、落とし物を誰かが拾ってくれたりしたらうれしいですよね。本作の“思いが伝わったときの温かさ”や“肩を並べ歩みを進めることで「自分はひとりじゃないんだ」という感覚”はまさにそれ。最後、雪山の苦難も身を寄せ合いながら乗り越え、山の頂にたどり着く瞬間は格別です。
 
こうした要素が短いプレイ時間の中に詰め込まれている本作。「心を豊かにする体験そのものの価値」がいつまでも余韻よいんを残す特別なゲームだと思います。

感動ノ記憶

少し話がそれますが、私には『風ノ旅ビト』が残した余韻と似たような体験があります。まだ歴史にも文化にも興味がなかった16歳のころ。家族旅行で訪れたフランスのルーヴル美術館で「サモトラケのニケ」の像を見たときのことです。翼のはえた勝利の女神「ニケ」が空から船へと降り立った様子を表現している、ヘレニズム期の大理石彫刻像です。展示棟に入り、ふと目をあげると、幅広い大理石の階段の中央にその像はありました。左右の展示棟へつながる分岐の踊り場で堂々と立つ「ニケ」を見たとき、あまりの神々しさに圧倒され、これまで味わったことのなかった種類の感動を覚えました。気づけば、当時持っていたカメラ機能付きのガラケーであらゆる角度から撮影。その高揚感は今もありありと思い出せるほどです。
 
私は、心動かされる体験をすると、「なぜ自分はそれに感動したのか?」という“問い”が生まれ、その意味を考える節があります。言葉にはならない、でも何か重要な体験をした気がする。これは、人生においてそう多くないかもしれない、人生を豊かにしてくれる体験のように思います。『風ノ旅ビト』はこうしたことを私にゲーム体験として与えてくれました。
 
これまで、例えば『This War of Mine』のようなメッセージ性が強い作品や、『地球防衛軍』のような娯楽性が高い作品などをプレイしてきましたが、本作はこれらとは違います(もちろん2作品とも大好きで唯一無二の体験があります)。現実でも完全なるフィクションでもない、もっと抽象的で、極めてあいまいながら、強く感情を動かされる「体験」をプレイヤーに残す──まさに「アート」的なゲームであると感じたのです。

アートトゲーム

今回、企画を進める過程であるプロデューサーから「堀江くんの作る『ゲームゲノム』はゲームから離れるよな」と言われました。前回『This War of Mine』で、《戦時下で生き延びる一般市民》を主人公にした“リアルな戦争体験”に焦点を当てた際、ポーランドを訪ねて本作を教材として扱う現地の学校を取材したことを指していたのだと思います。

『This War of Mine』について書いた記事はコチラ ↑

このような構成にしているのには理由がありまして、それは本番組を通して、「ゲーム」という言葉を捉え直すきっかけになれば、と願っているからです。国や地域、家庭、年齢によって「ゲーム」との距離感や捉え方はそれぞれだと思いますし、最近触れていない多くの人にとっては、小さい頃やったもの、娯楽という記憶のまま留まっていることが多いように感じます。でもゲームには『FF14』や『ストリートファイター』のように他人と切磋琢磨し、時に絆を作れるものや、『This War of Mine』のように戦時下の人に思いを馳せるものも、そして『風ノ旅ビト』のように何か自分の心に向き合うきっかけを与えてくれるものもある。そんな多面性をもつ「ゲーム」を、関係のなさそうに思える「教育」や「美術館」といった立場の方が語ってくれることで、改めてゲームに触れたり、ゲームに熱中する人の心に思いを馳せるきっかけになれば、と考えているからです。

そんな理由で今回取材したのが、本作を収蔵している「ニューヨーク近代美術館」(The Museum of Modern Art, New York・通称『MoMA』)。この美術館は、当時アートとして扱われていなかった「写真」を先駆けて美術品として所蔵したりするなど、最先端のアートを扱ってきました。なぜ本作を、ゲームをアートとして扱うのか? 美術館を訪ね学芸員のポール・ギャロウェイさんに尋ねると、このように語っていました。

『風ノ旅ビト』は芸術作品であり、美しく、力強く、実に豊かな体験ができるものです。(中略)雪の積もった峠道から、水中体験、洞窟どうくつまで、実にすばらしい美学がある。小さなゲームでありながら、このように実に多種多様な風景があり、さまざまな交流ができる。そして、共同作業や知恵の共有といった中心的なメッセージが、とても詩的な方法で伝わってくる。極めて詩的なゲームなのです。

「詩的」という言葉がありますが、詩とはすなわち余白を指すのだと私は思います。作り手がつむいだ情景や心理描写を、受け手が作者のイメージを超えて解釈や想像を広げるのです。結さんの言葉を借りるなら「自分の中に物語が生まれていくような感覚」です。
 
そんな、“詩”のような感覚を視覚的に味わえるような工夫がゲーム内にはいくつもあります。例えば、この世界の歴史を匂わせるような壁画。旅路の各地に散らばっているのですが、それぞれを見ていくと、この世界に一体何があったのか―――「もしかして…」「やっぱり…」「いや、でも…」とプレイヤーが自由に想像できるようになっています。

また、このゲーム、「カメラワーク」も非常に凝っていて、プレイヤーに強い印象を残しています。本作のゲーム画面を撮影していて気づいたのですが、例えば、砂漠をまっすぐ歩いているとき、通常のゲームであれば操作する主人公の後ろにカメラワークが固定されがちです。また、比較的わかりやすく「ここに注目!」という感じでズームインしたり、急に変わったりするのも一般的かもしれません。一方、本作ではカメラが静止もせず、急に動くことも少ない。じんわりと少し横に動いたり、遠くの山が見えるような画角に自然になったりします。カメラワークが極めてナチュラルに、まるでプレイヤーの心に寄り添うように動くことで、プレイヤーを行き先に導いたり、ふと見た瞬間に「きれいだなぁ」と感じるようにさりげなく演出しているのです。
 
360度に広がる世界の中で、プレイヤーに感じてほしい瞬間を、まさに“詩をみたくなる”ような美しい体験で演出する──私が本作の詩的な要素を感じた部分でした。

クリエイター ジェノバ・チェン

アートにも感じられ、プレイヤーに得も言われぬ感動をもたらす本作を制作したのが、ゲームクリエイターのジェノバ・チェンさん。日本国内ではなじみがない方かもしれませんが、実は世界的にも知られるクリエイターです。『風ノ旅ビト』以外の作品も高い評価を受けており、2009年発売の『Flowery』という《花びらとなって野をかけるゲーム》はアメリカのスミソニアン博物館(ラファエロやフェルメールなど著名画家の絵画からマリー・アントワネットのイヤリング、モハメド・アリのグローブなどを所蔵する由緒ある博物館)に所蔵されているほか、最新作『Sky 星を紡ぐ子どもたち』は、世界でなんと2億6000万ダウンロードを達成しています。

そんなジェノバ・チェンさんに、今回インタビューロケをさせていただきました。訪ねたのは、『風ノ旅ビト』を制作していた当時にオフィスがあったカリフォルニア。彼は、緊張する私にとてもおだやかな語り口で、さまざまな話をしてくださいました。
 
当初は森のようなステージを冒頭にと考えていたが、プログラマーに「木のモデリングは大変だから砂漠にしたら?」と言われて砂漠にした、という意外な裏話。本作の参考に、世界の神話について調査し、共通するパターンを研究したジョーゼフ・キャンベルの書籍を読み込み、旅の軌跡に反映したこと。さらには、中国の思想家・孔子のこの言葉からも着想を得たそうです。

人間形成の過程を記した書物で、これらの人生におけるステージを砂漠、迷宮、雪山、そして天空などのステージに落とし込んでいったとのこと。
 
他にも、オンラインで出会った人が悪意ではなく良心で接することができるよう、(前述した通り言葉を持たせず)キャラクターが他人を傷つける手も設けず、簡単なシルエットとしてデザインしたこと。このゲームの制作を始めた動機が、彼自身が中国からアメリカに渡り感じた「孤独」と、人とつながれたときの「喜び」を、ゲームの中でも感じられるようにしたかったこと、などなど。
 
話をき、彼の中には伝えたい「体験」や「感動」があり、その着想を言葉でも絵でもない、ゲームというメディアを通して表現している「アーティスト」なのだな、と感じました。
 
そんな彼が制作したゲームが多くの人に“深く”届いていることを実感させられたエピソードも。見せてもらったのは、ジェノバさんをはじめとした制作者に寄せられた世界各地のプレイヤーたちからのメッセージでした。以下、その一部を邦訳したものです。

『風ノ旅ビト(Journey)』をプレイする前に、恋人と辛い別れを経験したが、このゲームをプレイしたあと、最後に大きな衝撃を受けた。彼女と一緒にいた経験は人生の一部に過ぎず、前に進み続けなければならないという希望を与えてくれた。こんなにも美しい作品を作ってくれて、感謝してもしきれない。

このゲームが発売される6年前に母が亡くなったことにケリをつけることができたんだ。奇妙であり得ない方法で、母が『風ノ旅ビト(Journey)』を通して僕に語りかけ、別れを告げてくれたように感じたんだ。

本作において、ゲームの中で偶然出会った旅ビトにはアカウント名が表示されず、一見他のプレイヤーとも気づかないようになっています。この演出によって、ゲーム内で目にしたもう1人の旅ビトの姿に、多くの人が自身の大切な人、失った人を重ね合わせ、心を救われたというのです。ジェノバさんが体験した孤独がこのような作品に昇華され、多くの人の心を救ったという事実は、表現することの尊さ、それを受け取ることの豊かさを感じさせてくれました。

なぜか彼の自宅にあった「くまモン」
隣のポスターは、Appleから講演に呼ばれたときのチラシ
世界を股にかけるクリエイターであることをまさかゆるキャラで証明されるとは…

人生ト旅

これらの取材した内容や言葉をお伝えし、スタジオに集まっていただいた三浦大知さん、清塚信也さん、結さん。3人それぞれが本作を通して、人生と旅、そしてアートについて、丁寧に、何かを確かめるように言葉にして語ってくださいました。

旅路を自身に人生に重ね合わせられた清塚信也さん。若いころ、プロのピアニストになろうともがいていた当時の体験を鮮烈に思い出したそうです。

友達と遊んだことすらなかったし、もう全部犠牲にしているような意味合いで、自分で頑張っていた自負があったから、何かそれをすごいカウンセリングしてくれたみたいな。
何かをずっと引きずって「ごめん」って思っている人に対して「あなたは悪くないんだよ」って一言とか「君は頑張ったよ」って一言ってものすごい響くんだよ。それが言葉で言われるんじゃなくて、わかってくれているんだっていう表情で、このゲームで伝えてくれることで、ものすごい涙出た思い出があったな。

結さんは生粋きっすいのゲーマーとして、本作のエンドロールの妙について触れてくださいました。本作では、プレイ中にはオンラインで出会ったもう1人の旅ビトの名前はずっと分からないのですが、クリアしたあと、エンドロールで初めてアカウント名が表示されるようになっています。

このゲームは(出会った旅ビトであるプレイヤーに)改めて感謝するタイミングをエンドロールで与えてくれたってことがすごくやっぱり温かくて。ゲームならではの体験なんじゃないかなって思いましたし、自分も人生にエンドロールがあるんだとしたら、過ごした時間がすごく短い人でも、自分のエンドロールに「ちゃんと刻み込まれてるよ」っていうことを言いたいし、私も誰かのエンドロールにれるような人になりたいなって思ったんですよね。

そして三浦さんは自身もアーティストの1人であるからこその言葉を紡ぎ出してくれました。 

やっぱり思いがこもっていると、それが“作品”になっていく気がするんですね。いろんな人の思いみたいなものが具現化したりするっていうこと自体がきっと芸術でありアートであり、そのアートにも人生というものがきっとつながってくるのかなって。だからこそ、(『風ノ旅ビト』は)これだけみんなの心に響く、みんなの人生に刻まれるアートであり、作品になっているのかなっていうのを改めて感じましたね。

人生という旅には、本人にしか分からない辛い体験もあれば、ふと寄り添ってくれる誰か、今回でいえば作品との「出会い」もあり、そして喜びもある。誰かに優しくされた体験は人の心に温かさを残すことと同じように、何かを表現し、それを誰かが受けって取くれるということが、人生という営みであること。改めて、ゲームという「体験」は人生という旅を豊かにする時間なのだと、気づかされた収録となりました。

旅ノ終ワリニ

最後に、謝辞を。
 
インタビューから映像の提供までさまざまな依頼に快く応じてくださったソニーインタラクティブエンタテインメントのみなさま、そして本作を手がけたthatgamecompanyのみなさま、改めてすてきな作品を世に送り出してくださり、本当にありがとうございます。現地でインタビューを受けてくださった、ニューヨーク近代美術館学芸員のポール・ギャロウェイさん、パオラ・アントネッリさん。2人はインタビューで『風ノ旅ビト』をそれぞれ、他のアートやゲームと比較をしながら言葉で表現してくださり、芸術に疎い私が本作をより深く考えるきっかけをくれました。さらに、アメリカでの撮影に協力してくださったリサーチャーのJinnさま、カメラマン、音声、ドライバーのみなさま。今回、クルーは全員日本人で、アメリカでのロケを心身両面サポートしてくださり、またアメリカで過ごす皆さんとの会話は多様な生き方について考えるきっかけとなりました。
 
そして「ゲームゲノム」を視聴してくださったみなさま。このnoteの最後までたどり着いてくださったみなさま。長文にお付き合いくださり、本当にありがとうございます。実は来年、シーズン3があれば“ゲノム”を紐解ひもときたいな、と思っているゲームも決まっているので、ぜひ本番組を引き続き応援してくださればと思います。
 
次回は、大野稚香子ディレクターが担当する「ムシキング&ラブベリ」回です。私自身触れたことがないゲームで、内容を知らないのでとても楽しみにしています。ぜひ皆さんもご視聴ください!
 
またシーズン3(あってくれ!)でお会いしましょう。 

ディレクター 堀江凱生



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